最新記事

日本社会

20万円で売られた14歳日本人少女のその後 ──「中世にはたくさんの奴隷がいた」

2021年7月18日(日)08時35分
清水 克行(明治大学商学部 教授) *PRESIDENT Onlineからの転載

息子の非情な運命を知った母は塚のまえで悲嘆に暮れるが、最後にわずかな救いとして、大念仏の声に混じって微かながら梅若丸の声とその姿が現れ、幻想的な気配を残したまま物語は終局を迎える。

この作品の場合は、「自然居士」と違って、人買い商人に騙されて売られてしまったケースであるが、似たような能は数多い。それだけ、当時の社会で人身売買はありふれた「悲劇」であったということなのだろう。

人間ひとり20万円で売り買いされていた

当時、売られた男女は「下人(げにん)」とよばれる奴隷とされ、裕福な家の召使いとして使役されることになった。非人間的な「奴隷」としての扱いである。

ちなみに、当時の人身売買の標準相場は一人につき銭二貫文。現代の価値には単純に換算できないが、米相場から類推すれば、一貫文はおよそ10万円ぐらい。つまり、わずか20万円ほど、安い中古バイク一台ていどの値段で、人間ひとりが売買されてしまうのである。

鎌倉後期、大隅(おおすみ)国(現在の鹿児島県東部)の建部清綱(たけべきよつな)という武士が、財産を子供たちに相続させるために作成した財産目録が残されている(『禰寝(ねじめ)文書』)。

それなどを見ると、彼の所有していた下人は、なんと95人にものぼる。なかには下人同士で夫婦や家族を構成していた例も9組(27人)あり、おそらく彼らについては、独立して住居を営んでいたのだろう。ただ、独身男性18人・独身女性22人・父子家族3組(7人)・母子家族9組(21人)については、建部氏の館のなかで共同生活を強いられていた可能性が高い。

東国はフロンティア

こうした富豪による大土地経営が大規模に展開されたのが、とくに東北地方だった。

当時、畿内や西日本は政治・経済の中心地であったということもあり、田畑の開発は限界近くまで進み、飽和状態に近かったが、東北地方はいまだ未開の荒野が広がるフロンティアだったのである。そこにはまだ土地は無限にあり、労働力を投下すればするだけ、富を生み出す余地があった。

さきの「自然居士」で、人買いたちが大津から琵琶湖を渡ろうとしたことを思い出してほしい。彼らは少女を最終的には陸奥国へ売り飛ばそうとしていたのである。また「隅田川」でも、梅若丸はやはり都から武蔵国へと連れられていった。

当時、身売りしたり、かどわかされた少年・少女は、フロンティアである東国に投入されるというのが定番だったのだ。

そのためか、陸奥国の戦国大名伊達稙宗(だてたねむね・1488~1565)が定めた領国内の法律(分国法)には、下人の所有をめぐる主人間のトラブルに関する規定が具体的で目立って多く、逆に土地領有をめぐる規定は少なく、内容も形式的である。

それだけ当時の東北地方では、労働力の奪い合いが紛争の焦点になっていたのだろう。中世末期の日本の農業開発は、彼ら下人たちの辛苦で担われていたのである。

飢饉で認められた「人身売買」の特例措置

それにしても、人間をまるでモノのように売買する「人身売買」などと聞くと、現代に生きる私たちは、まったくおぞましい忌むべき話にしか感じられない。ところが、話はそう簡単に善/悪で割り切れるものではなかった。

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ビジネス

米財務長官、FRBに利下げ求める

ビジネス

アングル:日銀、柔軟な政策対応の局面 米関税の不確

ビジネス

米人員削減、4月は前月比62%減 新規採用は低迷=

ビジネス

GM、通期利益予想引き下げ 関税の影響最大50億ド
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 5
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 6
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 7
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 8
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 9
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 10
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 7
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 8
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 9
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 10
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 9
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 10
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中