コラム

クリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』を日本で今すぐ公開するべき理由

2023年07月26日(水)14時30分

ノーラン監督と主演のキリアン・マーフィー Maja Smiejkowska-REUTERS

<原爆開発をテーマにしたこの作品を、被爆国日本は当事者として評価する権利がある>

現在、世界で最も注目されている映画監督の1人、クリストファー・ノーラン監督(『ダークナイト』『インターステラー』)の最新作『オッペンハイマー』がアメリカで公開されました。7月21~23日という、最初の週末の興行収入は8250万ドル(約117億円)と、科学者の伝記映画としては例外的なヒットとなっています。

内容は、アメリカ陸軍による原子爆弾開発計画「マンハッタン・プロジェクト」のリーダーを務めた物理学者ロバート・オッペンハイマーの半生を描くものですが、単に原爆開発のストーリーだけでなく、非常に複雑な構成が取られています。主人公の半生に加えて、後に「赤狩り」の犠牲者として追及を受けた尋問の様子、さらに彼を陥れた黒幕に対する議会の審議という3つの時間軸がモザイクのように散りばめられ、それぞれが緊張感のある対話劇になっているのです。

ちなみに、主人公を演じたキリアン・マーフィー、その夫人を演じたエミリー・ブラント、さらには陸軍のグローブス中将を演じたマット・デイモン、主人公を陥れようとしたストラウス(後の商務長官)を演じたロバート・ダウニー・ジュニアの4名の演技は、おそらく彼らのキャリアの頂点とも言うべきクオリティです。

ですが、作品として「マンハッタン・プロジェクト」を中心に据え、特に試作された核弾頭「トリニティ」の臨界実験を映像的なクライマックスに据えているのは事実です。ですから、被爆国である日本の人々には、当事者として、この作品を評価する権利があると思います。具体的には次の3点、重要な論点があります。

臨界実験の描写のインパクト

1つは、原爆開発の倫理的責任の描き方です。作品の中では「ナチスが原爆で先行することを防ぐ」というのが主要な動機だとされています。また、降伏寸前の日本に投下して非戦闘員の大量殺戮を行うべきではないという表現もあります。その一方で、軍部、特にスチムソン陸軍長官や、トルーマン大統領は投下に積極的だったという描写がされています。作品の全体としては高いレベルの歴史的考証がされているというのですが、被爆国の立場から見て十分に正確で誠実な描写であるかは、検証が必要と思います。

特に試作弾頭「トリニティ」の臨界実験の描写は、凝りに凝ったCGと音響で圧倒的なインパクトがあります。それが、原爆の恐怖の表現として成功しているのか、それとも「開発成功の勝利感」と取られかねない表現になっているのかも、厳しい検証が求められます。なお、アメリカの配給会社は、この「火球の映像」をマーケティングに使っていますが、少なくとも、このことには被爆国として抗議の声を挙げてもいいと思います。

2つ目は、広島、長崎の惨状に関する描写です。作品では「明らかに違うサイズの2つの木箱」で、広島の攻撃に使用された「リトルボーイ」と、長崎に落とされた「ファットマン」が表現され、ロスアラモス研究所の職員たちが「実際に使われてしまうのでは」という不安な表情で「2つの木箱」の搬出を見守るシーンがあります。私はこの木箱のシーンに鳥肌の立つような戦慄を覚えました。

また、戦後になって広島の惨状を記録したフィルムがロスアラモス研究所で上映され、主人公がその内容に衝撃を受けるシーンがあります。ですが、肝心の広島、長崎の惨状に関するビジュアルの描写はありません。これは、今回2023年5月の広島G7でバイデン大統領が原爆資料館を訪問した際に「悲惨な展示は見なかった」とされ、報道も限定されていたことと関係があります。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

FRBが0.25%利下げ、6会合ぶり 雇用弱含みで

ビジネス

〔情報BOX〕パウエル米FRB議長の会見要旨

ビジネス

FRB、年内0.5%追加利下げ見込む 幅広い意見相

ビジネス

FRB独立性侵害なら「深刻な影響」、独連銀総裁が警
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「日本を見習え!」米セブンイレブンが刷新を発表、日本では定番商品「天国のようなアレ」を販売へ
  • 2
    中国は「アメリカなしでも繁栄できる」と豪語するが...最新経済統計が示す、中国の「虚勢」の実態
  • 3
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェイン・ジョンソンの、あまりの「激やせぶり」にネット騒然
  • 4
    1年で1000万人が死亡の可能性...迫る「スーパーバグ…
  • 5
    【クイズ】世界で最も「リラックスできる都市」が発…
  • 6
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 7
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 8
    燃え上がる「ロシア最大級の製油所」...ウクライナ軍…
  • 9
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 10
    中国山東省の住民が、「軍のミサイルが謎の物体を撃…
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれば当然」の理由...再開発ブーム終焉で起きること
  • 3
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサイルが命中、米政府「機密扱い」の衝撃映像が公開に
  • 4
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 5
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 6
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 7
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 8
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 9
    「なんて無駄」「空飛ぶ宮殿...」パリス・ヒルトン、…
  • 10
    観光客によるヒグマへの餌付けで凶暴化...74歳女性が…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 7
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 8
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 9
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 10
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story