コラム

クライストチャーチ51人殺害犯の主張に見る「つけ込まれた陰謀論者」の悲哀

2021年11月12日(金)15時45分

だとしても、である。「裁判が不当だった=冤罪だった」という言い分は簡単に信用できない。

日本でも冤罪裁判はしばしばある(そのこと自体問題だが)が、その多くは物的証拠の乏しい事件で、検察がほぼ状況証拠だけで犯人を特定し、長期間の拘留などで精神力を弱らせられた被疑者がありもしない罪を自供したものの裁判で無罪を主張し始める、といったパターンだ。

これに対して、タラントは取調べのなかだけでなく公判の場でも罪を認めている。また、犯行直後に拘束されたタラントには銃器や車といった物的証拠も数多くある。さらに、モスク内で被害者が次々と銃撃されるさまはSNSで配信されたが、それがタラントのアカウントであったことも間違いない。

これだけ揃っていて「裁判の手順が通常でなかった」ことだけを根拠に冤罪を主張するのは説得力が乏しい。

しかも、そこまで言いながらタラントは裁判のやり直しを明確に求めているわけでもない。弁護士は再審請求を助言したというが、これに関してタラントの手記では触れられていない。

だとすると、なぜ

今になって「裁判の不当性」を主張するタラントには、陰謀論を信じる過激派にありがちな精神性を見出せる。

モスク襲撃の直前、SNSにあげていた犯行声明のなかでタラントは「リベラルな政治家や大手メディアが結託して移民を流入させ、白人世界を抹殺しようとする陰謀」について言及していた。これは近年の白人右翼の間で広がっている典型的な陰謀論だが、一般に陰謀論を信じやすい人には、主に3つの特徴があげられる。

(1)不確実性や矛盾なしに現実を理解したい欲求

さまざまな変数が入り乱れる現代社会で、一つの出来事(例えば、なぜ自分の仕事はうまくいかないか)を一つの理由だけで説明することはほぼ不可能で、それを無理にするなら「悪意のある他者の陰謀」(つまり相性の悪い上司が嫌がらせしているからだ、など)という説明が最もシンプルで一貫性をもたせやすい(本当は自分に原因があるのかもしれないし、景気全体の問題かもしれない)。

タラントにとって、「白人世界を守った」と賞賛されるべき自分に終身刑が科される事態は「あってはならないこと」で、これを矛盾なく説明するには「裁判が不当だった」という理由づけが一番もっともらしいかもしれない。

(2)外から干渉されたくない欲求

基本的に陰謀論を信じやすい人は自分に自信がない人が多く、安心感を得るために他者とのかかわりを避けようとするが、それができない場合に「悪意のある誰かの陰謀」がイメージされやすい。

「裁判が不当だった」と言いながらもタラントが再審請求に踏み切らないのは、それが弁護士をはじめとする他者の関与を必要とするから、とみられる。そこに「悪意のある他者」への警戒心の強さを見出せる。

プロフィール

六辻彰二

筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。新著『日本の「水」が危ない』も近日発売

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