コラム

健全財政という危険な観念

2017年06月26日(月)17時50分

<インフレ・ギャップが拡大してもいない中で行われる増税などの緊縮策は、1997年や2014年の日本の消費税増税がそうであったように、経済を確実にオーバーキルし、時には致命的な景気悪化をもたらす>

経済本の一ジャンルに、「財政破綻本」とか「国債暴落本」というものがある。その内容はどれも大同小異であり、債務の対GDP比などを示しながら、日本の財政状況が他国と比較していかに悪いかを読者に印象付けた上で、日本経済には近い将来、国債の暴落、金利の急上昇、政府財政の破綻、円の暴落、預金封鎖、ハイパーインフレなどが起きると「予言」するというものである。

こうした本の多くは、事実上は「トンデモ本」に近いものではあるが、それらをすっきりと論破することはなかなか難しい。というのは、本質的に同様なストーリーを語っておきながら、表面的には真面目な専門書として書かれているような本も数多く存在しているからである。さらに、日本の財政破綻の可能性を経済モデルによって「学術的」に示したと称する論文やレポートは、巷に氾濫する国債暴落本と同じくらい枚挙に暇がない。

そうしたことから、日本のマスメディアや経済論壇では長らく、財政破綻のリスクを指摘しつつ増税を通じた財政の健全化を訴えるという論調が主流となってきた。日本の財政当局もまた、そのような見方を陰に陽に流布してきた。その結果、おそらく少なからぬ人々が、日本経済は政府の放漫財政によって破綻への道をひた走っているかのように思い込まされてきたのである。

もちろん他方では、そのような財政破綻論や緊縮主義を批判する議論も、ネットなどを中心にそれなりに存在している。しかし、よく知られた大手メディアで、そうした批判派の見解が肯定的に取り上げられることはほとんどない。おそらく、日本の財政が深刻であることは論議の余地もないほど自明であると考えている人々にとってみれば、財政破綻論や緊縮主義へのあからさまな批判は、きわめて奇矯かつ不健全な考えなのである。

実際には、日本経済にとってこれまで、本当の意味でリスクとなってきたのは、財政の悪化それ自体ではまったくなく、財政の悪化という観念上の思い込みに基づいて実行されてきた財政健全化の試みであった。そのことは、そのような的外れな観念が日本の政治や政策の世界を支配する中で行われた1997年と2014年の消費税増税が、その後の日本経済にどのような帰結をもたらしたかを振り返ってみれば明らかである。1997年の増税は、日本経済が真性の長期デフレ不況に陥る原因の一つとなった。そして2014年の増税は、日本経済が未だにそこから完全に抜け出すことができない原因の一つとなっている

財政破綻論の生みの親としての消費税増税

現在にいたる日本の財政をめぐる論議が始まったのは、バブル崩壊によって日本経済が長期低迷に入った1990年代前半のことである。その理由は明らかであり、それまではバブル景気の拡大を背景とする税収増によって改善していた日本の財政収支が、バブル崩壊後の景気悪化によって急速に悪化し始めたからである。

その時期の日本の財政赤字は、現在から見ればまったく取るに足りないものであった。しかし、財政当局すなわち当時の大蔵省は、そうは考えなかった。大蔵省は、「10年に1人の大物」と呼ばれた斎藤次郎事務次官を司令塔として、盛んに政界工作を展開した。そして、1994年2月に、フィクサーとして政界に君臨していた小沢一郎と相謀って、時の首相であった細川護煕に、消費税を3%から7%に引き上げる「国民福祉税」構想を発表させたのである。

プロフィール

野口旭

1958年生まれ。東京大学経済学部卒業。
同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。専修大学助教授等を経て、1997年から専修大学経済学部教授。専門は国際経済、マクロ経済、経済政策。『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』(東洋経済新報社)、『グローバル経済を学ぶ』(ちくま新書)、『経済政策形成の研究』(編著、ナカニシヤ出版)、『世界は危機を克服する―ケインズ主義2.0』(東洋経済新報社)、『アベノミクスが変えた日本経済』 (ちくま新書)、など著書多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

米中貿易枠組み合意、軍事用レアアース問題が未解決=

ワールド

独仏英、イランに核開発巡る協議を提案 中東の緊張緩

ワールド

イスラエルとイランの応酬続く、トランプ氏「紛争終結

ワールド

英、中東に戦闘機を移動 地域の安全保障支援へ=スタ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:非婚化する世界
特集:非婚化する世界
2025年6月17日号(6/10発売)

非婚化・少子化の波がアメリカもヨーロッパも襲う。世界の経済や社会福祉、医療はどうなる?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高にかっこいい」とネット絶賛 どんなヘアスタイルに?
  • 2
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波でパニック...中国の輸出規制が直撃する「グローバル自動車産業」
  • 3
    サイコパスの顔ほど「魅力的に見える」?...騙されずに「信頼できない人」を見抜く方法
  • 4
    林原めぐみのブログが「排外主義」と言われてしまう…
  • 5
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生…
  • 6
    構想40年「コッポラの暴走」と話題沸騰...映画『メガ…
  • 7
    逃げて!背後に写り込む「捕食者の目」...可愛いウサ…
  • 8
    「結婚は人生の終着点」...欧米にも広がる非婚化の波…
  • 9
    4年間SNSをやめて気づいた「心を失う人」と「回復で…
  • 10
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 1
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 2
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未満」の残念ジャパンの見本市だ
  • 3
    「セレブのショーはもう終わり」...環境活動家グレタらが乗ったガザ支援船をイスラエルが拿捕
  • 4
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 5
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 6
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 7
    ふわふわの「白カビ」に覆われたイチゴを食べても、…
  • 8
    脳も体も若返る! 医師が教える「老後を元気に生きる…
  • 9
    ファスティングをすると、なぜ空腹を感じなくなるの…
  • 10
    アメリカは革命前夜の臨界状態、余剰になった高学歴…
  • 1
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 2
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 3
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山、上野...中国返還のその先
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 7
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 8
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 9
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 10
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story