ジョセフ・ナイが遺した「ソフトパワー」...トランプ再登場でその理想も静かに幕を閉じる
THE LOSS OF NYE’S WORLD
ナイは戦後という時代の申し子だ。日本の真珠湾攻撃は彼が5歳になろうとする頃で、連合軍の戦勝パレードがニューヨークで大々的に行われたのは9歳になる1週間前だった。
アメリカの若い世代が自由を守るため立ち上がり、世界を暴政から救い、自国を世界の中心に据えるのを目撃しながらナイは育った。
彼が成人したのは冷戦期で、ソ連は理想化されたアメリカの引き立て役となり、核による破滅の脅威が迫っていた。栄光と犠牲、友情と恐怖、決意といった感情的な力が世界を形成した。
こうした戦いの記憶が薄れるなか、9.11同時多発テロはアメリカに新たな目的意識を与えたが、反射的で過剰な行動も促した。アフガニスタンとイラクでの長い戦争は、侵攻当初の論理や目的をはるかに超えた幻想や誘因、惰性によってあおられた。
この頃になると新世代のアメリカ人は、アメリカの外交政策の大きな勝利を思い出せなくなっていた。ナイが不可避だと認識していたグローバル化は、アメリカの労働者や地域社会に大きな犠牲を強い、前例のない所得格差を加速させた。
安価な商品や、相対的な平和と繁栄といったグローバル化の恩恵は、アメリカ人にとって当然のものになろうとしていた。ナイとコヘインの相互依存の概念は、連帯と運命の共有というビジョンから、避けるべきゼロサムゲームの罠へと変容した。