最新記事

コミュニケーション

1日30万円稼ぐ「カリスマリンゴ売り」 妻子6人を行商で養う元ジャズピアニストの半生

2021年2月9日(火)14時15分
川内イオ(フリーライター) *PRESIDENT Onlineからの転載

reuters__20210209134450.jpg

まったく人がいなかった住宅街で、片山さんの周りに人が集まる。(撮影=筆者)

柳ジョージさんの公演の際には、2度も公演後の打ち上げに参加することになった。2度とも、柳さんから2つ隣の席だった。柳さんは驚くほど温かく接してくれて、それが不思議だったから、率直に聞いた。

「なんで単なるバイトの僕に、そんなに優しくしてくれるんですか?」

柳さんは、笑いながら言った。

「当たり前じゃないか」

その後になんの説明もなく、その一言だけだったが、片山さんには萬斎さんの時と同じように、それが「音」として、建前ではなく本当のことを言っていると伝わった。

本当の音は、耳ではなく、胸に響く。だから、余計な説明が要らないのだと知った15歳。

電話1本で音楽学校に入学

その頃、父親の店の客やバイト先の人たちに「なにか表現をしたほうがいいんじゃないか」と勧められて始めたのが、ピアノだった。

母親がクラシックのピアニストで、家にピアノがあったというのも理由のひとつ。楽譜の通りに弾くことには興味を持てず、テーマのなかで自由に演奏し、それが評価されるジャズピアニストに憧れた。

楽譜が読めなかった片山さんは、知り合いのジャズバーに通い、ジャズピアニストの指の動きを目で覚えて、自宅で練習した。飲み屋街のママさんも、教えてくれた。

ある日、そのママさんに言われた。

「神戸に、バークリー音楽大学と提携してる学校があって、学歴不問で入学できるんだって。そこに行ったら?」
「いやいや、お金ないですもん」
「いつもみたいに交渉したら?」

なるほど、と思った片山さんは、すぐにその学校、甲陽音楽学院(現在は甲陽音楽&ダンス専門学校)に電話をした。そこで、自分がどういう暮らしをしているか、今ジャズを教わっていて、もっとジャズについて知りたい、本気でやりたいと訴えた。

すると、どういうわけかとんとん拍子で入学が決まった。それは、片山さん自身が「本当ですか⁉」と半信半疑になる展開だった。この時、片山さんの声が「本当の音=本音」として通じたのだ。

2001年、徳島市を出て、神戸の甲陽音楽学院に入学。18歳の春だった。

アフロが理由でリンゴ売りに

甲陽音楽学院は、中学、高校を出てから真剣に音楽を学びに来ている学生ばかりだった。2017年に所属するバンドがグラミー賞を取ったパーカッショニスト、小川慶太さんが同級生ということからも、レベルの高さがうかがえる。

小学校の時から学校になじめず、中学1年生で学校に別れを告げて働き始めた片山さんだったが、甲陽音楽学院での生活は充実していた。

「学校に行く目的があって、学校のなかに知りたいこともありましたから。小中学校にはそれがなかったんですよね。それに、なんで? と聞いたら答えてくれる人もいました(笑)」

神戸ではひとり暮らしをしていたから、生活費を稼がなくてはいけない。そこで始めたのが、リンゴ売りの行商だった。当時、帽子もかぶれないような巨大なアフロヘアをしていたため、ほかの仕事は軒並み断られ、唯一受け入れてくれたのが、行商スタイルでリンゴを売るムカイ林檎店だった。たまたま、バイト情報誌に載っていたのを見つけ、「アフロなんですけど大丈夫ですか?」と電話をしたら、「面白いやないか」と歓迎してくれたのだ。

仕事は今と変わらない。車にリンゴと関連商品を積み込み、路上で売る。最初は売り子のアシスタントで、お客さんの呼び込みをした。当時の日給は4000円で、自分が声をかけたお客さんがリンゴを買うと、1回につき100円もらえる。

13歳の頃からいろいろな仕事をしてきた片山さんは、できるか、できないか、ではなく、どうやるかを考えて、試行錯誤した。例えば、「いらっしゃい、いらっしゃい、リンゴ売ってますよ」と大きな声をあげるより、道行く人のなかのひとりに、視線を向け、目が合った時に声をかける。そうすると、立ち止まって話を聞いてくれる人も少なくなかった。

すぐに仕事に慣れた片山さんは、1日に平均で40~50人、多い時には60人を超える人にリンゴを買ってもらえるようになり、アシスタントを卒業して、独り立ちした。

ひとりでリンゴを売る場合の給料は、とてもシンプル。売り上げの4割が、売り子の収入になる。10万円売ったら、4万円もらえる計算だ。片山さんは、自分のなかで目標金額を決め、「できる限り早く売って、帰ってピアノの練習をする」という生活を送るようになった。

ジャズピアニストとして抱いた違和感

甲陽音楽学院の同級生はみな、在学中からプロのミュージシャンとして活動するようになり、片山さんもジャズピアニストとして少しずつ稼ぐようになった。その時、生活の中心はピアノで、いつ働くかも、どれぐらい働くかも、どう売るかも自由なリンゴの行商で、生活費を補っていた。

しかし、そのうちに「自分はショーとしてピアノを弾くのは向いていないんじゃないか」と感じるようになった。例えば、ジャズバーで仕事をしている時に、お客さんに「これを弾いてよ」とリクエストされても、弾きたくない。お客さんを楽しませるというより、音そのものに対する探求心のほうが強かった。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

スタバ、第2四半期の既存店売上高が予想外に減少 米

ビジネス

NY外為市場=円下落、予想上回る米雇用コスト受けド

ビジネス

米国株式市場=下落、FOMCに注目

ビジネス

米アマゾン、第2四半期売上高見通し予想下回る
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる4択クイズ

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドローンを「空対空ミサイルで撃墜」の瞬間映像が拡散

  • 4

    「レースのパンツ」が重大な感染症を引き起こす原因に

  • 5

    衆院3補選の結果が示す日本のデモクラシーの危機

  • 6

    なぜ女性の「ボディヘア」はいまだタブーなのか?...…

  • 7

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉…

  • 8

    日本マンガ、なぜか北米で爆売れ中...背景に「コロナ…

  • 9

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われ…

  • 10

    「瞬時に痛みが走った...」ヨガ中に猛毒ヘビに襲われ…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドローンを「空対空ミサイルで撃墜」の瞬間映像が拡散

  • 4

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われ…

  • 5

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 6

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 7

    日本マンガ、なぜか北米で爆売れ中...背景に「コロナ…

  • 8

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 9

    中国の最新鋭ステルス爆撃機H20は「恐れるに足らず」…

  • 10

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の瞬間映像をウクライナ軍が公開...ドネツク州で激戦続く

  • 4

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 5

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 6

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 7

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 8

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中