コラム

尖閣問題はもはや「棚上げ」できない

2012年08月29日(水)09時00分

尖閣問題はもはや「棚上げ」できない

大きな火種 香港の活動家たちを乗せ、尖閣諸島を目指す漁船
Japan Coast Guard-Handout-Reuters

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 夏の沖縄の青い海で、さびれた中国漁船と日本の海保の艦艇がぶつかりあう。「同胞」の逮捕に怒った中国人が大陸の都市で反日デモに繰り出し、日本車や日本料理店を襲う――。

 まるで2年前の再現映像を見ているようだ。8月中旬、日中が領有権を争う尖閣諸島(中国名・釣魚島)に漁船で接近し、上陸した香港人の活動家を海上保安庁が逮捕・強制送還すると、中国の20都市以上で日本に対する抗議するデモが発生。深圳市では日本製だということで警察車両までがひっくり返され、日本料理店の玄関ホールが破壊された。

 横断幕に並んだフレーズも「日本製品ボイコット」「日本は釣魚島から出ていけ」と、2年前と同じお決まりの内容。ただ前回は3日連続した逮捕直後のデモが今回は1日だけで終わった(散発的なデモは先週末も発生したが)。より正確に言えば、共産党政権がメディアによるデモ報道を規制し、マイクロブログ新浪微博で「反日デモ」を検索禁止用語にして無理やり終息させた。

 ほぼ同時期に李明博大統領の竹島訪問から天皇批判へと日本への対応をエスカレートさせた韓国と比べれば、ずいぶん大人の対応に見える。そもそも香港の活動家が上陸したきっかけは、石原慎太郎・東京都知事がアメリカで突然ぶちあげた尖閣購入計画だった。世界第2位の経済大国になった中国は、もはや沖合の小島の領有権ごときで右往左往しない大人の国になったのか。

 残念ながらそうではない。デモ拡大を嫌ったのは、共産党指導部がこれ以上の厄介事を避けるためだ。今年秋に胡錦濤国家主席から習近平副主席への政権移譲があるにもかかわらず、2月に発覚した重慶市トップ薄煕来と妻、谷開来のスキャンダルで指導部はこの半年間大揺れだった。今回の事件直後のデモ発生都市数は2年前の4倍以上。参加者の矛先が政権批判に向かう事態だけは何としても避けたかったはずだ。

 今回、日本政府は東京都の要求している測量調査のための上陸を許可しなかった。これで香港の活動家と日本の地方議員それぞれ1回の上陸で、日中双方が痛み分け――両国の外交当局が望む「棚上げ」状態が当面は続くようにも思える。

 残念ながら、これもそう都合よくいかないだろう。最大の不安要素は、秋の第18回党大会で新たな中国のトップに就任する習近平だ。

 これまでの胡錦涛個人は比較的親日と見られていた。だが人民解放軍の勤務歴があり、妻が軍の人気歌手である習は軍の意向を外交に強く反映する可能性がある。軍のスポークスマンのようにメディアに頻出する人民解放軍の羅援(ルオ・ユアン)少将は尖閣騒動直前の7月、香港のテレビに出演して「釣魚島に軍事演習区を設置せよ」と述べた。その拡大志向は明らかだ。

 もちろん秋の就任直後から、習が露骨な強硬策に転じるとは考えにくい。ただ軍から身内のように思われている習でも、軍をコントロールするのは容易でない。軍の政治委員として抗日戦争と国共内戦を戦い、軍を完全に掌握していた鄧小平以降、中国のトップを務めた江沢民と胡錦涛はいずれも文民出身だった。この2人は軍をコントロールするために多額の軍事費増加を認め、その結果中国の軍事費はこの20年間で17倍に膨れ上がった。

「(習の)トップ就任直後の強硬策はありえないが」と、中国人政治研究者の趙宏偉(チャオ・ホンウェイ)・法政大学教授は言う。「(文民の)習は鄧ほど軍への抑えが利かない。いったん触れ上がった軍事費を減らす理由もなく、使えるカネが増えれば使う口実も増える」

 不気味な動きもある。丹羽宇一郎・駐中国大使が載った公用車が8月27日、北京市内で2台の車に強制的に停車させられ、車に取り付けられていた日本国旗を奪われる事件が起きた。大使の行動は原則非公開であり、相手が1台なら偶発的な事件の可能性が高いが、複数の車が連携して大使の車を追跡し、むりやり停めさせたのだとすれば、計画性も疑われる。

 米軍のアジア・太平洋回帰戦略に対抗するかのように、中国は同じく領土問題を抱える韓国、特にロシアとの連携を深め日本を包囲しようとしている。8月にモスクワで開かれた中露安全保障会議に出席した外交担当の国務委員、戴秉国(タイ・ピンクオ)はロシア側に対して「主権や領土の一体性、安全保障をめぐる問題で互いに支持すべきだ」と呼び掛けた。あまり知られていないが、旧ソ連と対立してきた経緯から中国はこれまで北方4島を日本の領土と認めてきた。戴の発言は、北方領土をロシア領と認めること方向にシフトすることで、対日本包囲網にロシアを巻き込もうとする思惑の現れかもしれない。

 中国は自国の活動家の動きを封じることはできても、「1国2制度」の香港や、国民党政権の台湾の動きをコントロールすることはできない。当初は秋の予定だった香港の活動家の尖閣再上陸は来年春以降に持ち越される可能性があるが、今度は台湾の地方議員が尖閣諸島に向けて出港する、と息巻いている。共産党の独裁政治を否定する台湾や香港だが、尖閣諸島は中国の領土であるという点では考えが一致している。「中国人意識」が大きくかかわる領土問題と、民主化や人権問題はあくまで別だ。

 つまり香港人であろうと台湾人であろうと、「中国人」が再び「国土」に上陸して日本政府に逮捕される事態になれば、中国大陸で再び抗議デモが起きる可能性がある。もし日本政府が逮捕者を強制送還せず起訴して裁判に持ち込めば、怒りは裁判が終わるまでの数カ月間続くことになる。そんな圧力には日本政府も中国政府も耐えられない。

 尖閣問題が先送りされた最大の根拠は、78年に来日した鄧小平の「この問題は10年棚上げしても構わない。我々の世代の人間は知恵が足りない。次の世代はもっと知恵があるだろう」という言葉だ。文化大革命が終わり、改革開放政策に取り組み始めたばかりの中国にとって、日本の技術力や資金は経済発展に不可欠だった。日本にとっても中国の巨大市場としての潜在力は魅力だった。

 ただその後30年近く経ち、中国はGDPで日本を抜いて世界第2位に躍進した。経済成長で膨らんだ国民のプライドと胃袋を満たすため、今や中国は日本を押しのけてじわじわと領海を広げようとしている。「そもそも領土問題を解決するのは極めて困難。だからこそ両国とも棚上げ派が主流を占めてきた」と、法政大学の趙教授は言う。「ただ中国も日本も新たな対策を求める強硬派が台頭しつつある」

 日本を取り巻く東アジア情勢は大きく動き始めている。尖閣諸島はこれから何度も領土問題に荒波にもまれるだろう。そもそも鄧小平が示唆した「棚上げ」の期間は10年。先送りでやり過ごせる時代はとっくに終わっていた、ということだ。 

――編集部・長岡義博(@nagaoka1969)

※本日発売Newsweek日本版9月5日号の特集は、もう一つの領土問題である竹島と韓国にフォーカスした『暴走する韓国 その不可解な思考回路』。日本人の理解を越えた韓国の「独島愛」の原点を探る内容です。

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ニューズウィーク日本版は1986年に創刊。世界情勢からビジネス、カルチャーまで、日本メディアにはないワールドワイドな視点でニュースを読み解きます。編集部ブログでは編集部員の声をお届けします。

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