底知れぬエジプトの「可能性」を日本が引き出す理由──両国を結ぶ、才と優しさの物語は新章へ

正式開館が待たれる大エジプト博物館を訪れる人々(6月2日、ギザ) Amr Abdallah Dalsh-REUTERS
<時代を超えて新たな文明を生み出し続けてきた原動力、エジプト人が持つ二つの性質とは? そして日本の貢献とは?>
古代の記憶が再び息づこうとしている。ナイルの風がささやくように、時間の砂を超えて現れたのは、偉大なる王たちの夢の欠片だ。
カイロの西、ピラミッドを見渡す丘にそびえる大エジプト博物館。その扉が今、ゆっくりと開かれ、永遠の都が再び光を取り戻しつつある。王の黄金のマスク、神々を象った彫像、淡い砂色に焼けた石碑──それらは数千年の眠りから目覚め、人々に自らの物語を語りかけている。
一方、はるか東の島国・日本でも、ラムセス大王の足跡が静かに熱を帯びている。ラムセス大王展(豊洲のCREVIA BASE Tokyoで2026年1月4日まで開催)の展示会場に並ぶ壮麗な遺物は、ただの展示品ではない。そこには、ファラオが夢見た永遠の王国への祈りが宿っている。訪れる人々は、時空を超えて同じ光景を見つめ、かつてナイルの流れを照らした黄金の太陽を心の中に感じるのだ。
大地を越え、時を越え、古代と現代が出会う──いま、世界は再びエジプトという"記憶の王国"に耳を傾けている。
エジプト、その社会は古代から現在に至るまで進化を遂げてきた。極めて複雑な文化、文明の発展過程を歩み、古代人が築いた文明が失われた後も、時代を超えて新たな文明を生み出し続けてきた。その進化の源となっているのは、私が思うにエジプト人自身が持つ二つの性質によるだろう。
一つ目は「柔軟性」。エジプトが辿ってきた長い歴史を振り返ってみると、この国の人々は自身を取り巻くあらゆる出来事に柔軟に対応し、必死に生き続けてきた。状況に応じて「成す術」を臨機応変に変えていくのはエジプト人が得としていることであろう。
ナーセル大統領やムハンマド・アリの時代のように時には「力」を使うこともあれば、オスマントルコが支配していた時代のように嵐に直接立ち向かわず、現実的なやり方で妥協する道を選んだこともある。大きな時代のうねりの中で、エジプト人という民族はいかなる状況でも柔軟に対応することによって生き続けてきたのだ。