最新記事

いとうせいこう『国境なき医師団』を見に行く

マニラのスラムでコンドームの付け方さえ知らない人へ

2017年3月28日(火)14時45分
いとうせいこう

外に出ると、風の渡る集会所にはあふれんばかりの人がいた。子供を作る年齢を少し超えていそうな中年男性もいて、道端に立ったままノートにメモを付けていた。あとで谷口さんが話を聞いたらしいが、もう今以上子供を作れば貧しさが深まるばかりだと切実な思いだったようだ。

マイクは別の「女性」に渡っていた。

今カッコをつけたのは彼女が生物学的には男性だろうからだった。しかし髪を伸ばし、口紅をつけ、メイクをし、女性的な仕草で彼女はしゃべった。どうすれば女性が女性の体を守れるかについて、彼女の説明はタガログ語のわからない俺にもいかにもうまく聞こえたし、実際に聴衆はまじまじと見た。


誰一人、彼女の性別を気にしたり、ましてや嘲笑する者はいなかった。

問題は語られている内容であり、それを伝えたい者の熱意であった。フィリピンではたぶんそういうジェンダーがあって当たり前なのだ。

俺はそのことに何より感動し、同時にスラムの中にあるそうした自由な性の先進性と、一方でファミリープランニングの具体例を知らないという事実の住み分けに戸惑った。

しかし「オカマ」だ、「オネエ」だと性同一性の不一致を笑って遠ざける近代の日本人的不健康さが彼らに一切ないことは明らかで、それが差別だらけの世界の中で光明のように俺の心を救ったのは確かなのであった。

itou20170327191305.jpg

きちんとメモを取り始める中年男性

追記

さてここで、シリーズ1で訪問したハイチの現在の状況を少し書かせていただく。

【参考記事】いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く1

昨年10月に大型ハリケーン、マシューがハイチを直撃し、いきなり800人以上の死者が出た。俺の出会ったスタッフたちもこの深刻な事態の中で力を尽くしたことだろう。

谷口さんに調べてもらったところでは、昨年12月中旬になっても南西部の被災者に住まい、食料、安全な水がないそうで、いったん活動をハイチ政府に引き継いだ場所でも、MSFは一部で医療活動を再開。

今年1月には山間部1万世帯を対象にヘリコプターで住居再建のための資材を提供し始めたとのことである。

幸いなのはコレラの新規患者の増加が12月初旬から沈静化したこと。

ただし一方で「性暴力被害専門クリニックの患者さんが増加の一途をたどっています。特に、未成年で被害に遭った方が多く、その割合の高さ(半数以上)に、現地スタッフも衝撃を受けているとのこと。CNNがオンラインで写真特集を組んでいます」ということで、これは本当に胸が痛い。

CNN:Survivors of Haiti's rape crisis

profile-itou.jpegいとうせいこう(作家・クリエーター)
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。著書に『ノーライフキング』『見仏記』(みうらじゅんと共著)『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)など。『想像ラジオ』『鼻に挟み撃ち』で芥川賞候補に(前者は第35回野間文芸新人賞受賞)。最新刊に長編『我々の恋愛』。テレビでは「ビットワールド」(Eテレ)「オトナの!」(TBS)などにレギュラー出演中。「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務め、浅草、上野を拠点に今年で9回目を迎える。オフィシャル・サイト「55NOTE

※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

EUに8月から関税30%、トランプ氏表明 欧州委「

ビジネス

GMメキシコ工場で生産を数週間停止、人気のピックア

ビジネス

米財政収支、6月は270億ドルの黒字 関税収入は過

ワールド

ロシア外相が北朝鮮訪問、13日に外相会談
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:大森元貴「言葉の力」
特集:大森元貴「言葉の力」
2025年7月15日号(7/ 8発売)

時代を映すアーティスト・大森元貴の「言葉の力」の源泉にロングインタビューで迫る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 2
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首」に予想外のものが...救出劇が話題
  • 3
    完璧な「節約ディズニーランド」...3歳の娘の夢を「裏庭」で叶えた両親、「圧巻の出来栄え」にSNSでは称賛の声
  • 4
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 5
    イギリスの鉄道、東京メトロが運営したらどうなる?
  • 6
    主人公の女性サムライをKōki,が熱演!ハリウッド映画…
  • 7
    【クイズ】未踏峰(誰も登ったことがない山)の中で…
  • 8
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に..…
  • 9
    トランプ関税と財政の無茶ぶりに投資家もうんざり、…
  • 10
    日本人は本当に「無宗教」なのか?...「灯台下暗し」…
  • 1
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 2
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 3
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...APB「乗っ取り」騒動、日本に欠けていたものは?
  • 4
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に..…
  • 5
    「飛行機内が臭い...」 原因はまさかの「座席の下」…
  • 6
    アリ駆除用の「毒餌」に、アリが意外な方法で「反抗…
  • 7
    完璧な「節約ディズニーランド」...3歳の娘の夢を「…
  • 8
    トランプ関税と財政の無茶ぶりに投資家もうんざり、…
  • 9
    為末大×TAKUMI──2人のプロが語る「スポーツとお金」 …
  • 10
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事故...「緊迫の救護シーン」を警官が記録
  • 4
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 9
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 10
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中