コラム

あなたの知らない「監視資本主義」の世界

2020年10月21日(水)13時50分

「普通の人」と知識層の分断

これらの本を読んでいまひとつ見えてこないのは、監視資本主義に原材料として自分の過去の行動を提供し、未来の行動を搾取される人々の姿である。正確に言うと、Netflixのドキュメンタリーでは一般家庭の姿が描写されているし、『The Age of Surveillance Capitalism』には炭鉱のカナリアになぞらえて若者たちが苦悩している姿が描かれている。しかしそれらはほんの一部である。特にNetflixのドキュメンタリーに登場する家族はSNS依存症をわかりやすく見せるためのサンプルでしかない。大多数の「普通の人」たちはどうしているのだろう? Netflixのドキュメンタリーには多くの人が登場するが、それらは全て監視資本主義の内側にいた人々であり、「普通の人」とは言いがたい。

私自身もそうだが、ほとんどの人は現実を正しく認識できない。感情というフィルタを通すことがほとんどだし、自分の知識や理解力という制限もある。そして日常的に莫大な情報に囲まれて生きている。その結果、ほとんどの人は、ネットでニュースを読み、ニュースを信頼性より利便性で選ぶようになっている(「ネット世論操作は怒りと混乱と分断で政権基盤を作る」)。政治にあまり関心がなく、関心を持った場合、支持者や政党あるいは思想に過剰に傾倒しやすい(Jason Brennan、2016年)。選挙において合理的、理性的な選択を行わない(ブライアン・カプラン、2009年6月25日)。

そして機能的識字能力に問題があることが多い(「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」新井紀子)。機能的識字能力とは文字そのものの読み書きではなく、書かれている内容を理解する能力である。たとえば、取り扱い説明書を読んで、書かれている通りに操作する能力である。機能的識字能力が低いと取扱説明書を読むことはできても指示通りのことができない。

くわえて石戸諭の『ルポ 百田尚樹現象 ~愛国ポピュリズムの現在地~』には、「普通の人」たちが、社会に怒りを持ち、権威(エリート)に反発し、感情(感動)に動かされ、中心となる思想よりもスタイルに惹かれているという指摘があった。その結果、グループごとに分断され、議論の場がなくなったというのは、ネット世論操作がもたらした結果と同じだ。

51iIReI19hL.jpg

『ルポ 百田尚樹現象 ~愛国ポピュリズムの現在地~』(小学館、2020年6月17日) 石戸諭による「百田尚樹現象」(本人ではなく現象である点に注意)に関する論考

監視資本主義に対抗するためには、社会全体の努力が必要であり、重要な対策とされている法制度を整備するためには政治家と世論が動かなければならない。選挙も世論も社会の多数を占める「普通の人」の選択にかかっている。知識層が問題を指摘し、それを「普通の人」に説明して、ともに行動を起こすというのは可能かもしれないが、怒りと混乱と分断が広がった現状でほんとうにできるのか疑問である(「日本学術会議問題で浮き彫り、日本のSNS「怒りと混乱と分断」のシステム」)。知識層とはまさに「普通の人」が反発を感じる権威(エリート)に他ならないのだ。「普通の人」は監視資本主義の社会で、その行動を予測され、うまく制御されている。

百田尚樹は「普通の人」の感覚を理解し、それに寄り添うように己の思想を着脱して、感動を与えるコンテンツを生み出している、と石戸諭は分析した。百田尚樹の卓抜した能力は、監視資本主義企業が莫大なデータを元に人々の行動を予測していることを彷彿させる。どのようなコンテンツをどんなスタイルで公開すれば人々が受け入れるかを予測しているのだ。巨大なシステムに頼らずにそれを行える百田尚樹は、怒りと混乱と分断が広がった監視資本主義社会における、「普通の人」にとってのヒーローと言えるのかもしれない。そして彼だけでなく、現在ネットで活躍する多くのインフルエンサーたちもそうかもしれない。

こうした「普通の人」に支持されるたくさんのヒーローたちは、監視資本主義の作り上げたエコシステムの中ですくすくと成長し、社会の中で影響力を持つ存在となっている。石戸諭が『ルポ 百田尚樹現象』で指摘したように、知識層にはこの「普通の人」の世界がよく見えていない。なにが起きているかはわかっても理由を理解できない。そしておそらく「普通の人」にも知識層の世界はよく見えていない。分断を乗り越え、監視資本主義に対抗するに解決しなければならない課題が多い。

新しい民主主義は可能なのか?

私は新しい世界のあり方を考えることが必要な時期になったと言い続けている。これまでさまざまな人々から提案がなされており、そのうちいくつかは『The Age of Surveillance Capitalism』でも紹介されていたが、決め手になるようなものはまだない。

分断されている今の知識層や「普通の人」たちからは決め手になり得る新しい提案は出てこないであろう。監視資本主義のエコシステムのヒーローたちはその世界から飛び出すことはないだろう。

もしかすると新しい提案は監視資本主義企業からしか出てこないかもしれないと思うようになった。なぜなら彼らがもっとも多くの情報と優秀な頭脳を集め、潤沢な資金を有しているからである。監視資本主義が早晩行き詰まることを見越して、ここまで分断されておらず、自由意識と人権を尊重する新しい社会を彼らが提案するかもしれない。なお、早晩行き詰まるというのは私の希望にすぎない。

最後に気になっている人も多いと思うので、Netflixの『監視資本主義』でShoshana Zubofが語っていた、フェイスブックが利用者に気づかれずに投票行動を変えた事例を紹介しておく(ドキュメンタリーでは具体的なことは語られていない)。元ネタはネイチャーに発表された論文『A 61-million-person experiment in social influence and political mobilization』である。手軽に要旨を知りたい方はThe New York Timesの記事がよいだろう。

結論だけ言うと、フェイスブックの投票を促すメッセージで、直接投票を行ったのは6万人、間接的効果が認められたのは28万人、合計34万人が投票した。この数は有権者の約0.14%に当たる。ブッシュとゴアが争った大統領選ではフロリダ州の0.01%以下で勝敗が決したことを考えると、この数字は決して無視できる数ではない。

また、投票者の名簿とフェイスブック利用者の氏名のマッチングを行って一致する者だけを調査対象にしている。フェイスブックにニックネームや略称などを登録していた利用者は氏名が一致していないので含まれていない。そのため効果が低く見積もられている可能性がある。選挙全体の投票率は前回よりも0.6%増加しており、このフェイスブックのメッセージの効果はもっと影響があった可能性も否定できないと論文には記されている。

プロフィール

一田和樹

複数のIT企業の経営にたずさわった後、2011年にカナダの永住権を取得しバンクーバーに移住。同時に小説家としてデビュー。リアルに起こり得るサイバー犯罪をテーマにした小説とネット世論操作に関する著作や評論を多数発表している。『原発サイバートラップ』(集英社)『天才ハッカー安部響子と五分間の相棒』(集英社)『フェイクニュース 新しい戦略的戦争兵器』(角川新書)『ネット世論操作とデジタル影響工作』(共著、原書房)など著作多数。X(旧ツイッター)。明治大学サイバーセキュリティ研究所客員研究員。新領域安全保障研究所。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

インド医薬品業界、関税巡る懸念で米国以外への輸出拡

ワールド

ボルトン元大統領補佐官、機密情報巡り捜査対象に

ワールド

トランプ政権の性自認パスポート拒否、連邦控訴裁も認

ワールド

イラン、豪州との外交関係を格下げ 放火事件で対立
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:豪ワーホリ残酷物語
特集:豪ワーホリ残酷物語
2025年9月 9日号(9/ 2発売)

円安の日本から「出稼ぎ」に行く時代──オーストラリアで搾取される若者たちの実態は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【動画あり】9月初旬に複数の小惑星が地球に接近...地球への衝突確率は? 監視と対策は十分か?
  • 2
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニングをする女性、異変を感じ、背後に「見えたモノ」にSNS震撼
  • 3
    「よく眠る人が長生き」は本当なのか?...「睡眠障害」でも健康長寿な「100歳超えの人々」の秘密
  • 4
    「生きられない」と生後数日で手放された2本脚のダ…
  • 5
    「あのホラー映画が現実に...」カヤック中の男性に接…
  • 6
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体…
  • 7
    世論が望まぬ「石破おろし」で盛り上がる自民党...次…
  • 8
    【クイズ】世界で2番目に「農産物の輸出額」が多い「…
  • 9
    SNSで拡散されたトランプ死亡説、本人は完全否定する…
  • 10
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 1
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が下がった「意外な理由」
  • 2
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動ける体」をつくる、エキセントリック運動【note限定公開記事】
  • 3
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体」をつくる4つの食事ポイント
  • 4
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
  • 5
    豊かさに溺れ、非生産的で野心のない国へ...「世界が…
  • 6
    25年以内に「がん」を上回る死因に...「スーパーバグ…
  • 7
    【動画あり】9月初旬に複数の小惑星が地球に接近...…
  • 8
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 9
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 10
    首を制する者が、筋トレを制す...見た目もパフォーマ…
  • 1
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 2
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を呼びかけ ライオンのエサに
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 6
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 7
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 8
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
  • 9
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 10
    イラン人は原爆資料館で大泣きする...日本人が忘れた…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story