最新記事

映画

新イスラエル映画の迫力度

公開間近の『戦場でワルツを』やカンヌで話題の『アジャミ』など、アラブ社会との対立を描く新感覚の秀作が急増中

2009年11月19日(木)16時36分
ジョアンナ・チェン(エルサレム支局)

惨劇をアニメで レバノン戦争を描いたドキュメンタリー『戦場でワルツを』(11月28日公開) © 2008 BRIDGIT FOLMAN FILM GANG, LES FILMS D'ICI, RAZOR FILM PRODUKTION, ARTE FRANCE AND NOGA COMMUNICATIONS-CHANNEL 8. ALL RIGHTS RESERVED.

 タッ、タッ、タッ、タッ......。早朝のテルアビブ。まだ人影もない裁判所近くを、1人のアラブ人少年が息を切らせて走っている。貧困地区アジャミに住むオマルは、たったいま人が殺されるのを見て、命からがら逃げるところだ。

 その光景はオマルの住む世界を象徴していた。目の前に裁判所があっても、正義は存在しない。パニック状態の少年は自分の運命から逃れようと必死で、ひたすら走り続ける。

 オマルの脳裏に、弟の穏やかな声が響く。「目を閉じて、リラックスして」。角を曲がったところで足が滑り、オマルは歩道に激しく倒れ込む。「3つ数えたら目を開けてね。そうしたらもう、別な場所にいるよ」

 だが中東で憎悪と暴力、そして抑圧という現実から逃れることはできない。麻薬取引をしくじったオマルは、ようやく逃走用の車にたどり着くが、鍵がかかっていて開かない。罠だったのだ。

「1、2、3。目を開けて!」と弟の声が言う。イスラエルから届いた衝撃の映画『アジャミ』は、重苦しい調子でラストへと向かう。

 やはりイスラエル映画の『レバノン』は、違う種類の罠を描く。82年6月、イスラエルがレバノンに侵攻した日の朝のこと。初々しい顔のイスラエル兵が戦車に乗り込み、ハッチを閉じる。以後24時間(そして映画の90分間)、外から完全に遮断された世界が始まる。

 兵士も観客も、密室恐怖症になりそうなくらい狭い戦車の中から逃げ出せない。そこは黒光りする油と金属と冷たい恐怖の世界だ。砲塔が回るときに出す不快な音は、映画が終わった後も耳にこびり付いて離れない。

映画が自らを見詰め直す手段に

 これらの作品は、今のイスラエルで映画が自らを見詰め直し、モラルを問う上で重要な手段となっていることの証しだ。

「10年ほど前まで、イスラエル映画はマイナーな存在だった」と語るのは、ハーレツ紙の映画評論家のウリ・クラインだ。「今の映画はイスラエル文化の中心に位置し、多様性あふれる社会が自らを振り返る手段となっている」

 映画が社会的な表現手段という地位を確立すると同時に、イスラエルでは映画学校が次々に設立され、若い作り手に技術や業界全般を学ぶ場を提供している。カンヌ監督週間の芸術監督であるフレデリック・ボワイエは、イスラエル映画を「新鮮で誠実で、極めてプロフェッショナル」と評価する。

『アジャミ』と『レバノン』以前から、イスラエル映画は芸術作品として国内外の称賛(と政治的批判)を浴びてきた。

『アジャミ』は今年のカンヌ監督週間で高い評価を受け、来年2月の米アカデミー賞外国語映画賞に出品されることも決まっている。『レバノン』は9月のベネチア国際映画祭で、最高賞である金獅子賞を受賞した。

 どちらもイスラエル礼賛映画ではない。だが9月のトロント国際映画祭では、イスラエルのイメージアップを図り、ガザ占領から世界の目をそらすための作品だと批判するデモが起きた。それでも『アジャミ』のスカンダー・コプティ共同監督は、デモに理解を示す。「(デモは)スクリーンに映っていないイスラエルの現実を、映画を見た人たちに考えさせた」

『アジャミ』と『レバノン』はいずれもアラブ世界とイスラエルの紛争をテーマにした最近の映画に倣って、製作資金の一部を外国から調達した。「こうした映画は存在するだけで問題提起になるから重要だ」と、クラインは言う。

 紛争が現在進行形である以上、「敵側」の視点は無視しがちだ。ましてや理解するなど難しい。だからパレスチナ人監督とイスラエル人プロデューサーによる05年の映画『パラダイス・ナウ』は、自爆テロ犯を同情的に描いたとして大論争を巻き起こした。

 アニメ映画『戦場でワルツを』のテーマは、82年のイスラエル軍によるレバノン侵攻。08年の米ゴールデングローブ賞最優秀外国語映画賞を受賞した(日本では11月28日公開予定)。

『レバノン』は、やはり82年のレバノン侵攻をさらに深く掘り下げた作品で、イスラエル兵の苦しみばかりに焦点が当てられてきた戦争に新しい見方を示した。

 そこに英雄はいない。若くて経験の乏しいイスラエル兵4人は、生き延びるために戦うにすぎない。狭い戦車の中にいる彼らは、戦車の外の人々の苦しみにはまったくといっていいほど気付かない。ただ射撃手の照準器越しに、悲惨な光景が垣間見られるだけだ。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

トランプ氏、FRB次期議長の承認に自信 民主党の支

ワールド

エプスタイン文書追加公開、ラトニック・ウォーシュ両

ワールド

再送-米ミネソタ州での移民取り締まり、停止申し立て

ワールド

移民取り締まり抗議デモ、米連邦政府は原則不介入へ=
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:高市 vs 中国
特集:高市 vs 中国
2026年2月 3日号(1/27発売)

台湾発言に手を緩めない習近平と静観のトランプ。激動の東アジアを生き抜く日本の戦略とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本への威圧を強める中国...「レアアース依存」から脱却する道筋
  • 2
    180万トンの「リチウムごみ」を資源に...EV電池の「副産物」で建設業界のあの問題を解決
  • 3
    関節が弱ると人生も鈍る...健康長寿は「自重筋トレ」から生まれる
  • 4
    世界初、太陽光だけで走る完全自己充電バイク...イタ…
  • 5
    「着てない妻」をSNSに...ベッカム長男の豪遊投稿に…
  • 6
    ロシア軍の前線で「弾よけ」にされるアフリカ人...兵…
  • 7
    日本はすでに世界第4位の移民受け入れ国...実は開放…
  • 8
    高市首相の発言は正しかった...「対中圧力」と「揺れ…
  • 9
    中国で大規模な金鉱脈の発見が相次ぐ...埋蔵量は世界…
  • 10
    日本経済を中国市場から切り離すべきなのか
  • 1
    【クイズ】致死率50~75%...インドで感染拡大「ニパウイルス」の感染源となる動物は?
  • 2
    セーターが消えた冬 ── 暖かさの主戦場が「インナー」と「フリース」に移った日
  • 3
    中国で大規模な金鉱脈の発見が相次ぐ...埋蔵量は世界でも過去最大規模
  • 4
    180万トンの「リチウムごみ」を資源に...EV電池の「…
  • 5
    日本への威圧を強める中国...「レアアース依存」から…
  • 6
    一人っ子政策後も止まらない人口減少...中国少子化は…
  • 7
    スペースXの宇宙飛行士の帰還が健康問題で前倒しに..…
  • 8
    ロシア軍の前線で「弾よけ」にされるアフリカ人...兵…
  • 9
    町長を「バズーカで攻撃」フィリピンで暗殺未遂、大…
  • 10
    海上自衛隊が水中無人機(UUV)を導入 中国の海軍拡…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?【2025年の話題クイズ5選】
  • 2
    【クイズ】致死率50~75%...インドで感染拡大「ニパウイルス」の感染源となる動物は?
  • 3
    中国製防空レーダーは米軍のベネズエラ攻撃に屈した──台湾高官が分析
  • 4
    セーターが消えた冬 ── 暖かさの主戦場が「インナー」…
  • 5
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?【202…
  • 6
    海上自衛隊が水中無人機(UUV)を導入 中国の海軍拡…
  • 7
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」は…
  • 8
    前進するロシア、忍び寄る限界...勝者に見えるプーチ…
  • 9
    防衛省が「新SSM」の映像を公開、ノルウェー・コング…
  • 10
    中国で大規模な金鉱脈の発見が相次ぐ...埋蔵量は世界…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中