コラム

新幹線の「敵」は貨物列車、日米共通の悩みとは?

2010年09月22日(水)12時03分

 9月21日付けの『ウォールストリート・ジャーナル』3面に、全米の高速鉄道計画の路線図が大きく出ていました。2008年のリーマンショック以来の景気低迷に対して、オバマ政権は「景気刺激策」の一環として、全米での高速鉄道網づくりを予算化しています。この問題が、改めてメディアで取り上げられるというのは、良いことだし、これで日本の各企業も、そして日本政府も期待する「新幹線がアメリカを走る日」が少し近づくのでは、そう思った私は裏切られました。

 その記事の主旨は、必ずしも高速鉄道計画の夢を語るものではなかったのです。今回の記事では、高速鉄道構想が「鉄道貨物輸送」を妨害するという問題から、現在採算ベースに乗っている貨物鉄道事業会社の視点で、高速鉄道構想への疑問を提示しているのです。というのは、例えば今回の高速鉄道構想の目玉である「ロサンゼルス=サンフランシスコ線」の場合、予算の関係から既存のユニオン・パシフィック鉄道の貨物路線を高速鉄道が併用する部分があるというのですが、これにユニオン・パシフィック側が猛反発しているのです。

 貨物鉄道側からすると、現在の米国内の安全基準によれば貨物列車との混在が可能なのは、時速125マイル(200キロ)が限界で、時速300キロ以上で計画中の高速鉄道では危険極まりないというのです。「折角、トラック依存の物流に対する反省から、貨車による鉄道貨物の需要が出てきているのに、今回の高速鉄道計画はこれに水を差す」というので、ユニオン・パシフィック側は、既存の線路を高速鉄道が走るだけでなく、同社の持っている既存の線路脇にある土地の提供も拒否する構えだそうで、この紛争はもしかしたら深刻化するかもしれません。

 とにかく、アメリカの鉄道というのは古典的なATS(自動列車停止装置)やATC(自動列車制御装置)など、信号機と連動したアナログの衝突回避システムはほとんど整備されておらず、そこにランダムといって良い形でコンピュータの自動操縦システムや無線でのコミュニケーションシステムを入れるなど、安全設計は極めてお粗末なのです。そんな中、残念ながら事故は根絶できておらず、私が知っている限りでも、ワシントンDC郊外で地下鉄同士が衝突して8名が死亡した事故(2009年)など、初歩的な信号見落としやポイント切り替えミスによる衝突や、踏切の安全管理の失敗による衝突脱線事故などが絶えないのです。

 そんな中で、貨物線に高速鉄道を混在させようというのですから、考えてみれば危なっかしい話です。これを機会に、高速鉄道計画が日本の「フル規格新幹線」のような「専用線」の建設に向かうことを期待したいのですが、果たしてどうなるでしょうか? ただ、そうなるとコストは非常に高価なものとなります。コスト高となれば、元来が「無料化」が進んでいるアメリカの高速道路網に対抗しての旅客輸送・貨物輸送というのは成り立たないことになります。

 となると、これは日本としてもアメリカを笑えない話になります。環境問題、特に排出ガスの問題を考えると鉄道は効率が良いわけで、その利用を促進したいのであれば、高速無料化というのは逆行した話になります。この問題が1つあり、もう1つコストの問題も重要です。これからどんどん整備新幹線が開通してゆくとなると、並行在来線の経営はJRとしては引き受けないことになっているわけです。そこで、第三セクターによる鉄道存続という話になるわけですが、そうなると第三セクターは経営基盤が弱いために長距離貨物列車に高額の通過料金を請求せざるを得ない、その結果として鉄道貨物のコスト体系も変わってくる可能性があるのです。

 中には、「北海道新幹線の開通後に青函トンネルをどう貨物列車を通すか?」などというまだ解答の出ていない難問もあるわけです。青函トンネルは距離が長いために、現在の貨物列車のスピードですと、新幹線と同じ方向に走る貨物列車を、その前の新幹線の通過直後にすぐに発車させても、トンネル区間を過ぎるまでに「次の新幹線に追いつかれてしまう」のです。これを回避するためには、トンネルの海底部分に追い越し設備を作る必要がありますが、これはコスト的に不可能、となると、新幹線を減速するか、貨物のスピードを上げなくてはなりません。また高速の新幹線と貨物列車が狭いトンネル内ですれ違うと風圧で貨物列車が脱線する可能性もあります。特に一部にカラの車両があったりすると危険だというのです。

 こうした問題に関しては技術的な解決法が見えていません。一番良いのは、青函の区間だけ貨車を新幹線車両に乗せる「トレイン・オン・トレイン方式」ですが、かなりコストがかかりそうです。上下線の間に遮風壁をという案もあるようですが、これも相当なコストになるでしょう。いずれにしても、高速鉄道と貨物列車、そして鉄道と道路、空港整備といった交通行政に関しては、経済効果を考えながらコストや環境の問題、更には安全の問題を踏まえた大局的な合意形成が必要になると思います。この点では、日米は同じ先進産業化社会として似たような悩みを抱えているというわけです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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