コラム

10本に増えたアカデミー作品賞候補枠は全部埋まるのか?

2009年11月18日(水)12時46分

 アカデミー賞の最優秀作品賞の候補の数は今まで5本だったが、来年2月に発表される候補作は10本に増えるという。

 「我々はもっと広く網を投げるつもりだ」

 今年6月、アカデミー協会のシドニー・ゲインズ会長が、候補作品数を増やす意向についてこう語った。

 会長によると、理由のひとつは『ダークナイト』だという。

 『ダークナイト』はアメリカン・コミック『バットマン』シリーズの映画化だが、実存主義的な問いかけを残す傑作だった。去年の上半期に公開されたアメリカ映画では、この『ダークナイト』と、ロボットの恋愛を通して人間が生きる意味を問うピクサーのアニメ『ウォーリー』、この2つだけが、アカデミー作品賞候補に選ばれるだけの「質」を持った作品だった。

 そのほかは全部、要するに、その......子供だましか失敗作だったのだ。

 その後、『スラムドッグ$ミリオネア』や『ミルク』などの優秀な作品が公開されて作品賞候補もなんとか5本そろったが、アカデミー賞授賞式はまるで盛り上がらなかった。テレビ中継の視聴率は毎年下がり続けて歯止めが利かない。

 人々がアカデミー賞に興味を失った最も大きな理由は、人気のある映画が候補にならないからだ。去年の作品賞候補だった『フロスト×ニクソン』などはまったく客が入らなかった。そんな地味な映画でもアカデミー賞を獲ったり、候補になれば客が来ることがある。90年代のミラマックスは賞獲りキャンペーンで、『イングリッシュ・ペイシェント』や『恋に落ちたシェイクスピア』などの地味な文芸作品を大ヒットさせた。ところが候補になっても『フロスト×ニクソン』はまったく興行に影響がなかった。誰も見てない映画が出るレースが盛り上がるわけがない。

 逆に言えば、人々をアカデミー賞に注目させるには観客が愛する作品を候補にすればいい。『タイタニック』や『ロード・オブ・ザ・リング』がどれだけ賞を盛り上げたことか。そして去年、アメリカ映画史上に残る記録的なヒット作になった『ダークナイト』が候補になったら、どれだけファンが応援し、熱狂しただろう。

 しかし、アカデミー候補選びは、委員が選考する前に、各映画会社からの推薦がある。ワーナー・ブラザースは『ダークナイト』を作品賞に推さなかった。コミックの映画化がアカデミー賞に選ばれた前例がない、作品内容が残虐で暗すぎる、などの理由だろう。

 でも、もし、候補作の枠が倍だったら? 『ダークナイト』は入っていたかもしれない。

 というわけで、候補作を増やす理由は納得できる。実際、ハリウッド黄金期には5作品以上候補に挙がることも多かったんだし。

 ......ん? でも、それは黄金期だったから、それだけいい作品があったからなのでは?

 そう。本当の問題は候補作の枠ではなく、質も高くて人気もある映画が少なすぎるということなのだ。

 現在(11月第3週)までにアメリカで公開された映画のなかで、複数のメディアから作品賞候補の可能性ありとされたものは、なんと以下の4本しかない!

『プレシャス』NYのスラムに住む16歳で超肥満で継父に犯されて障害を持つ赤ん坊を産んだ黒人少女を描く。

『ハートロッカー』米軍の爆発物処理班のイラクでの活躍をドキュメンタリー風に描く。

『イングロリアス・バスターズ』第2次大戦中にユダヤ系アメリカ人の特殊部隊が極秘作戦を展開する。

『カールじいさんの空とぶ家』亡き妻と50年間暮らした家に風船をつけて飛ぶ老人を主人公にしたピクサーのCGアニメ。

 これから年末にかけて公開される作品では、ジョージ・クルーニー主演の『アップ・イン・ジ・エア』、ピーター・ジャクソン監督の『ラブリー・ボーン』、クリント・イーストウッド監督の『インヴィクタス』、ジェームズ・キャメロン監督の『アヴァター』が期待されているが、実際の出来はまだわからない。これ全部足してもやっと8本。本当に宣言したとおり10本も集まるの?

 問題はやはり、リメイクものやオモチャの映画化みたいな志の低い映画が増えすぎてるってことだ。不景気だから映画館には客は集まってるんだけどね。

 筆者としては、メガヒットした大傑作コメディ『ハングオーバー』をぜひ、作品賞候補に入れて欲しい。チンチン丸出しの超下品映画だけどね!


プロフィール

町山智浩

カリフォルニア州バークレー在住。コラムニスト・映画評論家。1962年東京生まれ。主な著書に『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』(文芸春秋)など。TBSラジオ『キラ☆キラ』(毎週金曜午後3時)、TOKYO MXテレビ『松嶋×町山 未公開映画を観るテレビ』(毎週日曜午後11時)に出演中。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

日銀、政策金利を現状維持:識者はこうみる

ビジネス

アルコア、第2四半期の受注は好調 関税の影響まだ見

ワールド

英シュローダー、第1四半期は98億ドル流出 中国合

ビジネス

見通し実現なら利上げ、米関税次第でシナリオは変化=
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 5
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 6
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 7
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 8
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 9
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 10
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 7
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 8
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 9
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 10
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 9
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 10
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story