「金正恩死亡説」は眉に唾して聞け
The Brief Death of Kim Jong-Un
しかも今はアメリカとの関係が冷え込んでいるから、北朝鮮の崩壊で約2万8500の在韓米軍が北上してくる事態は避けたい。中国北東部には朝鮮系の住民が多いが、彼らに対する韓国の影響力が強まるのも困る。
アメリカはどうか。ドナルド・トランプ大統領は、金正恩と個人的な関係を深めれば北朝鮮の脅威を回避できると今なお信じている。だから昨年9月には、北朝鮮に核兵器の放棄を迫る国家安全保障担当補佐官のジョン・ボルトンを突如として解任した。昨年2月にベトナムの首都ハノイで開かれた第2回米朝首脳会談は物別れに終わったが、3回目の首脳会談が年内に(もちろんトランプが11月の選挙で首尾よく再選を果たした後に)開かれる可能性はある。
それに、北朝鮮の崩壊で傷つくのはトランプのエゴだけではない。金正恩の愛する核兵器や、あの国が隠し持つ化学兵器や生物兵器などが国外に流出し、反米的なテロ組織などの手に渡れば、アメリカの安全も大きく傷つくことになる。
仮にアメリカで政権交代があっても、こうした事情に変わりはあるまい。民主党の大統領候補にほぼ確定している前副大統領のジョー・バイデンは北朝鮮から「狂犬病にかかった犬(だから殴り殺されて当然)」と罵倒されているが、それでも一定の条件が整えば金正恩との会談に応じる姿勢を見せている。
ともかく北朝鮮で何が起きるかは分からない。かつて英国のウィンストン・チャーチルは旧ソ連の権力闘争をカーペットの下で争う2匹のブルドッグに例え、「部外者に聞こえるのはうなり声のみ」で、「下から飛び出てくる骨を見るまで勝ち負けは分からない」と評したが、まさにそのとおり。北朝鮮の内部で起きていることに関して、私たちの知り得る情報は少な過ぎる。だから、どんな分析も眉に唾して聞くべきだ。
4月の韓国総選挙で脱北者として初めて国会議員に選ばれた太永浩(テ・ヨンホ、かつては北朝鮮のエリート外交官だった)の証言によれば、同国の外務省でさえ金正日の死去(2011年)を知らされたのは公式発表のわずか1時間前だったという。筆者自身も、ある北朝鮮当局者から、官僚でも同じ建物の別なフロアで何をしているかを知らされていないと聞いたことがある。体制内にいる人でさえ、何も知らされていないのだ。
それでもアメリカ政府には諜報機関からの報告が上がってくるだろうし、現地のスパイや軍事衛星の映像から得られる情報もある。だから、いわば月面の地形を見分けるくらいのツールはある。しかし私たちに望遠鏡はない。知ったかぶりは禁物だ。
©2020 The Slate Group
<本誌2020年5月19日号掲載>
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