コラム

ガン検診サービス改悪案の出所は保守? それともリベラル?

2009年11月25日(水)13時16分

 11月に入って、女性に対するガン検診の制度が変わるかもしれないという報道が相次ぎ、アメリカでは毎日コロコロ変わるニュースのために混乱が続きました。というのは、医療制度に関する専門家委員会が「若年層へのガン検診はムダ」という提言を行ったからで、例えば乳がんのX線検査(マンモグラフィー)は現在「40歳以上に毎年」という基準であるのを「50歳以上、しかも隔年」にするというのです。また、子宮頸がん検診(パップテスト)も20代など若年層は対象から外すという案が提言には含まれていました。

 報道を受けて世論は一斉に猛反対となりました。特に乳がん検診に関しては、ここ数年「ピンクのリボン」をシンボルにガン征圧の運動は社会的に盛り上がっており、検診の普及というのは運動の中核に位置づけられていたのです。検診のおかげで早期発見ができたという人も多く、特にそうした人が40歳代である場合は、改定案のようになっていれば命を落としていたかもしれないということになります。TV各局は連日のように反対論を取り上げていました。

 こうした事態を受けて、オバマ政権のキャサリン・セベリウス保健長官は「見直しをしない」ことを言明、とりあえず騒動は収まっています。ですが、専門家委員会の提言に世論が猛反対した結果、保健長官が撤回を表明したという流れは不自然ですし、そもそも一連の動きが賛否両論が激しく衝突している「医療保険保険改革」の審議と並行していたというのも背景の複雑さを暗示しています。

 では、この専門家委員会の提言の背後にいるのは、保守なのでしょうか? それともリベラルなのでしょうか? 言い換えれば、提言に賛成しているのは国民皆保険を目指している民主党なのか? 皆保険に反対している共和党なのか? 一見すると医療福祉政策の改悪とか予選削減という話ですから、提言の背景には共和党の存在がありそうですが、どうなのでしょう?

 どうやら真相は逆のようです。ガン検診の予算削減というアイディアの出所は民主党系、つまり医療保険改革を進め長年の課題であった国民皆保険の実現を目指している政権の周囲からのようなのです。彼等は、共和党の猛反対にも関わらず「パブリック・オプション」つまり官営の医療保険制度の導入を進めています。この問題こそ、賛否のもっとも分かれる点であり、民主党の中間派もグラグラしています。例えば現在全ての審議が委ねられている上院本会議でも、民主党議員のうち最低でも2名は本稿の時点では反対の意向です。ここを突破するには、とにかく民間の高価な保険に加入できない無保険者に対して、官営保険を導入しても「コストが青天井にはならない」ような案にしなくてはなりません。

 そこで国のガイドラインとしての「ガン検診の基準」を厳しくしてしまえば検査費が削減でき、官営保険の加入者に対する「コスト抑制」になり、反対派に対して胸が張れるというわけです。ですから一見すると反福祉の立場のように見えても、出所は民主党系なのです。その証拠に共和党の女性議員団は「乳がん検診の最低年齢を50歳に引き上げるなんて、とんでもない」という反対声明を出しています。中には「これは『死の審議会パート2』だ」という声まであります。「オバマの改革は『死の審議会(デス・パネル)』を作って末期の患者を放置して医療費を削減する気だ」という、初夏の時点で、あのサラ・ペイリンが吠えたエピソード(本当はデマ)に引っかけた発言です。

 では、どうして共和党は反対するのでしょう? 一見すると、「大きな政府」につながる「高福祉」は共和党のイデオロギーに反するのではないでしょうか? それは、共和党が唯一認めている民営保険を運営している営利企業の保険会社は「乳ガン検診は40歳から、年1回で構わない」と言っているからです。政府より営利企業の方が「太っ腹?」というわけで、頭がクラクラするような複雑な話なのですが、営利企業の側からすると「高額なガン治療の患者を抱えるより早期発見の方が経済合理性にかなう」のです。ですから、見直し案が論議されている間も、医療保険会社の連合は「ガイドラインが変わっても、40歳から年1回の検診を認めます」と言っていたのでした。

 高額な治療費より予防策の方が低コスト、であるのなら、どうしてオバマ政権の進める公営保険の導入を前提に「50歳以上、隔年」などという案が出てきたのかというと、実は公営保険には一定の枠がはめられていて「高額なガン治療は全額出ない」ような設計にしようとしているらしいのです。つまり共和党(と民主党中間派)の反対が激しいので、どうしても「トータルでのコストダウン」に走らざるを得ない、その結果として予防のための検診も、実際にガンになった場合の治療にも「ケチケチ」したものにせざるを得ない、それが「提言」の背後にある考え方だったようです。

 というわけで、何ともねじれた話なのですが、どうしてここまで複雑になるのかというと、オバマ大統領が選挙戦を通じて訴えてきた医療保険改革案の「精神」というのは、「国民皆保険は目指すが、同時に医療費抑制をやってコストを抑える」というものだったからです。この点において、もっと理想論に振った高コストの案を主張したのがヒラリー・クリントンだったわけで、予備選の勝敗を左右した要素の中でも、この問題は大きかったのです。

 いかにも「中道現実路線」のオバマらしいのですが、同時にこの路線は左右両派から叩かれるイバラの道というわけです。今回のエピソードは、このオバマ流を現実に進めることの難しさを示していると思います。女性のガン検診という微妙な問題だけに、ここに手をつけるのはダメだったわけですが、仮に改革が成功するとすれば、この「加入者拡大+医療費抑制」について、最低限の合意ができなくてはいけません。アフガン問題を含めて、感謝祭(今週末)の連休明けの政局は大きなヤマ場に差し掛かることになります。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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