コラム

マグロ取引禁止を仕掛けた男

2010年03月16日(火)11時00分

 3月13日からカタールで始まったワシントン条約締結国会議では、乱獲などで個体数の減少が懸念されている大西洋・地中海のクロマグロを「絶滅の恐れがある動植物」に指定し、国際取引を禁止する案が採択されるかどうかが焦点の一つになっている(特集「マグロが消える日」はこちら)。

 採択には投票数の3分の2以上の賛成が必要だが、すでにアメリカやEU(欧州連合)が支持を表明しており、可決される公算が高まっている。クロマグロ漁や畜養で利益を上げている地中海沿岸国の漁業関係者は強く反発しており、世界一の消費国である日本では「マグロが手に入らなくなるのか」という不安が消費者や産業界に広がっている。

 大西洋・地中海のクロマグロの個体数の減少はかなり前から進んでいたが、今回こんな事態に発展したのは、昨年モナコが国際取引禁止案を提案したのがきっかけ。そこで当然沸いてくる疑問は――なぜモナコ?

 人口約3万3000人の世界で2番目に小さい国で、周辺はイタリアやフランスなど、クロマグロ漁や畜養を盛んに行っている大国に囲まれている。クロマグロの保護を訴えても、隣国の神経を逆なでするだけで何の得にもならなさそうなのに、なぜ旗振り役を買って出たのか。その背景には、一人の筋金入りの環境活動家がいる。同国の元首であるアルベール2世(52)だ。

 父親であるレーニエ3世の逝去に伴って05年に即位して以来、アルベール2世は環境保護活動に熱い情熱を注いできた。とりわけ地中海沿岸の海洋資源と北極圏の環境については専門家も顔負けの精通ぶりで、06年には地球温暖化の影響を調査するために自ら北極を訪れ(国家元首としては初めて犬ぞりで北極点に到達)、09年には南極へも赴いた(26カ所の観測基地を視察)。06年にはアルベール2世基金を創設し、水資源の確保、絶滅危惧種の保護などを課題に掲げて数々の支援活動を行っている。

 クロマグロについては09年6月、イギリス人ジャーナリストとの共同寄稿をウォール・ストリート・ジャーナル紙に掲載したのが事の始まり。その寄稿の中で、クロマグロ資源が危機的状況にあることを説明したうえで、モナコはクロマグロをワシントン条約の「絶滅の恐れがある動植物」に指定することを提案すると表明した。

 その後、同年9月には欧州委員会がEU加盟国に対してモナコの提案を支持しようと提案したが、主に地中海沿岸諸国の反対を受けて頓挫。それでもアルベール2世は諦めなかった。翌月、モナコは再び国際取引禁止案を正式提案し、徐々にフランスやイタリアなどのクロマグロ漁業国も支持に転じていった。

 ある意味で、今回の国際取引禁止案はモナコだから提案できたとも言える。地中海沿岸国とはいえ主な産業は観光なので、国内の漁業関係者から反発を受ける心配はない。それにEUにも加盟していないから、第3者的立場で余計なしがらみも少ない。

 とはいっても、環境保護への情熱がなければ、これほど面倒な役を担う気にはならないだろう。海を守るというアルベール2世の情熱は、祖先にあたるアルベール1世(1848~1922)から受け継いだものでもある。海洋学者でもあったアルベール1世は海洋調査船を建造し、海流の調査や深海生物の研究などに精力的に取り組んだ。「私は彼のビジョンと遺産を今の時代に引き継ぎ、彼の旅を締めくくりたい」と、アルベール2世は09年3月のあるインタビューで語っている。

 今回の提案が可決されれば、大きな前進になるのは確か。しかし地球を取り巻く状況を考えると、アルベール2世の旅の終わりは当分見えそうにない。

──編集部・佐伯直美

このブログの他の記事も読む

プロフィール

ニューズウィーク日本版編集部

ニューズウィーク日本版は1986年に創刊。世界情勢からビジネス、カルチャーまで、日本メディアにはないワールドワイドな視点でニュースを読み解きます。編集部ブログでは編集部員の声をお届けします。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

英住宅ローン融資、3月は4年ぶり大幅増 優遇税制の

ビジネス

LSEG、第1四半期収益は予想上回る 市場部門が好

ワールド

鉱物資源協定、ウクライナは米支援に国富削るとメドベ

ワールド

米、中国に関税交渉を打診 国営メディア報道
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 5
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 6
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 7
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 8
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 9
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 10
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 7
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 8
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 9
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 10
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 9
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 10
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story