コラム

絶対的な悪人も差別者もいない 21年経っても色あせない映画『GO』の若々しさとメッセージ

2022年08月23日(火)18時25分

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

<在日コリアン2世の高校生が主人公の青春映画。登場人物は漫画チックなほどに暴力的。でも真の悪人や差別者は1人もいない。何が人をあり得ないほど狂暴にするのか>

コリアン・ジャパニーズを主人公とした映画として『GO』は、既に古典的な位置にあると言えるかもしれない。公開から21年が過ぎている。でも作品はずっと若々しい。

東京の普通高校に在籍している杉原は在日コリアン2世だ。恋人になったばかりの桜井に自分の国籍を告白しなくてはならないと思いながらも、なかなかそのタイミングをつかめない。でも朝鮮学校時代からの親友だった正一(ジョンイル)が日本人学生に刺殺されたことをきっかけにして、桜井に自分の国籍は日本ではないと告げる。

このストーリーラインで着目すべきは、正一が刺された理由だ。チマチョゴリを着た女子生徒が日本人学生に絡まれていると思い込んだ正一は、2人の間に割って入ろうとした。しかし日本人学生は女子生徒に因縁をつけようとしていたわけではなく、恋心を打ち明けようとしていたのだ。

杉原の父親やヤクザの親分、朝鮮学校の教師や先輩たちも含めて、この映画の登場人物たちは漫画チックなほどに暴力的だ。ところが正一が刺されるエピソードが示すように、絶対的な悪人や差別者は1人もいない。国籍が日本ではないことを告げられて動揺しながら「中国人と朝鮮人の血は汚い」とまで言う桜井も、ラストには別の顔を見せる(ここの展開はちょっと安易とは思うが)。

終盤で杉原に声を掛ける警察官や杉原の父親に息子への暴力をけしかけるタクシー運転手も、とても善良で優しい人たちだ。これを映画的メルヘンと解釈する人もいるだろう。でも僕はむしろ、この現実認識はとてもリアルだと思う。

ユダヤ人大量移送の責任者としてナチス最後の戦犯などと呼ばれたアドルフ・アイヒマンは、戦後に潜伏していたアルゼンチンで、イスラエルの諜報機関であるモサドに捕獲された。長くアイヒマンを監視しながら決定的な証拠をつかめなかったモサドの工作員は、尾行中のアイヒマンが仕事帰りに花屋で花を買ったことで、本人だと確信したという。なぜならその日はアイヒマン夫妻の結婚記念日で、家で夫の帰りを待つ妻のために、アイヒマンは毎年花を買っていたからだ。

その後にエルサレムの法廷で被告席のアイヒマンを傍聴席から見つめながら、ハンナ・アーレントは「凡庸な悪」というフレーズを想起する。邪悪で冷血だから悪事をなすのではない。気弱で誠実で組織に忠実からこそ、人はあり得ないほどに残虐な振る舞いをしてしまうときがある。

プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

英財務相、11月26日に年次予算発表 財政を「厳し

ワールド

金総書記、韓国国会議長と握手 中国の抗日戦勝記念式

ワールド

イスラエル軍、ガザ市で作戦継続 人口密集地に兵力投

ビジネス

トルコ8月CPI、前年比+32.95%に鈍化 予想
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:豪ワーホリ残酷物語
特集:豪ワーホリ残酷物語
2025年9月 9日号(9/ 2発売)

円安の日本から「出稼ぎ」に行く時代──オーストラリアで搾取される若者たちの実態は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニングをする女性、異変を感じ、背後に「見えたモノ」にSNS震撼
  • 2
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体」をつくる4つの食事ポイント
  • 3
    「見せびらかし...」ベッカム長男夫妻、家族とのヨットバカンスに不参加も「価格5倍」の豪華ヨットで2日後同じ寄港地に
  • 4
    上から下まで何も隠さず、全身「横から丸見え」...シ…
  • 5
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が…
  • 6
    Z世代の幸福度は、実はとても低い...国際研究が彼ら…
  • 7
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動…
  • 8
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 9
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 10
    トレーニング継続率は7倍に...運動を「サボりたい」…
  • 1
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が下がった「意外な理由」
  • 2
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動ける体」をつくる、エキセントリック運動【note限定公開記事】
  • 3
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ女性が目にした光景が「酷すぎる」とSNS震撼、大論争に
  • 4
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体…
  • 5
    25年以内に「がん」を上回る死因に...「スーパーバグ…
  • 6
    豊かさに溺れ、非生産的で野心のない国へ...「世界が…
  • 7
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
  • 8
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 9
    首を制する者が、筋トレを制す...見た目もパフォーマ…
  • 10
    上から下まで何も隠さず、全身「横から丸見え」...シ…
  • 1
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 2
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 3
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大ベビー」の姿にSNS震撼「ほぼ幼児では?」
  • 4
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 5
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 6
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 7
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 8
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 9
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 10
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story