最新記事
タイ政治

誰が首相になろうと「民意はそっちのけ」...相変わらずエリートが権力争いを続けるタイ政治

Thai Electoral Crisis

2023年8月29日(火)12時56分
アダム・シンプソン(南オーストラリア大学上級講師)
セター・タビシン

3カ月の空白期間を経て首相に選出された貢献党のセターは親軍派と連立した AP/AFLO

<大連立政権が発足し15年ぶりにタクシン元首相が亡命先から帰国...新首相が決まっても波乱の火種はくすぶる、混沌としたタイ政治について>

5月の総選挙から3カ月余り、議会で民主化を阻む動きが多発した後で、ようやくタイの新首相が決まった。だがこの国の政治の混乱を考えるならば、次の出来事のほうが大ニュースかもしれない。

8月22日、議会がタイ貢献党のセター・タビシンを首相に選出する数時間前に、汚職などで有罪判決を受けたタクシン・シナワット元首相が15年ぶりに国外の逃亡先から帰国したのだ。

■【動画】15年ぶりに亡命先から帰国したタクシン元首相

激動の1日はタイの未来と民主化に何を意味するのか。3つの疑問から見ていこう。

タクシンとは何者なのか

タクシン派の諸政党は先の総選挙で革新派の前進党に1位を譲るまで、タクシンが首相に就任した2001年以来、全ての国政選挙で最多議席を獲得した。貢献党もその系譜に連なるタクシン派政党だ。

タクシンは王室や軍の優位を揺るがす人気を誇った。そのため国内で分断が進み、タクシン派の「赤シャツ隊」と王室および軍上層部を支持する「黄シャツ隊」が対立し、抗議活動を繰り広げた。

対立は2度の軍事クーデターを引き起こした。06年のクーデターでタクシンは失脚し、国外に逃れた。プラユット・チャンオーチャー前首相が陸軍司令官として先導した14年のクーデターでは、タクシンの妹インラック・シナワットが首相の座を追われた。

22日、首都バンコクに到着したタクシンは最高裁判所に連行され、8年の刑期を言い渡されて収監された。

新首相誕生の経緯は?

貢献党は5月の総選挙で親軍派とは連立しないと公約した。選挙後は第1党となった前進党の政権樹立を支援した。

ところが事実上、軍事政権が議員を任命した上院で、前進党のピター・リムジャラーンラット党首が首相選出を阻止されると方針を転換。貢献党は実業家セターを独自に首相候補に擁立し、親軍派の2党との連立を発表した。こうしてセターは首相選出に必要な上院の支持を確保した。

貢献党も前進党も軍政を声高に批判したのは同じだ。だが大きな争点である不敬罪に関しては、異なる立場を取った。国王や王妃を批判すれば最高15年の禁錮刑を科されかねない不敬罪を前進党が改正すると誓う一方、貢献党は現状維持を表明した。

不敬罪に対する立場の違いは総選挙で前進党の勝利の決め手となったが、親軍派と保守政党が貢献党の支持に回った理由もここにある。

タイの今後はどうなる?

貢献党から首相が誕生した日にタクシンが帰国したのは、偶然ではない。高齢や病気を理由に彼を早期に保釈させる下地は、既に整いつつある。今後タクシンが政府内で暗躍するのは確実で、セターとの権力争いも危ぶまれる。

次の総選挙は楽勝ではないだろう。貢献党は親軍派を含む11党の大連立を樹立する。これを維持できれば有権者の心をつかむ可能性はある。

だが貢献党は連立から締め出すなどして前進党を裏切り、親軍派を権力から遠ざけるという公約を破って自分の支持者も裏切った。前進党支持者は怒り、首相誕生の数時間後にはタイのSNSで「#NotMyPM(私の首相ではない)」がトレンド入りした。

今回もエリートの反民主化勢力が民意を抑え込んだ。タイの政治は再び波乱の時代を迎えるかもしれない。

The Conversation

Adam Simpson, Senior Lecturer, International Studies, University of South Australia

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.

先端医療
手軽な早期発見を「常識」に──バイオベンチャーが10年越しで挑み続ける、がん検査革命とは
あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

米、メキシコ産トマトの大半に約17%関税 合意離脱

ワールド

米、輸入ドローン・ポリシリコン巡る安保調査開始=商

ワールド

事故調査まだ終わらずとエアインディアCEO、報告書

ビジネス

スタバ、北米で出社義務を週4日に拡大へ=CEO
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:AIの6原則
特集:AIの6原則
2025年7月22日号(7/15発売)

加速度的に普及する人工知能に見えた「限界」。仕事・学習で最適化する6つのルールとは?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    真っ赤に染まった夜空...ロシア軍の「ドローン700機」に襲撃されたキーウ、大爆発の瞬間を捉えた「衝撃映像」
  • 2
    「史上最も高価な昼寝」ウィンブルドン屈指の熱戦中にまさかの居眠り...その姿がばっちり撮られた大物セレブとは?
  • 3
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別「年収ランキング」を発表
  • 4
    エリザベス女王が「うまくいっていない」と心配して…
  • 5
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首…
  • 6
    【クイズ】次のうち、生物学的に「本当に存在する」…
  • 7
    日本より危険な中国の不動産バブル崩壊...目先の成長…
  • 8
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップ…
  • 9
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 10
    イギリスの鉄道、東京メトロが運営したらどうなる?
  • 1
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 2
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 3
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首」に予想外のものが...救出劇が話題
  • 4
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...AP…
  • 5
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 6
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別…
  • 7
    イギリスの鉄道、東京メトロが運営したらどうなる?
  • 8
    エリザベス女王が「うまくいっていない」と心配して…
  • 9
    完璧な「節約ディズニーランド」...3歳の娘の夢を「…
  • 10
    トランプ関税と財政の無茶ぶりに投資家もうんざり、…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事故...「緊迫の救護シーン」を警官が記録
  • 4
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 9
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 10
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中