コラム

ウクライナ情勢をめぐる中東の悩ましい立ち位置

2022年03月08日(火)18時40分

そこにはいくつか、原因があろう。一つ目の原因には、ウクライナの政権が多くのアラブ諸国にとって全面的に支持できる政策をとってきたわけではない、ということがある。それは、ウクライナとイスラエルの密接な関係に代表される。周知のとおり、ウクライナは歴史的に多くのユダヤ人コミュニティを抱えてきたとともに、数々のユダヤ人虐殺事件が起きた地である。独立後はユダヤ人コミュニティの交流をもとに、両国は政治的にも経済的にも良好な関係を維持してきたが、特に昨年末にはウクライナ政府が同国大使館をエルサレムに移転する意向を明らかにしていた。そのことが、イスラエルによる聖地エルサレムの一方的な地位変更に反発するアラブ・イスラーム社会の不快を呼んだことは、言うまでもない。

もっとも、この反感がウクライナ政府の政策に向けられたものであって、ウクライナ国民に向けられたものではないことには留意すべきだろう。多くのアラブ社会では、ウクライナ国民への連帯と支持を謳うSNSが飛び交っている。

だが、大国の軍事攻撃に晒された被侵略国の国民への同情は、もうひとつのアラブ社会の不信感を引き起こす。それは、欧米諸国のウクライナに対する対応が、中東諸国に向けられた姿勢と比較してあまりにも違うことに対する不信感だ。欧州に避難するウクライナ人に対して、多くのヨーロッパ諸国がその門戸を開け、全面的な支援、同情を表明しているが、イラクやアフガニスタンがアメリカの軍事攻撃を受けたときは、そうではなかった。シリアから難民が数十万規模で流入したとき、どれだけ排斥され、命を軽んじられたことか。ヨーロッパは、ウクライナ人は優先して受け入れるが、非ウクライナ人は差別され、容易には欧州の国境を超えられない。

その事実に、中東のみならず非欧米社会は欧米の「ダブル・スタンダード」、「白人優先主義」を見てしまう。フランスの国会議員は「ウクライナ難民は高度の質を持った知識人だから、有利な立場にある」と述べ、ブルガリアの首相は「(ウクライナからの難民は)以前のように出自もわからない、過去もはっきりしない、テロリストかもしれないような難民連中とは違う」と発言したとして、SNS上で批判を浴びている。大手メディア同士でも相互批判が繰り広げられており、英ガーディアン紙のムスタファ・バイユーミ記者は、米CBSの記者がこう報じたことを「人種主義だ」指摘した。「ウクライナはイラクとかアフガニスタンみたいな数10年も紛争下にある場所ではない。相対的にみて文明化されていて、相対的にヨーロッパっぽい」。

同じ「ダブル・スタンダード」は、「外国の侵攻」という行為の不当性を問うときにも浮きあがってくる。イラクやアフガニスタンが米軍に侵攻されたとき、国際社会はロシアに対してのようにアメリカを糾弾したか、制裁をかけたか、侵攻された側を支援したか、といった疑問が、SNSを中心に頻繁に提起される。

「ホワットアバウト(what about)論」

アメリカだけではない。そこにも再び、イスラエルの問題が引き合いに出される。日常的にイスラエルがパレスチナに対して振るう暴力に対して、国際社会が今ウクライナに対して行っているように糾弾もしないし、取り上げすらしない。その問題を脇においてウクライナだけ同情するのは釈然としない、と反発するアラブ人知識人は、少なくない。米ライス大学の歴史学教授、ウマル・マクディスィは、自身のツイッターで繰り返し、主張している。「(ウクライナ情勢における)昨今のヨーロッパ中心的な倫理観と武装闘争を礼賛する圧倒的な風潮に対して、イエメン人やイラク人やアフガニスタン人はどう思うだろうか」。

イエメンはトランプ政権がイエメンの親イラン派をテロリスト視して内戦に関与してきたし、バハレーンでは「アラブの春」で反体制派に共感するようなことをいいながらその後周辺湾岸諸国による反乱平定を座視したし、直接米軍が占領、支配して結局統治がうまくいかずに投げだしたイラクやアフガニスタンは、説明するまでもない。世界中で「外国による侵攻」とそれによる厄災がまかり通っている事例は多々あるのに、ウクライナのようにはどこも同情や支援を得られない。

こうした「ウクライナも同情・支援すべきだけど、〇〇の問題はどうした」と指摘する声に対して、頻繁に投げかけられる批判が、いわゆる「ホワットアバウトwhat about論」だ。「〇〇はどうなんだ」ということは、議題をすり替えて自己正当化しようとする議論だからケシカラン、という批判である。実際、上述した中東の親ロ派政権側のメディアでは、「アメリカのイラク攻撃を棚に上げてロシアばかりを批判するのはお門違いだ」といった論調が目立つ。湾岸危機でクウェートに軍事侵攻したイラクのサッダーム・フセイン政権も、「イラクのクウェート占領をあれこれ言うなら、イスラエルのパレスチナ占領はどうなんだ」と主張した。

自己正当化の議論であることは明らかだが、それでも当時のアラブ社会の琴線を大きく揺さぶった。イスラエルの占領下にあえぐパレスチナ人への国際社会の理解が不足していたとして、湾岸戦争後ブッシュ父政権が中東和平問題に取り組まなければならないと感じる程度には、理があると認識されたのである。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。
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