コラム

「週末も働け」というアップルが必ずしも「ブラック」でない理由

2012年05月09日(水)11時41分

 日本企業の人事制度や就活中の学生に対して、常見陽平氏が発信するメッセージには注目しています。中長期の視点で企業側へ変革を促しながら、短期の視点では学生たちに戦術レベルで有効なサジェスチョンを続ける姿勢に誠実なものを感じるからです。今回アゴラに掲載された『アップルが新入社員に渡すメッセージがブラック企業みたいな件』というコラムも、妙な形で社員のモチベーションを操作しようという日本企業の「ブラック性」に対して若者に警戒せよと呼びかける良心的なものでした。

 ただ、コラムのタイトルにもなっているアップル社の「新入社員向けメッセージ」については、少々注釈が必要と感じたのも事実です。常見氏がフェイスブックで見つけたというそのメッセージはこんな感じです。

"There's work and there's your life's work. The kind of work that has your fingerprints all over it. The kind of work that you'd never compromise on. That you'd sacrifice a weekend for. You can do that kind of work at Apple. People don't come here to play it safe. They come here to swim in the deep end. They want their work to add up to something. Something big. Something that couldn't happen enywhere else. Welcome to Apple."

「仕事には2種類ある。単なる仕事とキミの人生そのものになる仕事の2つだ。人生そのものになる仕事というのは、そのあちこちにキミだけのオリジナリティが指紋みたいに貼り付いているものだ。そういう仕事は妥協とは無縁。一度ぐらい週末を潰す価値もあるかもしれない。そうした仕事がアップルにはある。安全なゲームで満足するヤツはここには来ない。ここに来るヤツはいきなりプールの深いところに飛び込むのと同じだ。とにかくみんな何かを達成したいんだ。何かビッグなこと、他では起こり得ない何かを。アップルはキミを歓迎する。(筆者意訳)」

 確かに常見氏の言うように、この種の「メッセージ」をいきなり新入社員に突きつけるような会社があったら、日本では相当に「ブラック」でしょう。ですが、シリコンバレーのアップル本社「キャンパス」に入社した若者に、仮にこうしたメッセージが渡されるのだとして、そこには「ブラック性」はないのです。

 それはアップルが良心的な会社だからではありません。一般に、アメリカの労働慣行では開発を担当する技術専門職には、労働の「裁量権」というのが認められているからです。時には「週末を潰すぐらいのやりがい」がある、そんな種類のプロジェクトに関わっている技術者には「今日は調子が出ないので3時で帰ってリフレッシュ」とか、「進捗が順調なので金曜は休んで3連休」という自由があるのです。

 つまり、このメッセージは週末を潰せと言っているのではなく、メッセージの全体としては、リスクを取りつつ個人の裁量で思い切りやれと言っているだけなのです。この点が、日本の労働慣行とは全く違います。日本の裁量労働とか「ホワイトカラー・エグセンプション」などが嘘っぱちなのは、労働時間や仕事のペース配分について本当の裁量権を個々人には与えていないからです。

 経営者は自由に頭脳労働してもらいたいなどと言いますが、実態は違います。儀式めいた「全社朝礼」とか「経営方針確認会議」だとかには出なくてはならず、またその都度飛び込んでくる関連部署や取引先からの「問い合わせ」には即答しなくてはなりません。更には下から上へのコミュニケーションでは多くの場合メールではダメで「出向いて報告」が求められるわけで、報告するだけで時間調整や移動の手間がかかったりします。そうした条件下では本当の意味の「裁量労働」などというのは不可能です。

 勿論、シリコンバレーの技術者も好き勝手に遊んでいるわけではありません。アップルの場合、今現在の最も「花形」の職場ということでは、恐らく iPhone6 あたりの「4G 環境での省電源型通信管理ソフト」などを「クアルコムやサムソンの特許に抵触しない」条件で作れというような「特命」を受けたチームになると思います。そうした職場での目標管理は非常に厳しいはずです。所定の目標スペックを量産計画から逆算したXデーまでに達成する、それができればビッグボーナス、ダメならクビというのに近い世界があるのだと思われます。

 いずれにしても、こうした現場での「社員」というのは、大学や大学院で最先端の技術を学んだか、他社から引きぬいた人材で、スタート時点での年俸は8万ドルを下回ることはないでしょう。更に言えば、仮に上層部とケンカしたり運が悪くて低評価になって辞表を出したりしても、労働市場がちゃんとあり、能力さえあれば他社から好条件で迎えられる可能性は十分にあるわけです。

 1つ注意しておかねばならないのは、こうしたメッセージはあくまで高度専門職・管理職向けのものです。例えば「アップルストア」のローカル採用組などには一切適用していないはずです。週末返上うんぬんという部分が労働法規違反に受け取られる恐れもありますが、それ以上に「ビッグな何かができる」という表現が、将来の昇進昇格の可能性を約束しているように受け取られる危険があるからです。

 いずれにしても、日本の労働慣行では、社員に本当の裁量性を与えず、個人が持っている才能を正当に評価もせず、また十分な報酬も保証しない一方で、転職のための労働市場も十分にない、つまり半端な形で終身雇用が残っているわけです。そんな中で、この種のメッセージを出すのはやはり「ブラック」であると言って良いでしょう。出世を人質に作業レベルの仕事を長時間押し付けたり、全人格的な服従を強いたりして、それでも「自発的に」働いてもらうための悪質な洗脳と言われても仕方がないからです。

 この種の「ブラック性」に若者が押し潰される危険も気になりますが、一方で、私としては、日本の産業界が、アップルのような働き方を好む世界の最先端人材を使いこなせないという問題も大変に気になります。優れた才能をグローバルな労働市場から引っ張って来て思い切った権限を与え、自由に仕事をさせるということが、これからのハード・ソフト融合型のIT関連ビジネスには欠かせないからです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)、『アメリカモデルの終焉』(東洋経済新報社)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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