最新記事

追悼

任天堂を率いた愛すべき頑固者

半世紀以上にわたって任天堂の社長を務めた山内溥。家業を世界的企業に成長させた非クリエーティブ人間の哲学

2013年10月1日(火)15時31分
ライアン・ボークト

「山内イズム」 そのDNAは今も任天堂に受け継がれている JIM TANNERーREUTERS (YAMAUCHI), TORU HANAIーREUTERS (MARIO)

 任天堂の前社長山内溥(ひろし)が、9月19日に85歳で亡くなった。ちょうどスティーブ・ジョブズがこの世を去ったときのように、普段は経済誌を読まないような人間までが1人の実業家の死を悼んだ。山内は、素晴らしいものを作り出すのに必ずしもクリエーティブな人間である必要はないことを証明してみせた。

 山内は、『ウルトラハンド』や『ゲームボーイ』を開発した任天堂の「マッドサイエンティスト」横井軍平とは違っていた。『スーパーマリオブラザーズ』や『ドンキーコング』『ゼルダの伝説』を発案し、今も任天堂の頭脳を1人で担っている天才、宮本茂とも異なる。

 だが、若い宮本を任天堂に雇い入れ、町工場に住み着くほど機械いじりが好きだった横井が暇つぶしに作ったロボットアームに目を留めたのは山内だった。このロボットアームを商品化した『ウルトラハンド』は大ヒットとなり、任天堂はおもちゃ業界への参入を果たす。

 1929年に任天堂を設立した祖父が1949年に病に倒れたことで、山内は大学を中退して同社に入社する。ゲームジャーナリストのスティーブン・ケントが著書『ビデオゲーム究極の歴史』に書いているように、22歳の山内はほかに家の者を社に入れないという条件で、家業を継ぐ。その結果、山内のいとこは解雇されてしまう。

失敗はソニーとの決裂

 ケントが「権威主義的」と評する山内のワンマンな経営スタイルは、社長就任当初から明らかだった。マリオやカービィといったいつも愉快なキャラクターの後ろにいるのが、色の薄いサングラスを掛けたむっつりした頑固者だったことを、任天堂ファンのケントは愛すべき皮肉と受け取っている。山内はメジャーリーグのシアトル・マリナーズのオーナーだったが、シアトルへ試合を見に行ったことは一度もなかった。

 戦争に負けた天皇が国民に対して自分は現人神ではないことを伝える状況に追い込まれた頃から、アメリカが真珠湾攻撃以来2度目の本土攻撃である9・11同時多発テロに見舞われるまで──。経営者の顔触れが目まぐるしく変わる今から考えれば、これほど長い間、山内が社長の座にあり続けたのは驚異的だ。1人の人間が会社を53年間も率いたことはまれな例だろう。

 山内が、花札やトランプの専業メーカーだった家業を世界的なエンターテインメント企業に押し上げたのは偉業というしかない。社名を「任天堂骨牌(かるた)」から「任天堂」に変更したのは63年。以後、山内はタクシー会社からラブホテル経営まであらゆるジャンルに手を出し、最終的に任天堂をテレビゲーム企業にした。

 一方、かつて山内が仰ぎ見る存在だったアメリカ最大のトランプメーカー、ユナイテッド・ステーツ・プレーイング・カードは、いまだにトランプゲームの1つもテレビゲーム化していない。多角化して世界企業になった任天堂との差は歴然だ。
山内が迷いからしくじったことが1度ある。90年代半ば、幅広い人気を呼んでいたスーパーファミコンのCD-ROM機をソニーと共同開発していたとき、急に他社にくら替えしてしまう。裏切られたソニーは独自に試作品を開発し、それが現在のプレイステーションとなる。

 私たちには「任天堂プレイステーション」で遊ぶ日は来ない。だが任天堂の他のゲーム機を持っているなら、電源を入れ、コントローラーを空のほうに向けて、かつてサングラスの奥から魔法の世界を見ていた気難しい男に哀悼の意を表してみてはどうだろう。

© 2013, Slate

[2013年10月 1日号掲載]

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

アングル:トランプ氏なら強制送還急拡大か、AI技術

ビジネス

アングル:ノンアル市場で「金メダル」、コロナビール

ビジネス

為替に関する既存のコミットメントを再確認=G20で

ビジネス

米国株式市場=上昇、大型ハイテク株に買い戻し 利下
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:トランプ暗殺未遂
特集:トランプ暗殺未遂
2024年7月30日号(7/23発売)

前アメリカ大統領をかすめた銃弾が11月の大統領選挙と次の世界秩序に与えた衝撃

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「習慣化の鬼」の朝日新聞記者が独学を続けられる理由【勉強法】
  • 2
    BTS・BLACKPINK不在でK-POPは冬の時代へ? アルバム販売が失速、株価半落の大手事務所も
  • 3
    【夏休み】お金を使わないのに、時間をつぶせる! 子どもの楽しい遊びアイデア5選
  • 4
    キャサリン妃の「目が泳ぐ」...ジル・バイデン大統領…
  • 5
    地球上の点で発生したCO2が、束になり成長して気象に…
  • 6
    カマラ・ハリスがトランプにとって手ごわい敵である5…
  • 7
    トランプ再選で円高は進むか?
  • 8
    拡散中のハリス副大統領「ぎこちないスピーチ映像」…
  • 9
    中国の「オーバーツーリズム」は桁違い...「万里の長…
  • 10
    「轟く爆音」と立ち上る黒煙...ロシア大規模製油所に…
  • 1
    正式指名されたトランプでも...カメラが捉えた妻メラニアにキス「避けられる」瞬間 直前には手を取り合う姿も
  • 2
    すぐ消えると思ってた...「遊び」で子供にタトゥーを入れてしまった母親の後悔 「息子は毎晩お風呂で...」
  • 3
    月に置き去りにされた数千匹の最強生物「クマムシ」、今も生きている可能性
  • 4
    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…
  • 5
    「習慣化の鬼」の朝日新聞記者が独学を続けられる理…
  • 6
    【夏休み】お金を使わないのに、時間をつぶせる! 子…
  • 7
    ブータン国王一家のモンゴル休暇が「私服姿で珍しい…
  • 8
    「失った戦車は3000台超」ロシアの戦車枯渇、旧ソ連…
  • 9
    「宇宙で最もひどい場所」はここ
  • 10
    ウクライナ南部ヘルソン、「ロシア軍陣地」を襲った…
  • 1
    中国を捨てる富裕層が世界一で過去最多、3位はインド、意外な2位は?
  • 2
    ウクライナ南部ヘルソン、「ロシア軍陣地」を襲った猛烈な「森林火災」の炎...逃げ惑う兵士たちの映像
  • 3
    ウクライナ水上ドローン、ロシア国内の「黒海艦隊」基地に突撃...猛烈な「迎撃」受ける緊迫「海戦」映像
  • 4
    ブータン国王一家のモンゴル休暇が「私服姿で珍しい…
  • 5
    正式指名されたトランプでも...カメラが捉えた妻メラ…
  • 6
    韓国が「佐渡の金山」の世界遺産登録に騒がない訳
  • 7
    すぐ消えると思ってた...「遊び」で子供にタトゥーを…
  • 8
    月に置き去りにされた数千匹の最強生物「クマムシ」…
  • 9
    メーガン妃が「王妃」として描かれる...波紋を呼ぶ「…
  • 10
    「どちらが王妃?」...カミラ王妃の妹が「そっくり過…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中