コラム

雇用改革は「閉じた社会」から「開かれた社会」への変化だ

2013年03月26日(火)18時49分

 民主党政権ではタブーだった「解雇規制」という言葉が、国会で出て来た。産業競争力会議などで解雇規制の緩和を求める声が出ていることについて、安倍首相は25日の参院本会議で「成熟産業から成長産業へ失業なき円滑な労働移動で対応していく。雇用支援策を雇用維持型から労働移動支援型へシフトさせていく」と答弁した。参院選までは安全運転に徹していた安倍氏が、雇用規制の見直しを国会で表明したのは初めてだ。

 労働市場の規制改革は、アベノミクスの「3本の矢」の3本目の成長戦略の柱だが、政治的に微妙な問題であるためか、いまだに具体策が出ない。その中で、経済同友会の長谷川閑史代表幹事(武田薬品社長)が雇用規制について積極的に発言している。これは積み残されてきた雇用規制が、残された最大のボトルネックになっているからだろう。

 この種の問題は、私も2009年に出した『希望を捨てる勇気』でも論じたが、当時は「弱者切り捨て」だとか「格差拡大」だとかいう反発が強かった。これには誤解も多く、法的な意味では日本の解雇規制はそれほど強くない。中小企業の雇用契約はかなり自由で、非正社員の規制はほとんどないので、人員整理はよくも悪くも容易だ。

 問題は大企業である。労働契約法で「解雇権の濫用」が禁じられ、「整理解雇の4要件」などの判例で、整理解雇は不可能に近い。しかし裁判に持ち込まれるケースは例外的で、ほとんどは希望退職の募集である。これは自己都合退職なので、解雇規制とは関係ない。外資系企業では、一定の退職パッケージを提示して人員整理するのが普通で、これは日本企業でもやろうと思えばできる。

 しかし日本では、こういうドライな退職交渉ができない。辞めた社員の行く先がないからだ。失業保険はあるが、職安(ハローワーク)ではホワイトカラーの仕事はほとんど見つからない。ヘッドハンターで再就職を見つけるのも、外資ではくわしい職務経歴書を書くので、専門的技能が明確だが、日本の会社で「営業部長をやりました」といっても何の技能にもならない。

 つまり雇用不安の本質は日本人の働き方の問題で、法改正だけではどうにもならないのだ。日本では、企業が「家長」の生活を(年金も含めると)死ぬまで保障し、その代わり彼は長時間労働も配置転換もいとわないで、身を粉にして働く。辞令ひとつで、世界のどこへでも行かなければならない。女性はその「銃後」として世界中どこでもついて行かなければならないので、彼女のキャリアは考慮されない。

 だから女性は大学を出て総合職になっても、一旦やめたらスーパーのレジぐらいしか仕事がない。日本の非正社員の半分以上は主婦のパートであり、しかも正社員と非正社員の賃金は時給に換算すると2倍以上ちがう。これも戦後、一貫して変わらない。つまり日本の非正社員の問題は、世代間格差というよりインサイダー・アウトサイダー格差といったほうがいい。

 このように正社員を特権的存在として人生を保障するシステムは、高度成長期にはうまく機能したが、企業の成長が鈍化して社員が高齢化すると、もうコストがまかなえない。だから企業にできない約束をさせるのはやめ、個人の人生は自分で守るシステムに変えるしかない。これは長谷川氏のような経営者だけではなく、労働者にとっても大事なリスク管理である。

 これを「解雇規制の自由化」といった言葉で語るのは間違いのもとだ。本質的な問題は解雇規制ではなく、正社員以外のアウトサイダーを排除する閉じた社会から、契約社員や派遣社員や中途採用などの多様な働き方を認め、正社員という身分差別を廃止して開かれた社会に変えることだ。定員割れしている大学も、職業訓練の場として改革する必要がある。

 明治維新の原動力は、全国300の藩の閉じた社会で差別されていた下級士族が、「勤王の志士」として藩や身分の違いを超えて連帯したことだった。「開国」とは単に外国と貿易する国のことではなく、西郷隆盛や福沢諭吉のような下級士族でも能力があれば活躍できるオープンな国のことである。

 黒船という外圧は、江戸時代に「凍結」された武士の戦闘者としてのエネルギーを「解凍」し、日本を開かれた社会に変えたのだ。この意味でTPP(環太平洋パートナーシップ協定)は、日本で長く凍結されてきたノマド(遊動民)のエネルギーを解凍して、開かれた社会に変えるチャンスである。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米総合PMI、12月は半年ぶりの低水準 新規受注が

ワールド

バンス副大統領、激戦州で政策アピール 中間選挙控え

ワールド

欧州評議会、ウクライナ損害賠償へ新組織 創設案に3

ビジネス

米雇用、11月予想上回る+6.4万人 失業率は4年
MAGAZINE
特集:教養としてのBL入門
特集:教養としてのBL入門
2025年12月23日号(12/16発売)

実写ドラマのヒットで高まるBL(ボーイズラブ)人気。長きにわたるその歴史と深い背景をひもとく

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を変えた校長は「教員免許なし」県庁職員
  • 4
    ミトコンドリア刷新で細胞が若返る可能性...老化関連…
  • 5
    「住民が消えた...」LA国際空港に隠された「幽霊都市…
  • 6
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 7
    【人手不足の真相】データが示す「女性・高齢者の労…
  • 8
    FRBパウエル議長が格差拡大に警鐘..米国で鮮明になる…
  • 9
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 10
    「日本中が人手不足」のウソ...産業界が人口減少を乗…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出を睨み建設急ピッチ
  • 4
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の…
  • 5
    【銘柄】資生堂が巨額赤字に転落...その要因と今後の…
  • 6
    ミトコンドリア刷新で細胞が若返る可能性...老化関連…
  • 7
    【クイズ】「100名の最も偉大な英国人」に唯一選ばれ…
  • 8
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を…
  • 9
    香港大火災の本当の原因と、世界が目撃した「アジア…
  • 10
    中国軍機の「レーダー照射」は敵対的と、元イタリア…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 3
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 4
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 5
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 6
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 7
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 8
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 9
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切…
  • 10
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story