転機は『焼肉ドラゴン』...日本の演劇に魅了され、在日の物語を韓国に届ける女優コ・スヒの挑戦

大阪弁か標準語かも分からない状態で稽古
日本の舞台に立つことを決意したコ・スヒだったが、大きな壁があった。一つは、韓国人キャストにとって共通の問題「言葉の壁」である。『焼肉ドラゴン』のセリフは、関西地方の「大阪弁」が用いられている。日本語が全く分からなかったという初演当時、セリフを覚えること自体が至難の業であったと振り返る。
「当時は日本語が全く分からなかったので、大阪弁のセリフなんですけども、正直それが大阪弁なのか標準語なのかすらも分からない状態で、とにかく言われた通りに喋っていたという感じでした」
さらに、セリフを覚えるのとは別に、演劇的な表現における文化の違いにも直面したという。本作には、在日コリアン一家の悲哀のなかにユーモアが散りばめられているが、その「笑い」の機微を捉えることに苦労したと明かす。
「日本の、特に関西特有のお笑いのコードというか、笑いのツボみたいなところが分からなくて、それに苦労したというのはありますね」
口コミから話題が広まり圧倒的な支持へ
だが、一番大変だと思ったのは、演技の中心となる役作りだったという。
「自分にあてがわれた高英順(コ・ヨンスン)という母親役自体がすごく難しいものだったので、まずは自分がこれをちゃんと消化できるかという部分が一番心配でした」
自身よりひと回り近く年上、しかも異国に渡って4人の子供をもつという役を、全く分からない日本語で演じるのは大変だったに違いない。しかし、その懸命な努力は、観客の心に届き、口コミで話題が広まり圧倒的な支持で迎えられた。
初演の『焼肉ドラゴン』は、大反響を呼び、日韓両国で数々の演劇賞を受賞した。日本では、第16回読売演劇大賞で大賞・最優秀作品賞に輝き、コ・スヒも優秀女優賞を受賞するという快挙を成し遂げた。これは、日本出身以外の俳優が受賞した初めてのケースであった。
「最初にこの話を聞いたときは、このカンパニー(出演者や演出家、スタッフなど全ての公演関係者のこと)から、ねぎらいの冗談なのかなと思いました。正直、韓国でもあまり賞には縁がない人生だったんです。2006年に韓国で東亜演劇賞演技賞をもらっていましたけど、その後に『焼肉ドラゴン』で日本で賞をいただくことになったので、一体私の人生に何が起こっているんだろう?と感じました」
14年ぶりの公演に全力を尽くす
こうして大成功を収めた『焼肉ドラゴン』とコ・スヒだったが、2016年の三演ではキャストが一新。鄭義信が監督をした2018年の映画版ではさらにキャスティングが変わり、もうコ・スヒのいる『焼肉ドラゴン』は見られないのかとファンは悲しんだ。
「実は2016年の三演にも参加する予定だったんです。ところが母が倒れてしまって、ずっとそばで面倒を見なければならなくなり、残念でしたがお断りして参加しないことになりました」
それだけに、今回14年ぶりでカムバックを果たした喜びは記者会見でも表れていた。彼女は開口一番「コ・スヒがヨンスンを演じる焼肉屋がオープンします!」と力強く話していた。
「本当に期待していましたし、この公演が『焼肉ドラゴン』としてのファイナル上演になるという話もあったので、もう何よりも全力を尽くして、できる限りのことをこの公演のためにやりたいと思いました」





