最新記事

坂本龍一

同じニューヨークで暮らした大江千里が、坂本龍一への追悼文を緊急寄稿「教授、また会う日まで」

TRIBUTE TO MY PROFESSOR

2023年4月13日(木)18時20分
大江千里(ニューヨーク在住ジャズピアニスト)

「教授!」。背後から声をかけると一瞬ギクッとしたように振り返り「君は誰?」と言った。「僕ですよ。大江千里です」すると、「嘘だね。大江千里はそんな髭面じゃないもの。もっと痩せてるし」と怪訝そうだ。

「今、こっちにアパートを借りて、日本と行ったり来たりしてるんです。僕ですよ。ほら」と、帽子を取ると「あっ、本当だ」。

このとき教授がふと思い出したように「ちょうどいいや。今『シェルタリング・スカイ』を完成させたばかりなんだ。千里くん、そこにスタジオがあるので一緒に来てくれないかな? 聴く時間はある?」と僕を誘った。「も、も、もちろんです」

ちょうど夕方に近い時間帯で、スピーカーとニーブの卓の前にチョコンと座り、僕は大音量でその音楽を聴かせてもらった。スピーカーの後ろの窓の外の五番街の渋滞が赤く輝く。

聴き終わるとスケールの大きな強くて譲れない感情のようなものに揺り動かされて涙がぽとぽと床に落ちた。教授に見られると恥ずかしいと思った。教授は知っていたと思うけれど、何も言わなかった。

僕は「ありがとうございます。すぐにアパートに帰り曲を書きます」と告げた。エレベーターに乗ってドアが閉まる直前に、ひょっこり教授が顔をのぞかせて「ありがとうね」と隙間から笑った。

薄暮の中を歩く。さっきの音楽に心が震え涙が止まらなくて、家へ直行しピアノを弾きまくり歌った。

それから何年も時間が過ぎ、当たり前のように教授と会えない日々があり、再び僕がニューヨークに住むようになって、たしか2019年(だったと思う)のこと。友人に連れられて「odo」という和食屋のカウンターで食事をしていると、教授がご家族と一緒にお店に入ってこられたのだ。

トイレに行って便座に座って考えた。ご挨拶しよう。手を洗い鏡で顔を確かめ、席に戻る途中に一度通り過ぎてからまた戻り「おくつろぎのところすみません、大江です」と声をかけた。すると、「そうだよね、逆にこっちから声をかけられなくてごめんね」と教授が立ち上がられた。「ジャズやってるんでしょう? 食えないんじゃない? 大丈夫?」

いきなりのストレートな聞き方で僕も素直に「でも好きだから。頑張って食えるように一生懸命努力してます」。そう答えた。

「ね、LINEを交換しよう」「本当ですか」2人で携帯をくっつけどうしたら交換できるか右往左往やっていると隣の息子さんらしき若い男性が「僕がやってあげますよ」と、QRコードを出して2人を「友達」にしてくれた。

「僕はガンをやったんだよ。信じられる?」「知ってます。もうお元気なんですね」「うん、そうさ」「よかった」そんな会話をした。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米・イランが間接協議、域内情勢のエスカレーション回

ワールド

ベトナム共産党、国家主席にラム公安相指名 国会議長

ワールド

サウジ皇太子と米大統領補佐官、二国間協定やガザ問題

ワールド

ジョージア「スパイ法案」、大統領が拒否権発動
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    「隣のあの子」が「未来の王妃」へ...キャサリン妃の「ロイヤル大変貌」が話題に

  • 3

    「裸に安全ピンだけ」の衝撃...マイリー・サイラスの過激衣装にネット騒然

  • 4

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 5

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイ…

  • 6

    「まるでロイヤルツアー」...メーガン妃とヘンリー王…

  • 7

    「すごく恥ずかしい...」オリヴィア・ロドリゴ、ライ…

  • 8

    時速160キロで走行...制御失ったテスラが宙を舞い、4…

  • 9

    日本とはどこが違う? 韓国ドラマのオリジナルサウン…

  • 10

    中国の文化人・エリート層が「自由と文化」を求め日…

  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 3

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 4

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 5

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 6

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 7

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 8

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 9

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイ…

  • 10

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中