コラム

ハーバードはどうしてホームレス高校生を何人も合格させるのか?

2012年06月15日(金)11時55分

 この春、ノースカロライナ州のローンデールという小さな町に住む、ドーン・ロギンスさんという女子高校生のもとに、ハーバード大学から一通の封書が届きました。この春高校を卒業するロギンスさんは、何校かの大学に願書を出しており、既に分厚い入学案内を同封した合格通知も受け取っていたのです。ですが、ハーバードから来たのは薄い封筒でした。

 これは不合格通知に違いないと思って開封したロギンスさんは、文面を見てビックリすることになります。そこには、いかにもハーバードらしい文面で「小職は合格者選考委員会の決定に従って、あなたを2016年卒業見込み生として入学を許可する旨、ここに通知することを喜びとする者であります」と書かれていました。ロギンスさんは、ハーバード大学に合格したのです。地元のバーンズ高校としては開校以来初めての快挙でした。

 現在18歳のロギンスさんは、貧困とドラッグ中毒に囲まれて育ちました。父親は家庭から去り、母親は新しい交際相手が犯罪を繰り返すたびに保釈金を払い続けて経済的に破綻、ロギンスさんは最後には遺棄されてしまいます。家族が失踪し、住む家のなくなったロギンスさんは祖母を頼りますが、祖母もまた深い問題を抱えており、いわゆるゴミ屋敷の住人でした。

 高校に進学した時点では、不登校が目立ち、学校は彼女を「ドロップアウト候補」とみなしていたそうです。ですが、彼女はそこから自分の力で這い上がって行ったのです。「私はバイオ(生物)が好きでした。バイオを極める中で何か新しい発見に関わって行きたい、それが夢になったのです」というロギンスさんは、高校から「生徒と用務員の二重在籍」を認めるという特例を受けて、放課後は校舎の掃除をして生活費を得て、勉強に打ち込んだのだそうです。

 決して進学校ではないバーンズ高校では、バイオなど理科の科目の高度な段階の授業は受けられないことが分かると、学校は通信教育で高度なレベルの単位が取れるように配慮もしたのだそうです。「人生、辛いことばかりでしたが、勉強に打ち込んでいる時は他のことは考えなくていいので、私は幸せでした」というロギンスさんは、ハーバードでは生物学を学ぶと同時に、自分と同様の境遇にある子供たちを救済するためのNGOの立ち上げ準備に入っているそうです。

 ハーバードがホームレスの学生を合格させたということでは、他にも2000年に入学して、同大学卒業後に心理カウンセリングの会社を立ちあげているニューヨーク出身のリズ・マレーさんの話が有名です。彼女に関しては、入学時点で「ニューヨーク・タイムス」が支援をしたり、全国メディアも取り上げたりしたからです。マレーさんの場合は、都市型の退廃した生活に陥った両親からネグレクトを受ける中で、15歳の時に母親がエイズで死亡、父親はホームレスの救護所に入ってしまって、自分は遺棄されています。こうした経験を踏み台に、現在のマレーさんは、同様のケースに陥った人々を救済する活動をしています。

 ちなみに、こうしたストーリーは「いかにも東海岸のリベラルなカルチャー」という印象を与えるかもしれませんが、マレーさんの物語も、今回のロギンスさんの物語も、FOXニュースをはじめとした保守系のメディアも大変に熱心に伝えています。アメリカの保守思想というのは、小さな政府を実現するためには弱者を切り捨ててもいいという「割り切り」はしないのです。政府に頼らない中で、個々人の努力と相互扶助でコミュニティが維持されるようにしたい、そのためには何よりも機会の平等と、実際にサクセスストーリーを応援し続けることが大事だというのが彼等のイデオロギーの核にはあるからです。

 それにしても、どうしてハーバードは何度もホームレスの学生を合格させるのでしょう? 理由は簡単です。アメリカの大学が考える「合格基準としての学生像」に合致するからです。大学により細かなところは違うようですが、基本的にアメリカの大学のコミュニティで色々な人と関わる中で私なりに理解した「合格基準としての学生像」というのは、非常にシンプルなものです。

(1)入学そのものが目的ではなく、入学後の学習に強いモチベーションを持っていること。(2)授業における建設的な問題提起、教師や先行研究への知的批判、大学コミュニティでの活躍など在学中に大学に貢献できる資質であること。
(3)大学という場を活用して伸ばした能力を生かして、将来には社会的・経済的・学術的な成功者となりうる潜在能力を有していること。

 要は、入ってから益々頑張り、周囲にいい影響を与え、将来のサクセスで大学の評価を高めてくれそうな人物ということです。マレーさんも、ロギンスさんもそうした基準に合っているという判断をした、それだけのことだと思います。もう一つ付け加えるなら、ハーバードなどの伝統校は、その伝統を絶えることなく継承するためには、より「濃い履歴」を持った学生を入学させたほうが良いということを経験で知っているのだということはあるでしょう。

 そんなわけで、彼女らをハーバードが合格させたことは驚くには値しません。ですが、3万通を超えるという願書の中から、例えばロギンスさんの願書に「キラリ」と光るものを見つけるのは、大変に難しいことだと思います。ちなみに、ロギンスさんのSAT(国語と数学の統一テスト)のスコアは2400点満点中の2110点だそうです。この数字だけ見ればハーバードの合格圏のやや下であり、また1万人近い膨大な受験者が集中するゾーンでもあると思われます。

 どうしてハーバードは、そこからロギンスさんを「見つけ出した」のでしょうか?

 それは、先ほどのロギンスさん宛の合格通知にあった「選考委員会」のシステムにあると思われます。つまり複数の専門家が、願書の一字一句、それこそ履歴書、エッセイ、推薦状、内申書を徹底的に読み込み、合格基準に合致した学生であるかを評価してゆくのです。大学によっては、一種のポイント制を導入して諸要素を総合評価し、合格ライン以上の学生は信憑性チェックだけでスルーさせる一方で、ボーダー上の学生に関しては一人ひとりの合否について時間をかけてディスカッションして決めるという手順を取っているそうです。

 恐らくハーバードは、こうしたプロセスに最も手間暇をかける大学なのでしょう。ロギンスさんに合格通知を出したというのは、PR効果を狙った思いつきや政治的なメッセージなどではなく、合格判定の精度の高さ、貪欲なまでの人材の発掘力の結果という理解をするべきなのだと思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)、『アメリカモデルの終焉』(東洋経済新報社)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

ニュース速報

ビジネス

インタビュー:EU離脱後の英貿易交渉、慎重に進める

ビジネス

豪CPI、第2四半期は17年ぶり低水準の前年比+1

ビジネス

〔アングル〕中小企業の後継者難に商機、PEファンド

ビジネス

50年債発行検討の事実はない=財務省理財局

MAGAZINE

特集:世界を虜にするポケモンGO

2016-8・ 2号(7/26発売)

世界中で始まったポケモンGOの大ブレイク──。屋外型「カワイイ」ゲームの騒動は社会に何をもたらすか

人気ランキング (ジャンル別)

  • 最新記事
  • コラム
  • ニュース速報
  1. 1

    もし第3次世界大戦が起こったら

  2. 2

    ハーバードが絶賛する「日本」を私たちはまだ知らない

  3. 3

    沖ノ鳥島問題で露呈した日本と中国の共通点

    台湾の漁船拿捕をきっかけに「島か岩か」問題が再…

  4. 4

    数学の「できない子」を強制的に生み出す日本の教育

  5. 5

    ISIS処刑部隊「ビートルズ」最後の1人、特定される

  6. 6

    日本軍と共謀した毛沢東を、中国人はどう受け止めたか?

  7. 7

    米軍は5年前、女性兵だけの特殊部隊をアフガンに投入していた

  8. 8

    英EU離脱に憤る若者たち: でも実は若年層は投票しなかった世代

  9. 9

    ISISはなぜトルコを狙うのか

  10. 10

    英政界にまた衝撃、ボリス・ジョンソンの代わりにこの男??

  1. 1

    レイプ写真を綿々とシェアするデジタル・ネイティブ世代の闇

    ここ最近、読んでいるだけで、腹の底から怒りと…

  2. 2

    共和党と民主党どこが違う

    米大統領選挙は共和党、民主党いずれも党大会を…

  3. 3

    よみがえった「サウジがポケモンを禁止」報道

    <「ポケモンはハラーム」との記事が日本のニュースサ…

  4. 4

    嫌韓デモの現場で見た日本の底力

    今週のコラムニスト:レジス・アルノー 〔7月…

  5. 5

    中国の「反日暴動」がアメリカでほとんど報道されない理由とは?

    先週末から今週はじめにかけて、中国の各地では…

  6. 6

    英国EU離脱は、英国の終わり、欧州の衰退、世界の停滞をもたらす

    英国の国民投票は、EU離脱支持が残留支持を上回り…

  7. 7

    スマホが人間をダメにする

    インターネット時代、スマートフォン時代になっ…

  8. 8

    ジャーナリストが仕事として成り立たない日本

    <トラック運転手をして取材資金を貯めるという桜木武…

  9. 9

    英国EU離脱。しかし、問題は、移民からロボティックスへ

    <世界一のグローバル都市へと成長し、移民が急増した…

  10. 10

    「ブレグジット後悔」論のまやかし

    <ブレグジットの国民投票以降、「EU離脱に投票…

  1. 1

    テスラ車死亡事故、自動運転中にDVD鑑賞の可能性

    米電気自動車(EV)メーカー、テスラ・モータ…

  2. 2

    バングラデシュで襲撃の武装集団鎮圧、外国人ら20人殺害

    バングラデシュの首都ダッカで1日夜、レストラ…

  3. 3

    バングラ事件、邦人7人含む20人死亡 安倍首相「痛恨の極み」 

    バングラデシュの首都ダッカで1日夜、レストラ…

  4. 4

    豪下院選は大接戦、結果判明5日以降に 「宙づり議会」の可能性

    2日に投票が行われた豪総選挙の下院選は、ター…

  5. 5

    バングラデシュ人質事件、日本人は1人救出 7人安否不明

    バングラデシュの首都ダッカのレストランで1日…

  6. 6

    クリントン氏優勢 トランプ氏と差は縮小=米大統領選調査

    ロイター/イプソスが実施した米大統領選の候補…

  7. 7

    バングラデシュ人質事件で日本人7人の死亡確認=菅官房長官

    菅義偉官房長官は2日午後11時半過ぎに会見し…

  8. 8

    邦人犠牲者は20代から80代の男女、菅官房長官「断固として非難」

    菅義偉官房長官は3日午前の記者会見で、日本人…

  9. 9

    イラク首都の爆弾攻撃で約120人死亡、ISISが犯行声明

    イラクの首都バグダッドで3日未明、2回の爆発…

  10. 10

    日本の改正児童福祉法、施設暮らしの子ども救うか

    金属の柵で囲まれた小児用ベッドに寝かされた赤…

 日本再発見 「世界で支持される日本式サービス」
定期購読
期間限定、アップルNewsstandで30日間の無料トライアル実施中!
メールマガジン登録
リクルート
売り切れのないDigital版はこちら

MOOK

ニューズウィーク日本版別冊

0歳からの教育 育児編

絶賛発売中!

コラム

パックン(パトリック・ハーラン)

芸人もツッコめない? 巧みすぎる安倍流選挙大作戦