最新記事

映画

スポ根映画を超えた傑作『ザ・ファイター』

実在ボクサーの試練や努力、そして成功を描き、アカデミー賞に輝いたデービッド・O・ラッセル監督の秀作

2011年3月18日(金)14時56分
デービッド・アンセン(映画ジャーナリスト)

伝説の試合 兄ディッキー(左)の影を乗り越えてミッキーは再起する ©2010 RELATIVITY MEDIA. ALL RIGHTS RESERVED.

 映画『ザ・ファイター』を見るなら、実在のウェルター級ボクサー、ミッキー・ウォードの人生を知らない方が楽しめる(日本公開は3月26日)。だが彼の努力や試練、そして成功を知っていたとしても、監督のデービッド・O・ラッセルと最高のキャストが紡ぎ出す物語に退屈することはないはずだ。

 映画が終わってみれば、奮起する主人公を描いたよくあるスポ根映画だと思うかもしれない。ただし実話を知らない人は、複雑な心理戦に彩られたストーリーがどう展開していくのか予想もつかないだろう。誰が試合に勝つのか、そしてウォード家のすさまじい家族関係から無事抜け出せるのは誰なのか、とはらはらさせられる。多くのボクシング映画と違い『ザ・ファイター』では、最も強烈なパンチは心の中で炸裂する。

 93年、労働者階級の街マサチューセッツ州で物語は始まる。ボクサーのミッキー(マーク・ウォルバーグ)は目下、3連敗中。彼のトレーナーである異父兄ディッキー・エクランド(クリスチャン・ベール)は、スターボクサーのシュガー・レイ・レナードをノックダウンした栄光の過去を持つ。ミッキーは兄にひたすら従順であり、そのせいで自身のキャリアを台無しにしていく。

 頬がこけ、ぺらぺらと話すディッキーはカリスマ性のある人物。だが実は自制心のないコカイン中毒者で、それをHBOテレビのドキュメンタリー番組で暴かれてしまう。不気味な演技をやらせたら右に出る者がいないベールは、毒をもったディッキーを演じるにはぴったり。これでアカデミー賞助演男優賞を獲得している。

単純なハッピーエンドとは思えない

 家族の中で強烈な存在はディッキーだけではない。ミッキーのマネージャーを務める母親のアリス(メリッサ・レオ)は、金髪で派手なヘビースモーカー。ディッキーのコカイン中毒を激しく否定し、ミッキーの恋人シャーリーン(エイミー・アダムス)を毛嫌いする。シャーリーンは賢くてタフな女性バーテンダーで、唯一アリスに立ち向かう強さを持った人物だ。

 レオはこれまでとは別人のような姿で毒々しい女家長を演じ切り、ベールと並んでアカデミー賞助演女優賞に輝いた。機能不全の一家をけばけばしく飾るのが7人の姉妹たちだ。下品で騒々しい彼女たちは、タバコを吸っては家の中でだらだらと過ごしている。

 ミッキーがボクサーとして再起するのは、互いに依存し、自滅していくめちゃくちゃな家族のもとを出ると決めた時だ。彼はまた、刑務所に入った兄からも離れていこうとする。この時のウォルバーグの演技にも、ベールの圧倒的な派手さの影から抜け出すがごとく、静かで繊細な美しさが光る。

 やがてディッキーは出所して家に戻り、ミッキーのトレーナーに戻りたいと言う。だが観客としては、そうならないでほしいと思わずにいられない。彼が本当に改心したのか、それとも相変わらず危険なのかがわからないからだ。

 ラッセルにとっては前作『ハッカビーズ』から6年ぶりの監督5作目。これまで同様、彼は過去の作品のスタイルを繰り返すことを拒んでいる。緊迫感にあふれ、骨太で、ときに奇妙なおかしさを漂わせる『ザ・ファイター』は彼の作品では初めて、見終わってすっきりした気分になれる。それでもラッセルの過剰なほどの誠実さと鋭さゆえに、迷いや不安といった後味のない単純なハッピーエンドとは感じられないのだが。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

豪企業信頼感指数が急落、イラン戦争の影響懸念

ワールド

トランプ氏投稿のキリスト風画像、支持層の批判で削除

ビジネス

日産、車種を56から45に縮小 30年度までに米中

ワールド

ロシア、BRICS諸国に共同食料備蓄の創設呼びかけ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:台湾有事の新シナリオ
特集:台湾有事の新シナリオ
2026年4月21日号(4/14発売)

地域紛争の「大前提」を変えた米・イラン戦争が台湾侵攻の展開に及ぼす影響をシミュレーション

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本は「イノベーションのやり方」を忘れた...ホンダ「EV撤退」が示す、日本が失った力の正体
  • 2
    「いい加減にして...」ケンダル・ジェンナーの「目のやり場に困る」姿にネット騒然
  • 3
    停戦合意後もレバノン猛攻を続けるイスラエル、「国防軍は崩壊寸前」
  • 4
    【銘柄】イラン情勢で「任天堂」が急落 不確実な相…
  • 5
    トランプがまた暴走?「イラン海上封鎖」の勝算
  • 6
    目のやり場に困る...元アイスホッケー女性選手の「密…
  • 7
    古代のパピルスから新たに見つかった「2500年前の文…
  • 8
    「仕事ができる人」になる、ただ1つの条件...「頑張…
  • 9
    「違法レベル...」ゼンデイヤの「完全に透けて見える…
  • 10
    BTS再始動、3年9カ月の沈黙を経て──変わる音楽市場で…
  • 1
    古代のパピルスから新たに見つかった「2500年前の文章」...歴史を塗り替えかねない、その内容とは?
  • 2
    バリ島沖の要衝で「中国製水中ドローン」が回収される...潜水艦の重要ルートで一体何をしていた?
  • 3
    米特殊部隊、米空軍兵士救出「大成功」に残る多くの疑問
  • 4
    韓国、生理用品無償支給を7月から開始 靴の中敷きで…
  • 5
    「南東部と東部の前線で480平方キロ奪還」とウクライ…
  • 6
    「地獄を見る」のは米国か──イラン地上侵攻なら革命…
  • 7
    停戦合意後もレバノン猛攻を続けるイスラエル、「国…
  • 8
    撃墜された米国機から財布やID回収か、イラン側が拡…
  • 9
    ポケモンで遊ぶと脳に「専用の領域」ができる? ポ…
  • 10
    中国がイラン戦争一時停戦の裏で大笑い...一時停戦に…
  • 1
    温暖化で増えた? サンマやサケ減少の裏で激増する「安価で栄養価の高い魚」の正体
  • 2
    米特殊部隊、米空軍兵士救出「大成功」に残る多くの疑問
  • 3
    「根底にあるのは怒り」...日本の「3Dプリンター住宅」企業が救う、ウクライナの未来
  • 4
    古代のパピルスから新たに見つかった「2500年前の文…
  • 5
    「ノーと言えるスペイン」の背景に国防意識...次期ス…
  • 6
    バリ島沖の要衝で「中国製水中ドローン」が回収され…
  • 7
    キャサリン皇太子妃、ナイジェリア大統領夫妻出迎え…
  • 8
    数時間以内に死に至ることも...若者の間で集団感染が…
  • 9
    メーガン妃、娘リリベット王女との「お手伝い姿」公…
  • 10
    第6回大会を終えて曲がり角に来たWBC
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中