最新記事

ロシア

金持ちロシアは北方領土を手離さない

04年にプーチン政権の二島返還案を日本が蹴った後、ロシアが領土問題で譲歩する理由は減る一方

2009年5月12日(火)20時23分
ケビン・オフリン(モスクワ)

平行線 領土問題の解決を主張する小泉純一郎首相に対し、プーチン大統領は経済交流に固執した(05年7月、英グレンイーグルスで) Pool-Reuters

 11月20日、日本の小泉純一郎首相はロシアのウラジーミル・プーチン大統領を東京で迎え、両国の経済・文化交流について友好的に意見交換するはずだ。

 しかし一つ(4つというべきかもしれない)の問題が、マクベスにとりついたバンクォーの幽霊のように、2人を悩ませるにちがいない。領有権をめぐり両国が半世紀近く争っている北方領土(南クリル諸島)という幽霊が。

 その幽霊は、会談後も消えることはないだろう。日本が喜ぶような結果が下されることは、今回もない。いや、この先も当面ないと思っていい。なぜなら5年ぶりに日本に降り立つプーチンは、劇的な変貌を遂げた、まったく違う国からやって来るからだ。

 98年の通貨危機の影響を引きずっていた5年前と違い、今のロシアには潤沢なカネがある。最近の原油高騰で莫大な債務を返済し、ルーブルの乱高下を防ぐ通貨安定化基金の残高も着実に増加している。それがロシアに独立心を芽生えさせ、ときに傲慢な振る舞いを国際社会で取らせている。

「ロシアの立場は非常に強くなった」と、日ロ両国で研究生活を送ったことのある米ウェスリアン大学のピーター・ラトランド教授(政治学)は言う。「国内にカネがあり余っている」

 つまり資金援助と引き換えに北方領土の返還を実現するという、日本の古典的な戦略はもう通用しない。ミハイル・フラトコフ首相は10月、今回の首脳会談を見据え、北方領土の新たな整備計画を承認した。この先10年で5億米ドル以上に相当する資金を投入する。

 少なくとも今後3年は、ロシア国内の政治的な理由が領土交渉の進展を妨げる。

 プーチンは今、07年の議会選挙と08年の大統領選を最重視している。「プーチンは領土問題を解決したがっているが、優先順位は高くない」と、世界経済国際関係研究所のセルゲイ・チュフロフ主任研究員は言う。「目下の関心は後継者を誰にするか。他の問題でよけいなリスクは負いたくない」

 憲法を改正しないかぎり、プーチンに3期目はない。ボリス・エリツィン前大統領がプーチンを後継者に指名したときのように、今度もクレムリンは混乱なく後任を据えたいと考えている。もし想定外の人物が大統領になった場合、石油会社ユコスのミハイル・ホドルコフキー元社長など、プーチンは自分が投獄した政敵に復讐されるおそれがある。

「極東問題」の解決に利用された日本

 原油高騰で経済が好調とはいえ、ロシアはひと握りの富裕層とその他大勢の貧困層とに分断されている。自由主義経済を推し進め、年金や医療にメスを入れたことには、プーチンも国民の反発を買っている。これに北方領土問題が加われば、人気が急落しかねない。

 さらに重要なのは、プーチン政権が大国ロシアの復活を掲げていることだ。ソ連時代の国歌を復活させたことは、その象徴といえる。1612年にポーランドとリトアニアの軍隊がモスクワから撤退したのを記念して、今年から11月4日を「民族統一の日」に制定したのも、ナショナリズムの強化を図るプーチン流の戦略だろう。

「常に強いロシアの復活を訴えている大統領が選挙前に領土を引き渡せば、敗北は目に見えている」と、モスクワの投資銀行トロイカ・ジアログのエブゲニー・ガブリレンコは言う。

 ロシア国民は心的外傷後ストレス障害(PTSD)を患っていると、チュフロフは言う。ソ連崩壊後、彼らは広大な領土を手放した。もし北方領土も失えば、面積にしてロシア全土のわずか0・029%とはいえ、過去の悪夢がフラッシュバックする。

 こうした政治的な理由以外にも、ロシアにとって北方領土は戦略的、経済的に重要だ。死活的な漁業権を確保できるうえ、ロシア議会の最近の報告書によれば、豊富な鉱物資源も眠っている。

 とりわけ重要なのは、四島がロシアにとってオホーツク海を守る要衝という事実だ。もし日本側に渡せば、アメリカの原子力潜水艦が悠然と出入りすることになると、軍事アナリストのパベル・フェルゲンハウエルは言う。

 それでもプーチン政権は、問題解決を模索してきた。セルゲイ・ラブロフ外相とプーチンが04年11月、56年の日ソ共同宣言に基づき二島を返還すると言及したのは思い切った動きだった。

 その裏にはロシアの地政学上、最大の悩みである極東地域をなんとかしたいとの思惑があった。

 極東地域やシベリア地方は経済発展から取り残され、急激に過疎化が進んでいる。「年を追うごと、月を追うごとに人口が減っている」と、チュフロフは言う。その一方で、合法・不法を問わず中国からの移民流入が止まらない。住民も政治家も、極東地域は中国に奪われるのではないかと懸念している。

 この「極東問題」を解決できるか否かが、ロシアという国家の行方を大きく左右すると、カーネギーモスクワセンターのドミトリー・トレーニン副所長とワシリー・ミヘーエフ教授は今年の報告書で書いている。

 2人は解決策として、日本の技術力と投資を呼び込むことを提言する。ロシアでは日本に好意的な感情をいだく人が多い。とくに極東地域の住民の4割以上は、日本を最も好きな国にあげている。

 ところがロシアは問題解決の一環として、日本ではなく中国へ接近した。04年、ロシアと中国は長年の懸案だった国境をすべて画定。協定にはロシアがウスリースク川流域の一画を手放すことも盛り込んだ。国内からは裏切り者と非難する声も上がったが、プーチン政権はそうした非難を一蹴できるほど強固だった。

中国とロシア連合でアメリカに対抗

 中国とロシアはここにきて、ますます親密度を増している。ロシアにとって中国は、アメリカの覇権主義に対抗するパートナーとしても、貿易のパートナーとしても欠かせない存在になりつつある。

「中国が日本以上に重要なパートナーであることをロシアは理解している」と語るフェルゲンハウエルは、その理由をロシアが中国を日本以上の脅威とみているからにほかならないと強調する。

 中国は03年に世界第2位の石油消費国に浮上し、今後はロシアにとって日本以上の上顧客になると考えられている。そのためロシアは、シベリアの石油パイプラインを建設するにあたり、日本ではなく中国が支持するルートを優先する方向に傾きはじめている。

 極東におけるロシアの関心が日本から中国に移り、経済面でも日本の重要性が低下しつつある今、果たして日本に四島を取り戻すすべはあるのだろうか。

 ロシアの専門家の多くは、近い将来解決する可能性は低いという意見で一致する。

 チュフロフによれば、04年11月にシグナルを送った二島返還案が即座に拒絶され、ロシアは大きなショックを受けた。大統領にとっていかに勇気ある提案だったか、日本は理解していないと彼は言う。フェルゲンハウエルも、ロシアが日本に歩み寄るのは中ロ関係が悪化した場合だけと指摘する。

 実現性の高い解決策としてカーネギーモスクワセンターは、二島返還に「アメ」を組み合わせたプランを提案する。二島を返還したうえで、四島すべてで日本企業が自由に活動することを認める。そして残る二島の帰属問題は50年後に再検討する、というものだ。

 クレムリンの内情に詳しい政治コンサルタントのセルゲイ・マルコフによると、大国の復活をめざすロシアに日本はできるだけ手を貸したほうが得策だという。「ロシアは自分たちが弱い間は四島を手放さない。弱さを認めることになるからだ」と、マルコフは言う。「日本の支援で大国に復活すれば、返還に踏み切るだろう」

 今のように関係が冷え込んだまま大国ロシアが復活したら、日本が四島を取り戻すチャンスはゼロになるかもしれない。

[2005年11月23日号掲載]

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

テスラがインド市場参入、「モデルY」を7万ドルで販

ビジネス

訪日客の売り上げ3割減 6月、高島屋とJフロント

ビジネス

ヤゲオ、芝浦電子へのTOB期間を8月1日まで延長 

ワールド

トランプ政権、不法移民の一時解放認めず=内部メモ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:AIの6原則
特集:AIの6原則
2025年7月22日号(7/15発売)

加速度的に普及する人工知能に見えた「限界」。仕事・学習で最適化する6つのルールとは?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    真っ赤に染まった夜空...ロシア軍の「ドローン700機」に襲撃されたキーウ、大爆発の瞬間を捉えた「衝撃映像」
  • 2
    「史上最も高価な昼寝」ウィンブルドン屈指の熱戦中にまさかの居眠り...その姿がばっちり撮られた大物セレブとは?
  • 3
    日本より危険な中国の不動産バブル崩壊...目先の成長だけ追い求め「失われた数百年」到来か?
  • 4
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別…
  • 5
    エリザベス女王が「うまくいっていない」と心配して…
  • 6
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首…
  • 7
    【クイズ】次のうち、生物学的に「本当に存在する」…
  • 8
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップ…
  • 9
    「このお菓子、子どもに本当に大丈夫?」──食品添加…
  • 10
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 1
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 2
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 3
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首」に予想外のものが...救出劇が話題
  • 4
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 5
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...AP…
  • 6
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別…
  • 7
    イギリスの鉄道、東京メトロが運営したらどうなる?
  • 8
    エリザベス女王が「うまくいっていない」と心配して…
  • 9
    完璧な「節約ディズニーランド」...3歳の娘の夢を「…
  • 10
    トランプ関税と財政の無茶ぶりに投資家もうんざり、…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事故...「緊迫の救護シーン」を警官が記録
  • 4
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 9
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 10
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中