コラム

冷戦下の時代に翻弄される音楽と男女の軌跡を描く『COLD WAR』

2019年06月27日(木)15時15分

冷戦下という時代に翻弄される二人......『COLD WAR あの歌、2つの心』

<冷戦下のポーランド、ベルリン、ユーゴスラビア、そしてパリを舞台に、陰影に富む美しいモノクロ映像と音楽を通して1949年から64年に至る男女の軌跡を描き出す......>

『イーダ』でアカデミー賞外国語映画賞を受賞したパヴェウ・パヴリコフスキ監督の新作『COLD WAR あの歌、2つの心』では、冷戦に翻弄されながらも深く愛し合う男女の数奇な運命が描き出される。

1949年、冷戦下のポーランド。新たに音楽合唱舞踊団を立ち上げるための養成所で、ピアニストのヴィクトルと歌手を夢見る生徒ズーラが出会い、強く惹かれ合っていく。だが、西側の音楽を愛するヴィクトルは政府に監視されるようになり、パリに亡命する。音楽合唱舞踊団で歌手として成長を遂げたズーラは、公演で訪れたパリでヴィクトルと再会し、すれ違いを経てようやく共に暮らすようになるが、ある日突然、ポーランドへ帰ってしまう。ヴィクトルは彼女を追ってポーランドに向かうが──。

音楽を通して1949年から64年に至る男女の軌跡を描く

本作はパヴリコフスキの両親に捧げられ、ふたりの主人公の名前はその両親からとられている。ただし、部分的に両親の人生に基づくだけで、伝記映画ではない。

パヴリコフスキは、大胆な省略が際立つ構成、陰影に富む美しいモノクロ映像、緻密なアレンジが施された民族音楽やジャズなどを駆使することで、物語に頼らず、音楽を通して1949年から64年に至る男女の軌跡を描き出していく。

だから省略部分を想像力でいかに補うかによって印象が変わってくる。なかでも筆者が特に注目したいのが、廃墟となった教会に対するパヴリコフスキの眼差しだ。物語の始まりと終わりに同じ場所が出てくることは珍しくないが、登場人物と場所の関係をいくらか説明すれば、そこに特別な意味が込められていることがわかるだろう。

本作は、3人の男女が、辺境の村々を訪ね歩き、音楽を収集する場面から始まる。その3人とは、主人公のヴィクトル、ダンス教師のイレーナ、そして彼らを指揮する管理部長カチマレクだ。彼らは、国立の音楽合唱舞踊団を立ち上げるために旅している。

そんな旅の途中で、カチマレクが車を降り、雪に覆われた平原の道を歩き、林で用を足す。すぐそばに戦争で破壊され、廃墟となった教会があることに気づいた彼は、そのなかに入っていく。教会は、壁のフレスコ画が剥がれかけ、丸屋根が崩れ落ちて空が見えている。そこから映像は、地方で見出された少年少女が音楽合唱舞踊団の養成所に集められる場面に変わる。

教会はカチマレクがたまたま目にしたもので、おそらくはその場所も把握していないし、すぐに忘れてしまうような出来事に見える。ところが、最後に再び教会の場面になるとき、そこに現れるのはズーラとヴィクトルであり、彼らは以前から知っている場所、まるで戻ることが運命づけられている場所であるかのように、そこにやって来る。

義務づけられた社会主義リアリズムという芸術

そうなると、この教会は象徴的な意味を持つことになる。ではどんな意味か。パヴリコフスキが音楽を中心に据えていることを踏まえるなら、やはり音楽から考えてみるべきだろう。スレファン・シレジンスキ/ルドヴィク・エルハルト編『ポーランド音楽の歴史』には、戦後の音楽の状況について、そのヒントになるような記述がある。


 「戦争が、破壊の結果として、また徹底してポーランド文化の抹殺をめざした5年半にわたる占領者の計画的、組織的活動の結果として残したものは荒涼たる文化の砂漠であった。したがって、まずなすべきは活動の再開や刷新ではなく、音楽生活とその組織、施設を完全に一から作り出すことであった」

OBA0627B.jpg

『ポーランド音楽の歴史』ステファン・シレジンスキ/ルドヴィク・エルハルト編 阿部緋沙子/小原雅俊/鈴木静哉訳(音楽之友社、1998年)

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

アングル:米中会談に気をもむ台湾、MAGA通じて支

ワールド

米国、駐韓大使代理を任命 トランプ氏訪問控え

ワールド

キルギス、国家ステーブルコイン導入 バイナンスと提

ワールド

米、国境の顔認識拡大 外国人の追跡強化
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:脳寿命を延ばす20の習慣
特集:脳寿命を延ばす20の習慣
2025年10月28日号(10/21発売)

高齢者医療専門家の和田秀樹医師が説く――脳の健康を保ち、認知症を予防する日々の行動と心がけ

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 2
    熊本、東京、千葉...で相次ぐ懸念 「土地の買収=水の支配」の日本で起こっていること
  • 3
    中国レアアース輸出規制強化...代替調達先に浮上した国は?
  • 4
    「信じられない...」レストランで泣いている女性の元…
  • 5
    庭掃除の直後の「信じられない光景」に、家主は大シ…
  • 6
    「平均47秒」ヒトの集中力は過去20年で半減以下にな…
  • 7
    メーガン妃の「お尻」に手を伸ばすヘンリー王子、注…
  • 8
    1700年続く発酵の知恵...秋バテに効く「あの飲み物」…
  • 9
    シンガポール、南シナ海の防衛強化へ自国建造の多任…
  • 10
    【テイラー・スウィフト】薄着なのに...黒タンクトッ…
  • 1
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 2
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 3
    今年、記録的な数の「中国の飲食店」が進出した国
  • 4
    中国レアアース輸出規制強化...代替調達先に浮上した…
  • 5
    超大物俳優、地下鉄移動も「完璧な溶け込み具合」...…
  • 6
    【クイズ】1位は「蚊」...世界で「2番目に」人間を殺…
  • 7
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
  • 8
    熊本、東京、千葉...で相次ぐ懸念 「土地の買収=水…
  • 9
    報じられなかった中国人の「美談」
  • 10
    【2025年最新版】世界航空戦力TOP3...アメリカ・ロシ…
  • 1
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 2
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になりやすい人」が持ち歩く5つのアイテム
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    「大谷翔平の唯一の欠点は...」ドジャース・ロバーツ…
  • 5
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 6
    増加する「子どもを外注」する親たち...ネオ・ネグレ…
  • 7
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
  • 8
    バフェット指数が異常値──アメリカ株に「数世代で最…
  • 9
    「日本の高齢化率は世界2位」→ダントツの1位は超意外…
  • 10
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story