最新記事

イギリス

庶民に「節約と我慢」せよと説く大富豪のスナク首相...イギリスに「不満の冬」迫る

The Band Playing On

2022年11月2日(水)17時27分
ベン・ウェリングズ(豪モナーシュ大学上級講師)
英スナク首相

ブレグジットをめぐる混乱の最中ジョンソンが就任してから、首相はこれで3人目。スナクは英経済を立て直せるか(10月25日、首相官邸前で) HANNAH MCKAYーREUTERS

<イギリス史上初のインド系首相スナク氏は資産家のエリート。国民の苦境と保守党不信への対処に、エリートの真価が問われる>

英与党・保守党の党首選でリシ・スナク元財務相が唯一の候補者となり、党首および首相就任が決まると、イギリス中が安堵のため息をついた。「ボリス・ジョンソンが復帰しなくてよかった!」と。

「物価高に苦しむ国民を救うためカリブ海のバカンスを早めに切り上げた」という売り込み文句が政治的にいただけないのは誰でも分かりそうものだ。ところがどっこいジェーコブ・リースモッグ下院議員ら熱烈なブレグジット支持派やジョンソンびいきの一部メディアは、元首相のカムバックを大っぴらに応援した。

ジョンソンはいかにも彼らしく自身の復帰のチャンスを大げさに騒ぎ立てたが、性懲りもない自己宣伝が裏目に出て土壇場で出馬を取り下げることに......。それにしてもカオス的な政権運営で鳴らす人物なら、カオスと化した英政治を救えると一部の党員が本気で考えたとしたら、その事実そのものが保守党を揺さぶるイデオロギー的な分断の深さを物語っている。

名乗りを上げたもう1人、ペニー・モーダントは推薦議員の数が立候補基準の100人にわずかに及ばず出馬を断念した。前回の党首選では党員全体の投票でポピュリズム的な公約を掲げるリズ・トラスが選出され、首相に就任するや経済を大混乱に陥れたため、その苦い経験から厳しい出馬基準が設けられたのだ。

スナクの首相就任は社会的には画期的な出来事だ。アジア系、さらには非白人の首相が誕生したのはイギリス史上初めて。この快挙は2000年代半ば、当時は野党だった保守党の若き党首、デービッド・キャメロンが進めた党内改革の成果とも言える。保守党は女性や非白人の人材を積極的に指導部に登用。19年にはカトリック教徒であることを公表した初の首相、ジョンソンの下でスナクが初のヒンドゥー教徒の閣僚となった。

目前に迫る「不満の冬」

とはいえ今のイギリスの階層・所得格差を見れば、初のインド系首相誕生の意義も吹き飛んでしまいかねない。ジョンソン同様、スナクも一生カネに困らない身分だ。それゆえスナクが打ち出す経済政策は国民にはすんなり受け入れられそうもない。腐るほどカネがある人間が、物価高に悲鳴を上げている国民に節約と我慢を説いたところで誰が耳を貸すだろう。

さらにジョンソン同様、スナクも私立のエリート校の出身だ。スナクの母校は歴代の首相を輩出したイートン校ではなく、ウィンチェスター校だが、由緒ある男子全寮制の英才教育校であることに変わりはない。

このことは新首相に対する国民の見方に影響を与えるだろう。多くのイギリス人は、保守党を富裕層による富裕層のための政党と見なしている。イギリスが直面する危機の深刻さは、少数の特権階級である保守党の政治家には実感できないと思われているのだ。

スナクを待ち受ける課題は山ほどある。最優先すべきは物価高騰とエネルギー危機への対処だが、ブレグジットもいまだにこの国の政治経済に影を落としている。国民が暖房もままならない「不満の冬」を迎えようとしている今、EU離脱が残した問題にどう向き合うか。その手際でスナクの評価が決まるだろう。

スナクが自由に使えるはずの切り札は、トラス流の新自由主義の経済政策、いわゆる「トラソノミクス」の大コケで効力が大幅に失われている。それでもスナクはトラスよりは長く政権交代後の「ハネムーン期間」を享受できるだろう。彼が首相になったことで保守党の強固な支持基盤の一角を成す債券投資家は落ち着きを取り戻した。とはいえ世論の今後の評価は不透明だ。

19年6月の党首選以降、保守党の党首、すなわち首相が交代するのはこれで2度目。その間、総選挙は19年末を最後に行われていない。その意味でスナクは有権者の信任を得た首相とは言い難い。

元凶は支持基盤の分断

総選挙の実施を求める声は高まっている。だが世論調査で保守党は野党の労働党に大幅に差をつけられて2位に転落しており、スナクは選挙の実施をできるだけ先に延ばそうとするだろう。

そんな試みは、いわば沈みゆくタイタニック号の甲板でデッキチェアの位置を微調整するようなもの。このままでは保守党の沈没は避けられそうもない。保守党が抱える問題の一部は構造的なものだ。それはイギリスに限らず先進国の中道右派政党に共通の悩み、すなわち「イデオロギー的な分断」で、今やこの問題は一層深刻になりつつある。

実は、この問題は中道左派政党の弱体化を招いた元凶でもある。中道左派政党はここ20年ほど、支持基盤の分断に頭を抱えてきた。一方には環境問題などに関心を持つ高等教育を受けた都市生活者がいて、もう一方にはかつての名残で今も渋々社会民主主義を支持している斜陽化する製造業の労働者がいる。この両陣営が自分たちのニーズや関心事を主張してやまないのだ。

今はこうした分断が右派政党も揺るがしているようにみえる。保守党は英下院で安定多数議席を確保しており、それだけ見るとスナク政権は安泰のようだが、世論調査の結果は保守党が沈みゆく船であることを示している。

スナクの舵取りで保守党と英経済の沈没が防げるか。まずはお手並み拝見だ。

The Conversation

Ben Wellings, Senior Lecturer in Politics and International Relations, Monash University

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.

ニューズウィーク日本版 高市早苗研究
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2025年11月4日/11日号(10月28日発売)は「高市早苗研究」特集。課題だらけの日本の政治・経済・外交を初の女性首相はこう変える

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら



今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

高市首相「首脳外交の基礎固めになった」、外交日程終

ワールド

アングル:米政界の私的チャット流出、トランプ氏の言

ワールド

再送-カナダはヘビー級国家、オンタリオ州首相 ブル

ワールド

北朝鮮、非核化は「夢物語」と反発 中韓首脳会談控え
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:高市早苗研究
特集:高市早苗研究
2025年11月 4日/2025年11月11日号(10/28発売)

課題だらけの日本の政治・経済・外交を初の女性首相はこう変える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読み方は?
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    【クイズ】1位は「蚊」...世界で「2番目に」人間を殺…
  • 5
    【ウクライナ】要衝ポクロウシクの攻防戦が最終局面…
  • 6
    だまされやすい詐欺メールTOP3を専門家が解説
  • 7
    【クイズ】12名が死亡...世界で「最も死者数が多い」…
  • 8
    海に響き渡る轟音...「5000頭のアレ」が一斉に大移動…
  • 9
    必要な証拠の95%を確保していたのに...中国のスパイ…
  • 10
    【ロシア】本当に「時代遅れの兵器」か?「冷戦の亡…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読み方は?
  • 4
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
  • 5
    【話題の写真】自宅の天井に突如現れた「奇妙な塊」…
  • 6
    【ウクライナ】要衝ポクロウシクの攻防戦が最終局面…
  • 7
    中国レアアース輸出規制強化...代替調達先に浮上した…
  • 8
    女性の後を毎晩つけてくるストーカー...1週間後、雨…
  • 9
    【クイズ】1位は「蚊」...世界で「2番目に」人間を殺…
  • 10
    熊本、東京、千葉...で相次ぐ懸念 「土地の買収=水…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になり…
  • 5
    「大谷翔平の唯一の欠点は...」ドジャース・ロバーツ…
  • 6
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 7
    増加する「子どもを外注」する親たち...ネオ・ネグレ…
  • 8
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
  • 9
    バフェット指数が異常値──アメリカ株に「数世代で最…
  • 10
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中