コラム

社会は新型コロナ対策の負担をどう分かち合うのか

2020年04月20日(月)12時30分

真の将来負担と偽りの将来負担

この「政府による大盤振る舞い」という方針に対しては、仮に税制による事後的な調整を前提とした場合でも、単に政治や政策の世界だけではなく一般社会の側からも、「将来負担が拡大するのではないか」という懸念に基づく強い抵抗が生じることが予想される。おそらくだからこそ、現金給付のあり方に対する政府の方針がこれだけ二転三転するのであろう。

確かに、感染拡大抑止のための政府の政策は、単に人々の現時点での所得だけではなく、将来の所得をも減少させる可能性がある。というのは、企業の生産活動停止によって資本財の供給が絶たれれば、企業や政府の設備投資が不可能となり、一国の資本形成が停滞することは明らかだからである。そのようにして資本ストックの蓄積や更新が滞れば、それは必然的に将来における生産および所得の停滞に結びつく。

さらに、感染拡大抑止のために要請される休業や休職の拡大は、それが長引いた場合には、人々の労働に体化されるような人的資本の劣化につながる。企業による労働者の解雇が拡大した場合には、その蓋然性はより強まる。また、経済活動の縮小による企業倒産は、それ自身が企業の持つ経営資源の喪失を意味する。それらはすべて、現在というよりはむしろ将来における生産と所得の縮小に帰結する。

しかしながら、これらはすべて、感染拡大抑止のために社会が受け入れるしかない将来的コストであって、決して「政府による大盤振る舞い」による将来負担ではない。むしろ逆に、政府による企業や家計への十分な支援策によって企業倒産や労働者の失業拡大が効果的に阻止できれば、感染拡大抑止によって生じる将来的な負担は、少なくともその分だけは確実に縮小する。

より一般的には、赤字財政を用いた政府の支援策が将来的な負担につながるケースは確かに存在する。それは、赤字財政によって資本市場が逼迫し、それによって金利が上昇し、民間投資がクラウド・アウトされるような状況である。そこでは確かに、赤字財政は通常、それがどのように生み出されたのであれ、一国の資本形成を停滞させ、一国の将来における生産と所得を縮小させることになる。しかし、そのようなクラウド・アウトのメカニズムが生じない状況では、赤字財政それ自体が将来世代の負担につながることはない。

この論理を最も明確に述べたのは、20世紀を代表する経済学者の一人であるポール・サミュエルソンである。サミュエルソンが政府赤字財政の将来世代負担問題について何を述べていたのかに関しては、筆者は既に、2018年12月10日付本コラム「財政負担問題はなぜ誤解され続けるのか」と2018年12月21日付本コラム「増税があらゆる世代の負担を拡大させる理由」で詳しく紹介しているので、そちらを参照されたい。

ここでは、その要点だけを再論しよう。サミュエルソンは、戦時費用のすべてが増税ではなく赤字国債の発行によって賄われるという極端なケースにおいてさえ、その負担は基本的に将来世代ではなく現世代が負うしかないことを指摘する。というのは、戦争のためには大砲や弾薬が必要であるが、それを将来世代に生産させてタイムマシーンで現在に持ってくることはできないからである。その大砲や弾薬を得るためには、現世代が消費を削減し、消費財の生産に用いられていた資源を大砲や弾薬の生産に転用する以外にはない。将来世代への負担転嫁が可能なのは、大砲や弾薬の生産が消費の削減によってではなく「資本ストックの食い潰し」によって可能な場合に限られるのである。

このサミュエルソンの議論は、感染拡大防止にかかわる政府の支援策に関しても、まったく同様に当てはまる。政府が休業補償や定額給付のすべてを赤字財政のみによって行ったとしても、それが資本市場を逼迫させ、金利を上昇させ、民間投資をクラウド・アウトさせない限り、赤字財政そのものによって将来負担が生じることはない。そして、世界的な金利の低下が進む現状は、資本市場の逼迫や金利の高騰といった経済状況のまさに対極にあるといってもよい。それは、政府が感染拡大防止のために実施した経済的規制措置によって生じている負担の多くは、将来の世代ではなく、今それによって大きく所得を減らしている人々が背負っていることを意味する。そうした人々に対する政府の支援は、まさしくその負担を社会全体で分かち合うための方策なのである。

プロフィール

野口旭

1958年生まれ。東京大学経済学部卒業。
同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。専修大学助教授等を経て、1997年から専修大学経済学部教授。専門は国際経済、マクロ経済、経済政策。『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』(東洋経済新報社)、『グローバル経済を学ぶ』(ちくま新書)、『経済政策形成の研究』(編著、ナカニシヤ出版)、『世界は危機を克服する―ケインズ主義2.0』(東洋経済新報社)、『アベノミクスが変えた日本経済』 (ちくま新書)、など著書多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

ロシア、イラン・イスラエル仲介用意 ウラン保管も=

ワールド

イラン核施設、新たな被害なし IAEA事務局長が報

ビジネス

インド貿易赤字、5月は縮小 輸入が減少

ワールド

イラン、NPT脱退法案を国会で準備中 決定はまだ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:非婚化する世界
特集:非婚化する世界
2025年6月17日号(6/10発売)

非婚化・少子化の波がアメリカもヨーロッパも襲う。世界の経済や社会福祉、医療はどうなる?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロットが指摘する、墜落したインド航空機の問題点
  • 2
    「タンパク質」より「食物繊維」がなぜ重要なのか?...「がん」「栄養」との関係性を管理栄養士が語る
  • 3
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高にかっこいい」とネット絶賛 どんなヘアスタイルに?
  • 4
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 5
    サイコパスの顔ほど「魅力的に見える」?...騙されず…
  • 6
    林原めぐみのブログが「排外主義」と言われてしまう…
  • 7
    若者に大不評の「あの絵文字」...30代以上にはお馴染…
  • 8
    メーガン妃とキャサリン妃は「2人で泣き崩れていた」…
  • 9
    さらばグレタよ...ガザ支援船の活動家、ガザに辿り着…
  • 10
    ハルキウに「ドローン」「ミサイル」「爆弾」の一斉…
  • 1
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 2
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未満」の残念ジャパンの見本市だ
  • 3
    「セレブのショーはもう終わり」...環境活動家グレタらが乗ったガザ支援船をイスラエルが拿捕
  • 4
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 5
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 6
    ファスティングをすると、なぜ空腹を感じなくなるの…
  • 7
    今こそ「古典的な」ディズニープリンセスに戻るべき…
  • 8
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生…
  • 9
    アメリカは革命前夜の臨界状態、余剰になった高学歴…
  • 10
    脳も体も若返る! 医師が教える「老後を元気に生きる…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 3
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山、上野...中国返還のその先
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 7
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 8
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 9
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 10
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story