最新記事

農業

「58円の野菜ですら丁寧に包装」 日本の農家がやりがい搾取の沼にハマる根本問題

2022年2月7日(月)12時00分
野口憲一(民俗学者) *PRESIDENT Onlineからの転載

ただ農業ではもう一つ大きな理由として、雇用労働者の多い他産業とは異なり、日本の農家が零細な家族経営だったことが挙げられます。雇用労働者でないなら、雇用主から強制されることもない。強制されなければ、どのように働こうと自由です。

しかし、仮に雇用労働者ではなく事業主であったとしても、働くことが楽しいのは「自由意志が存在している時」です。労働に限らず、どんなに楽しい趣味でも、強制されたり、生活のために何が何でもやらなければならなくなったりすると、楽しくなくなってしまう。

仕事に「楽しさ」を見出し続けている日本の農家

人並みの生活をしていくためには、ある程度の収入が必要です。現代社会の大半の職業においては、楽しいというだけでは生活が成り立ちません。お金を稼ぐためには、社会の要求に合わせる必要があります。野菜の出荷時間を農家の都合に合わせていたら、スーパーの野菜売り場が混乱してしまいます。いくら自然を相手にしている職業だからといって、晴耕雨読では生きていけないのです。

お金に縛られるようになった時点で既に自由とは言い切れませんが、お金だけではなく制度や働き方、そして時間の使い方なども現代社会に合わせなければなりません。すると、働くことは次第に、遊びの要素を含んだ「仕事」から、いわゆる「労働」にシフトしていきます。結果として、仕事の中から遊びの部分がどんどん削られていくことになるのです。

しかし、実はそれでも農家は農業の楽しみを失いませんでした。はたから見ると、草刈りのような必要性に迫られてやる作業は「労働」そのものかもしれませんが、農家はその草刈りにさえ楽しみを見出すこともあるのです。仕事の楽しさは、あくまでも自分自身の心の持ちようにかかっているからです。

それが草刈りなどの周縁的な作業ではなく、農作物を育てるという農家本来の仕事であれば猶更です。そこには当然、プロとしての意地もあるし、植物への愛情もあるはずです。仕事の一部が機械に代替されてしまっても、「労働」になってしまっても、自分が育てる野菜が美しい花を咲かせ、美味しい実をつけることは、農家にとって大きな喜びです。

どんな働き方であろうと野菜の値段は同じ

しかし実は、そこにこそ「やりがい搾取」の出発点があります。「労働」としての意味合いが多分に含まれた働き方によって生産された野菜でも、楽しみを含んだかつての「仕事」によって作られた農産物と同じ価格でしか売れないからです。

農家に求められる結果は変わりません。農家に求められるのは、どこまで行っても高品質な農産物を生産することです。仮に高度な科学技術が用いられた農業であっても、高品質な農産物を栽培することの背景にあるのは、苦役としての労働ではなく作物への愛情なのです。

作物への愛情は、そう簡単に身に付くものではありません。わが子がかわいい理由と同じように、作物のことを考え続けることの中にこそ、愛情は存在しているからです。しかし働く時間は変わりませんし、やらなければならないことは結局同じ。より美味しい作物、より見栄えのよい作物、けれども値段の変わらない作物を作るとなると、やらなければならないことは増えていくばかり。仮に農業の楽しみを見出そうとするなら、働く時間を長くするしかありません。

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ビジネス

長期金利が2%に上昇、19年半ぶり高水準 国債先物

ビジネス

日銀が利上げ決定、政策金利は30年ぶり高水準に 賃

ビジネス

フェデックス、MD-11運航停止で最大1.75億ド

ビジネス

利上げで経済界に一定の影響考えられる、注視したい=
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:教養としてのBL入門
特集:教養としてのBL入門
2025年12月23日号(12/16発売)

実写ドラマのヒットで高まるBL(ボーイズラブ)人気。長きにわたるその歴史と深い背景をひもとく

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「最低だ」「ひど過ぎる」...マクドナルドが公開したAI生成のクリスマス広告に批判殺到
  • 2
    自国で好き勝手していた「元独裁者」の哀れすぎる末路が発覚...プーチンは保護したのにこの仕打ち
  • 3
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入ともに拡大する「持続可能な」貿易促進へ
  • 4
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦…
  • 5
    ゆっくりと傾いて、崩壊は一瞬...高さ35mの「自由の…
  • 6
    中国の次世代ステルス無人機「CH-7」が初飛行。偵察…
  • 7
    身に覚えのない妊娠? 10代の少女、みるみる膨らむお…
  • 8
    おこめ券、なぜここまで評判悪い? 「利益誘導」「ム…
  • 9
    9歳の娘が「一晩で別人に」...母娘が送った「地獄の…
  • 10
    円安と円高、日本経済に有利なのはどっち?
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入ともに拡大する「持続可能な」貿易促進へ
  • 4
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の…
  • 5
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 6
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を…
  • 7
    ミトコンドリア刷新で細胞が若返る可能性...老化関連…
  • 8
    「最低だ」「ひど過ぎる」...マクドナルドが公開した…
  • 9
    自国で好き勝手していた「元独裁者」の哀れすぎる末…
  • 10
    【銘柄】資生堂が巨額赤字に転落...その要因と今後の…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 4
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 5
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 6
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 7
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
  • 10
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中