コラム

中国の知財ハッキングやロシアのネット世論操作にアメリカがうまく対処できない理由

2022年01月05日(水)15時00分

アメリカの先を行くロシアと中国

Foreign Affairsの特集では、アメリカが取るべき対策などをあげているが、アメリカが手をこまねいている間も中国やロシアは進化している。NATO StratComによると、もともと中国やロシアはサイバー空間を軍事および非軍事を含めた総合的な戦略の一部を占めるものと認識しており、「情報対抗」(information confrontation)=統合的な情報戦としてとらえていたという。ロシアの情報対抗には、次の3つが含まれている。

・Active measures(aktivnyye meropriyatiya)
他国の政治的状況に影響を与えることを目的とした活動であり、フェイクニュースや脅迫など違法な活動も含まれる。

・反射的コントロール(Reflexive control)
情報操作によってターゲットを特定の行動に誘導することをさす。オープンな民主的情報空間はこの攻撃に脆弱である。

・マスキロフカ(maskirovka)
存在しない部隊などを存在すると敵に信じさせるもので、隠蔽や情報攪乱などが行われる。

そしてロシアは積極的に私企業、NPO、サイバー犯罪グループなど非国家アクターの各種プロキシを駆使している。以前、ご紹介したアメリカ国務省グローバル・エンゲージメント・センター(GEC)の資料にはロシア内外で活動するプロキシが紹介されている。

中国とロシアで注目すべき進化のひとつにネットの閉鎖化がある。以前、ご紹介したように両国は自国のネットを閉鎖することで、国家単位の非対称戦略を実現しようとしている。非対称というのは、攻撃と防御に要するリソースが同じではないという意味である。サイバー空間においては攻撃側に必要なリソースに比べて防御のために必要なリソースの方がはるかに大きいという、攻撃者絶対有利の非対称性がある。閉鎖ネット化した国家の方が、オープンなネットの国家よりも有利となる非対称性が実現する。この非対称性はサイバー攻撃やネット世論操作による他国への攻撃、自国の防御の両方で有効だ。

中国は早い時点で閉鎖ネット化(悪名高いグレート・ファイアウォール)を進め、ロシアもそれにならっている。さらにそれだけではなく、これまで「自由で開かれたインターネット」を標榜していた各国も閉鎖化の傾向を強めている。オープンなネット環境を維持することは安全保障上のリスクになりかねない状況が生まれている。

閉鎖ネット化ではアメリカは中国やロシアはもちろんそれ以外に国にも遅れている。閉鎖ネット化が望ましいかどうかは別として、サイバー空間における防衛に有効であることは確かなので閉鎖ネット化しないならば、それと同等以上の防御を行わないと防衛面で不利になる。

ガラスの家のアメリカ

アメリカはガラスの家に住んでいることに、ようやく気がついて方向転換しようとしている。しかし、それは簡単なことではない。アメリカがこの戦いの本質をとらえることも対処することには課題が多い。アメリカがロシア化が進んでいることも見落とせない重要なポイントだ。アメリカがロシアのような権威主義国家になるリスクが顕在化している。Foreign Affairs2021年11月/12月号では、アメリカとロシアの政治の方向性が同じになったことを指摘して注目されている。

以前と異なり、現在の民主主義と独裁主義は見かけ上区別がつきにくく、境界が曖昧なため移行はシームレスに可能でわかりにくい。為政者が民主主義の理念を口にし、選挙を実施していれば民主主義国としての体裁を整えられる。世界中でこの移行は進んでおり、世界でもっとも多いのは選挙独裁制(形式上選挙は行うが、実態は独裁)となっている。アメリカが選挙独裁国家に変わるハードルは低い。もちろん、そうなってもプーチンと同じように、アメリカと同盟国は独裁であることを認めないだろう。

アメリカが閉鎖ネット化を進めることは民主主義の理念である自由や権利と相容れない部分がある。しかし、アメリカが選挙独裁制に移行していれば話は簡単だ。しかし、アメリカが選挙独裁制になり、中国やロシアと同様の閉鎖ネット化によってサイバー空間の防御を固めて優位に立った時、それはアメリカのサイバー戦略の勝利と呼べるのだろうか? それともアメリカの民主主義の敗北と呼ぶべきなのだろうか?

プロフィール

一田和樹

複数のIT企業の経営にたずさわった後、2011年にカナダの永住権を取得しバンクーバーに移住。同時に小説家としてデビュー。リアルに起こり得るサイバー犯罪をテーマにした小説とネット世論操作に関する著作や評論を多数発表している。『原発サイバートラップ』(集英社)『天才ハッカー安部響子と五分間の相棒』(集英社)『フェイクニュース 新しい戦略的戦争兵器』(角川新書)『ネット世論操作とデジタル影響工作』(共著、原書房)など著作多数。X(旧ツイッター)。明治大学サイバーセキュリティ研究所客員研究員。新領域安全保障研究所。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

イスラエル・イラン衝突、交渉での解決が長期的に最善

ビジネス

バーゼル銀行監督委、銀行の気候変動リスク開示義務付

ワールド

訂正-韓国大統領、日米首脳らと会談へ G7サミット

ワールド

トランプ氏、不法滞在者の送還拡大に言及 「全リソー
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:非婚化する世界
特集:非婚化する世界
2025年6月17日号(6/10発売)

非婚化・少子化の波がアメリカもヨーロッパも襲う。世界の経済や社会福祉、医療はどうなる?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「タンパク質」より「食物繊維」がなぜ重要なのか?...「がん」「栄養」との関係性を管理栄養士が語る
  • 2
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高にかっこいい」とネット絶賛 どんなヘアスタイルに?
  • 3
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波でパニック...中国の輸出規制が直撃する「グローバル自動車産業」
  • 4
    サイコパスの顔ほど「魅力的に見える」?...騙されず…
  • 5
    林原めぐみのブログが「排外主義」と言われてしまう…
  • 6
    メーガン妃とキャサリン妃は「2人で泣き崩れていた」…
  • 7
    若者に大不評の「あの絵文字」...30代以上にはお馴染…
  • 8
    さらばグレタよ...ガザ支援船の活動家、ガザに辿り着…
  • 9
    ハルキウに「ドローン」「ミサイル」「爆弾」の一斉…
  • 10
    構想40年「コッポラの暴走」と話題沸騰...映画『メガ…
  • 1
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 2
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未満」の残念ジャパンの見本市だ
  • 3
    「セレブのショーはもう終わり」...環境活動家グレタらが乗ったガザ支援船をイスラエルが拿捕
  • 4
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 5
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 6
    ファスティングをすると、なぜ空腹を感じなくなるの…
  • 7
    今こそ「古典的な」ディズニープリンセスに戻るべき…
  • 8
    アメリカは革命前夜の臨界状態、余剰になった高学歴…
  • 9
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生…
  • 10
    脳も体も若返る! 医師が教える「老後を元気に生きる…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 3
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山、上野...中国返還のその先
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 7
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 8
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 9
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 10
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story