コラム

完璧としか言いようがない、イチロー選手の引退劇

2019年03月22日(金)14時50分

今から思えば、昨年の春、久しぶりにマリナーズに復帰しつつも、シーズン序盤で登録から外れた時点で、「この日」へのシナリオは準備されていたのでしょう。引退はせず、選手登録からは離れて練習を続け、結果的に「引退試合」となったこの「東京シリーズ」に備えたのです。

結果的に、十分な打撃力は戻らないまま春を迎え、スプリング・トレーニング(オープン戦)でも結果は出せませんでした。それでも、球団はイチロー選手を使い続け、特別に拡大された登録枠で一軍登録をして、東京シリーズに帯同させたのです。

起用方法が注目されましたが、結果的にスコット・サービス監督は、2試合ともに先発で起用し、第1戦では2打席、引退試合となった第2戦では4打席、バッターボックスに立たせました。

これは非常に難しい判断だったと思います。低迷の続くマリナーズは、今年こそポストシーズン進出への期待がかかっています。そんな中で、結果の出ないイチロー選手を無理に使って試合に負けることは許されないのです。第2戦に先発した菊池雄星選手が、勝ち投手の権利まであと1アウトのところで交代させられたのもそのためです。菊池投手だけでなく、全選手がそのことを理解していた、そんな雰囲気もありました。つまり「イチロー選手が出場し続けるためには、試合をリードしていなければならない」というプレッシャーです。

「野球の神様」の微笑み

非常に冷めた見方をすれば、イチロー選手の引退試合は公式戦というガチンコでなくてはならないが、力の衰えたイチロー選手を起用し続けて試合に負けることはファンも許さないし、イチロー選手も不本意――それならば勝つしかない、そんなプレッシャーです。

なぜそんな面倒なことをしたのかというと、それは「名誉」の問題なのだと思います。イチロー選手のような偉大な名選手の名誉を表現するには、公式戦という場が必要であり、また出身国のファンに囲まれたエモーショナルな儀式も必要だったのです。そして結果的に引退試合となったイベントを成功させることで、協力したマリナーズの選手たちも、そしてあくまで真剣勝負を挑んできたアスレチックスの投手たちも、真剣にその儀式に参加することで、名誉を確保したのでした。

引退会見で「自分は元イチローになる」と述べて、自分は監督には向かないので子供たちの指導者になりたいと語ったコメントも、まさに野球の神様が微笑むような輝きに満ちたものでした。今回の引退劇は、まさに完璧としか言いようがなく、そこにこの不世出の大選手の人格が反映していたのだと思います。

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プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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