コラム

久々の日本訪問を前に書くべきだった自分への手紙

2011年06月23日(木)10時47分

今週のコラムニスト:コリン・ジョイス

〔6月15日号掲載〕

 親愛なるコリンへ──。

 実に2年ぶりに日本を訪れるのだから、さぞわくわくしているだろう。何しろ長年暮らした国。懐かしい友人と連絡を取ったり、行きつけだった場所に顔を出すチャンスだ。東京のことは知り尽くしているつもりかもしれないが、あまり思い上がらないほうがいい。自分で考える以上にいろいろ忘れているものだ。

 自分の日本語があまり衰えていないことにはホッとするだろう。でもそれは会話に限ったこと。ペンを手に日本語を書くのは4年ぶりだ。成田空港で「東京」と書けないばかりか、自分の名前さえうまく書けず(コリンの「リ」と「ン」が同じような形になってしまう)、動揺するに違いない。

 東京では横断歩道のない道路でも、車さえ来なければ渡っていい。ただ、暇そうな警官がいる交番の前ではご法度。彼らは君を呼び止めて叱りつけなければならなくなる。君もそれで嫌な思いをしたことがあるだろう。

 なじみの理髪店や居酒屋の店長、通っていたジムの女性など、みんなが自分を覚えていてくれたと喜ぶのはいい。ただし彼らが「もちろん覚えてる、だってこんなに頭が良くてハンサムな人を忘れるはずがないでしょう」なんて言い出したら決して真に受けないこと。日本人はお世辞を言わずにはいられない人々だ。

 知ってのとおり、君が暮らした界隈ではとんでもなくでかいタワーが建設中だ。その前に突っ立って、まるで自分の右手に新しい親指が生えたのにいま気付いたみたいに呆然とするのはよそう。

■忍耐と冷静さが求められる街

 東京では自転車が歩道を走るから、歩くときは真っすぐに進むこと。自転車にはベルが付いているのに誰も鳴らさず、代わりにブレーキのキキーッという音で歩行者に警告する(そう、君は以前「自転車ブレーキ説」を唱えたことがあるね。日本のメーカーが音のしないブレーキをあえて製造しないのは、ブレーキ音に社会的な機能があるから。ベルは「どけ」という感じだが、ブレーキ音は「ぶつからないように減速してるんだよ!」という思いやりが感じられる)。

 東京では、神社の境内で弁当を広げるのはマナー違反じゃない。人々が君をじろじろ見るとしたら、ニュースを見て「震災後、外国人はみんな東京から逃げ出した」と思っているからだ。

 東京に住んでいた頃は、駅で階段を使うことにしていたね。今回は大きなスーツケースがあるから、さすがにエスカレーターを使いたいだろう? 残念ながらどれも停止している。隅田川の橋の照明も節電だ。夜に歩けば、君の物憂げな性格に拍車が掛かることは間違いない。

 においは強烈に記憶を呼び覚ます。エアコンから流れる空気とたばこの臭いが入り交じったのが「日本のにおい」の一例だ。「日本の味」といえば、小さなプラスチック容器のクリームを入れたコーヒー。飲めば日本に帰ったと実感できる。

 大相撲の五月場所は中止され、「技量審査場所」になった。取り組みは行われるらしいが、チケットを手に入れようなんて思わないほうがいい。日本人は無料になった入場券のためなら朝5時からでも行列するだろうから。

 ほんの10円あれば、目的の場所に電話して本当にオープンしているか事前に確かめられる。そうすれば、定休日ではないはずの日にお目当ての銭湯やプールに行ったが閉まっていた、なんて事態は避けられるだろう。

 雨の日は傘が必要だ。雨にぬれないためだけではない。駅の人混みで、顔を直撃する無数の傘の先から身を守るためだ。

 最後にコリン、東京はちょっと混雑してストレスが多く、忍耐と冷静さが評価される街。短気で怒りっぽい君は、そんな町には何とも不似合いな旅人だ。

 それでは、楽しい滞在を。

プロフィール

東京に住む外国人によるリレーコラム

・マーティ・フリードマン(ミュージシャン)
・マイケル・プロンコ(明治学院大学教授)
・李小牧(歌舞伎町案内人)
・クォン・ヨンソク(一橋大学准教授)
・レジス・アルノー(仏フィガロ紙記者)
・ジャレド・ブレイタマン(デザイン人類学者)
・アズビー・ブラウン(金沢工業大学准教授)
・コリン・ジョイス(フリージャーナリスト)
・ジェームズ・ファーラー(上智大学教授)

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

香港取引所、上期利益40%増で過去最高 取引や上場

ビジネス

首都圏マンション、7月発売戸数は34.1%増 平均

ワールド

NZ中銀、政策金利3年ぶり低水準に下げ 追加緩和も

ワールド

中国、大規模軍事パレードを来月実施 極超音速兵器な
MAGAZINE
特集:台湾有事 そのとき世界は、日本は
特集:台湾有事 そのとき世界は、日本は
2025年8月26日号(8/19発売)

中国の圧力とアメリカの「変心」に危機感。東アジア最大のリスクを考える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに感染、最悪の場合死亡も
  • 2
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人」だった...母親によるビフォーアフター画像にSNS驚愕
  • 3
    「死ぬほど怖い」「気づかず飛び込んでたら...」家のプールを占拠する「巨大な黒いシルエット」にネット戦慄
  • 4
    【クイズ】2028年に完成予定...「世界で最も高いビル…
  • 5
    広大な駐車場が一面、墓場に...ヨーロッパの山火事、…
  • 6
    頭部から「黒い触手のような角」が生えたウサギ、コ…
  • 7
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大…
  • 8
    【クイズ】沖縄にも生息、人を襲うことも...「最恐の…
  • 9
    時速600キロ、中国の超高速リニアが直面する課題「ト…
  • 10
    「何これ...」歯医者のX線写真で「鼻」に写り込んだ…
  • 1
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 2
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...「就学前後」に気を付けるべきポイント
  • 3
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに感染、最悪の場合死亡も
  • 4
    頭部から「黒い触手のような角」が生えたウサギ、コ…
  • 5
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 6
    「死ぬほど怖い」「気づかず飛び込んでたら...」家の…
  • 7
    「笑い声が止まらん...」証明写真でエイリアン化して…
  • 8
    「長女の苦しみ」は大人になってからも...心理学者が…
  • 9
    「何これ...」歯医者のX線写真で「鼻」に写り込んだ…
  • 10
    【クイズ】次のうち、「海軍の規模」で世界トップ5に…
  • 1
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベーション、医師が語る熟年世代のセルフケア
  • 2
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 3
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 4
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 5
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 6
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅…
  • 7
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 8
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
  • 9
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 10
    イラン人は原爆資料館で大泣きする...日本人が忘れた…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story