コラム

中国政府はなぜ人権派を根こそぎにするのか

2014年05月29日(木)16時00分

 中国の人権派弁護士、浦志強(プー・チーチアン)氏が「騒動挑発」容疑で5月初めに公安当局に拘束されてから3週間余り。その後も中国では公安当局による記者や弁護士の拘束が続き、習近平政権はまるで民主派・人権派を根こそぎにしようとしているようでもある。89年の天安門事件から今年の6月4日で25年。政治的に敏感な時期とはいえ、かつてない摘発は共産党がまるで何かに脅えているようにも映る。相次ぐ拘束の背景には何があるのか。中国の民主活動家やリベラルな記者たちと長く交流し、浦弁護士とも家族ぐるみで付き合いのある阿古智子・東大准教授に聞いた。


――浦弁護士に続いて、記者やほかの弁護士の拘束が続いています。

(浦弁護士の捜査に関連して拘束されていた)日経新聞重慶支局の中国人助手の家族に26日、「騒動挑発」罪での正式な拘留通知書が手渡されました。

 浦氏の事件では浦氏のめいの弁護士と元サウスチャイナ・モーニングポスト紙記者も拘束されているが、日経の助手も含めてすべて女性で、子供がいます。当局が浦氏に圧力をかけやすくしようとしていると思える節もあります。

 公安当局は浦氏やめいの弁護士が、中国メディアの代理として、企業の登記情報を入手していたことを不正な個人情報の入手だとして立件しようとしているようで、浦氏と関係のあった記者たちから事情聴取しているようです。しかし、企業の登記情報は公開されており、個人情報には当たらず、それをもって犯罪だというのは荒唐無稽です。

浦志強
浦志強弁護士(今年2月撮影)(c)Nagaoka Yoshihiro

――6月4日の天安門事件25周年の1カ月前に開いた集会が騒乱挑発罪にあたるとされた訳ですが。

 あくまで口実だと思います。習近平政権は反腐敗・反汚職を名目に「双規(編集部注:事件の調査で『規定の時間、規定の場所で関係者に説明を求める』という条例の記述を根拠に、共産党内の規律検査部門が事実上、無制限に行う取り調べのこと)」を使って多数の共産党員を逮捕していますが、浦弁護士はこの「双規」の違法性を問おうとしていた。この動きが当局を刺激した可能性があります。

――習政権は既得権益層である国有企業を対象にした汚職狩りを続けています。これは、「抵抗勢力」を排除することで、中国経済の構造改革を進めやすくする狙いもあるのでは?

 ただ、中央の指導者たちは、家族や親戚が関係する国有企業には手をつけたくないでしょう。権力闘争が激しい地方の党組織が率先して取り締まるのも、敵対勢力の汚職です。ですので、必ずしも汚職摘発が構造改革のため、ということでもないと思います。むしろ、政敵の追い落としに利用している側面が強いのではないでしょうか。

――中国当局の人権侵害について、当の中国人はどう受け止めているのでしょうか。

 例えば、日本で学ぶ中国人留学生でも、浦弁護士の存在を知らない人が大多数です。自分には関係ないと思う学生もいますし、あるいは中国に合わない人権擁護運動は意味がないと反感をもつ人もいます。それは中国社会の多様化・重層化と関係している。ほとんどの中国人は日々の暮らしを生きることに精いっぱいで、浦氏たちの言っていることがきれいごとに映る部分もある。

 天安門事件をきっかけに、中国では多くの知識人が(民主化運動や人権とは関係ない)ビジネスの世界に入ったり、あるいは海外に流出したりしてしまいました。その結果、有力な知識階層がほとんど育たなくなり、外に出た人は出た人で日々の暮らしに追われ、政権に残った側は自分たちの地位を守ることに汲々とする、という状況になっています。

 法律学者の許志永氏が(出稼ぎ労働者の教育機会均等や政府高官の資産公開を求めて)始めた「新公民運動」のような動きに加わって来る人たちもいますが、裾野はなかなか広がりません。中国人ももちろん高い理想を持つ人ばかりではなくて、例えば、「ごね得」とばかりに、環境保護や強制立ち退き反対を名目に、自分の利益を最大化しようとするような人もいる。市民社会、公民社会が育っていないのです。

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阿古智子・東大准教授 (c)Nagaoka Yoshihiro

――中国では相変わらず深刻な人権侵害が続いている訳ですが、外交的に対立しがちなこともあり、日本では中国の人権改善を正面から求める動きは鈍いです。

 共産党にとって、日本を敵国としてとらえるのは自分たちの正統性を証明するための「神話」です。ただ最近、一部の市民や浦弁護士もその1人ですが、共産党の「神話」を新たな文献を提示することで突き崩そうとする動きが現れていました。例えば(50年代末から60年代初めにかけての)大躍進運動の死者数などについてなどですが、真実をしっかり明らかにしようとする動きが中国で起きている、ということは日本人も知るべきだと思います。あるリベラル知識人が集まった内輪の研究会で領土問題が話題に上った際には、出席者の8割が「尖閣は日本の領土」という意見を持っていたという話も聞きました。


 浦氏の刑事拘留期間(37日間)の満期まであと約2週間。捜査に関する情報は漏れ伝わって来ないが、持病をかかえる浦氏が厳しい状況にあるのは間違いない。今年2月の来日時の取材(「中国を変えた男」)で、浦氏は「領土問題や南京虐殺といった歴史問題でなく、今の中国政府が新公民運動のような人権運動を弾圧していることを強く批判すべきだ」「日本政府はそれができる立場にある」と語っていた。中国の領土的・軍事的膨張は加速こそすれ、収まる気配がない。そして、我々日本人はますます中国国内の人権問題に注意を払わなくなっている。「まず忘れてほしくないのは、中国人民の権利が今も侵害されているということだ」という浦氏の言葉を、25年目の6月4日を前にもう一度かみしめている。

――編集部・長岡義博(@nagaoka1969)

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ニューズウィーク日本版は1986年に創刊。世界情勢からビジネス、カルチャーまで、日本メディアにはないワールドワイドな視点でニュースを読み解きます。編集部ブログでは編集部員の声をお届けします。

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