コラム

知事から国政へ、アメリカの場合・日本の場合

2009年07月10日(金)12時44分

 マイケル・ジャクソン報道に、オバマ大統領もサミットも「かすんだ」感じがあるのですが、その中で比較的取り上げられたのが先週末にあったサラ・ペイリン、アラスカ州知事の辞意表明でした。昨年秋の大統領選でマケイン候補から共和党の副大統領候補に指名され何かと話題を呼んだ彼女ですが「2012年には大統領候補に」という声もかかる中での辞任ということで、メディアも無視はできなかったのです。

 辞任の背景には、知事職の任期が来年で切れるので再選を目指すにはテクニカルな問題からそろそろ決断しなくてはならなかったこと、その知事選について実は出た場合は苦戦が予想されるということなどが囁かれています。アラスカ州はペイリン知事のために全米の脚光を浴びましたが、元々は非常にリベラルな風土であり、州の財政再建のために共和党知事を選んだものの、余りの保守ぶりに有権者の逆風が吹いているのです。

 国政経験のなさなどで批判が絶えないペイリン知事ですが、共和党としては「仮にオバマ大統領の経済政策が失敗に終わった」場合には、2012年にも政権奪還のチャンスが出てこないとも限らないわけで、そのためにはペイリン知事というのは「大切な持ち駒」なのです。それは、妊娠中絶への反対といった「真正保守の条件」に合うだけではなく、州知事の経験が大統領候補としての有力な条件になるという伝統があるからです。

 例えば、2012年に向けて共和党の大統領候補の顔ぶれを予想してみると、ペイリン知事の他にも、ロムニー元マサチューセッツ州知事、ポーレンティー現ミネソタ州知事、ジンデル現ルイジアナ知事など現職知事や知事経験者が多いのです。この傾向は共和党だけではありません。そもそも知事から国政経験なく大統領へというケースとしては、カーター大統領(元ジョージア州知事)やビル・クリントン大統領(元アーカンソー知事)といった民主党のケースの方が有名です。

 どうして知事経験者から大統領にというルートがあるのかというと、それはアメリカの州知事が州の「最高経営者」として実権があるからです。財政に責任を持つだけでなく、州の経済、雇用を拡大したり、州法に基づく行政の執行を行い、その実績を評価されるのが州知事だからです。死刑のある州の場合は、州内での死刑執行も恩赦も知事権限になっているケースが多く、そこで世論や法律を見ながら的確な判断が下せたのなら、その資質は大統領に相応しい、アメリカ人はそう考えるのです。

 中には「腹黒いウラ交渉ばかり」やっている連邦議会経験者より知事の方が、大統領候補には適任という考え方もあります。その点で、バラク・オバマ、ヒラリー・クリントン、ジョン・マケインという主要な3候補が全て現職の上院議員だった昨年の大統領選挙は、むしろ例外ということになります。

 そう考えると、日本で県知事の中から国政のトップに擬せられる、あるいは自分から野心を持つ人材が出てくるのは自然に思えます。特にリーダーシップの中で重要な要件である、世論、議会、官僚とのコミュニケーション能力ということでは、知事として鍛えられた人の力に期待が集まるのは十分に理解できます。

 ただ、今行われている議論に関して言えば、日本の元気の良い知事さんたちは「中央と地方の枠組みを変えるために、緊急避難的に中央政界に強い影響力を持ちたい」というのが国政への発言を行う主要な動機のようです。そこには論理矛盾があります。仮に国政に進出した場合は「公約通り中央から地方に権限を委譲します」では済まされないのです。県知事として県の発展のための「最適解」として権限委譲を求めてきたのは分かりますが、国政レベルに進出した場合は「国全体としての最適解」を求めることが要求されます。それは必ずしも「中央の権限を壊す」ことにはなりません。

 日本の知事さんたちは、単に中央の予算と権限を奪うだけでなく、その上で地方の文化、地方のエネルギーによる「中央の助けを借りない経済再生の成功事例」を実現すべきだと思います。そこで更に能力を磨いた知事経験者がやがて国政を担うようになれば、日本の政治不信の霧も晴れてくるでしょう。ただ、その際には仮に橋下氏にしても、東国原氏にしても「アジア的な開発独裁志向」的なスケールの小さな政治をやってもらっては困ります。高付加価値産業と関連した人材が国外に逃げていくことになるからです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

米、月内の対インド通商交渉をキャンセル=関係筋

ワールド

イスラエル軍、ガザ南部への住民移動を準備中 避難設

ビジネス

ジャクソンホールでのFRB議長講演が焦点=今週の米

ワールド

北部戦線の一部でロシア軍押し戻す=ウクライナ軍
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:Newsweek Exclusive 昭和100年
特集:Newsweek Exclusive 昭和100年
2025年8月12日/2025年8月19日号(8/ 5発売)

現代日本に息づく戦争と復興と繁栄の時代を、ニューズウィークはこう伝えた

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    頭部から「黒い触手のような角」が生えたウサギ、コロラド州で報告相次ぐ...衝撃的な写真の正体
  • 2
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...「就学前後」に気を付けるべきポイント
  • 3
    【クイズ】次のうち、「海軍の規模」で世界トップ5に入る国はどこ?
  • 4
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大…
  • 5
    債務者救済かモラルハザードか 韓国50兆ウォン債務…
  • 6
    「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」(東京会場) …
  • 7
    「触ったらどうなるか...」列車をストップさせ、乗客…
  • 8
    「長女の苦しみ」は大人になってからも...心理学者が…
  • 9
    「デカすぎる」「手のひらの半分以上...」新居で妊婦…
  • 10
    【クイズ】次のうち、「軍事力ランキング」で世界ト…
  • 1
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 2
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...「就学前後」に気を付けるべきポイント
  • 3
    頭部から「黒い触手のような角」が生えたウサギ、コロラド州で報告相次ぐ...衝撃的な写真の正体
  • 4
    「笑い声が止まらん...」証明写真でエイリアン化して…
  • 5
    「長女の苦しみ」は大人になってからも...心理学者が…
  • 6
    「触ったらどうなるか...」列車をストップさせ、乗客…
  • 7
    「何これ...」歯医者のX線写真で「鼻」に写り込んだ…
  • 8
    【クイズ】次のうち、「海軍の規模」で世界トップ5に…
  • 9
    産油国イラクで、農家が太陽光発電パネルを続々導入…
  • 10
    債務者救済かモラルハザードか 韓国50兆ウォン債務…
  • 1
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベーション、医師が語る熟年世代のセルフケア
  • 2
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 3
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 4
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 5
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 6
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅…
  • 7
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 8
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
  • 9
    イラン人は原爆資料館で大泣きする...日本人が忘れた…
  • 10
    12歳の娘の「初潮パーティー」を阻止した父親の投稿…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story