コラム

羽生結弦選手が卒論で語るフィギュア採点の未来

2021年11月09日(火)11時45分

羽生選手は、ソチ五輪の前年の2013年に早稲田大学人間科学部人間情報科学科のeスクール(通信課程)に入学しました。2度のオリンピック出場を経て、20年9月に卒業。卒業論文は、自分のジャンプを科学的に分析した「フィギュアスケートにおけるモーションキャプチャ技術の活用と将来展望」でした。その一部を加筆修正し、早稲田大学人間科学学術院の学術雑誌「人間科学研究」に掲載された論文が、前述の「無線・慣性センサー式モーションキャプチャシステムのフィギュアスケートでの利活用に関するフィージビリティスタディ」です。

大学が発行する学術雑誌の掲載論文の大半は、その大学の教員や研究員、大学院生の研究成果です。羽生選手のような大学生の研究論文が掲載されるのは極めて異例なことです。

論文を読み始めると、最初に「学術論文らしからぬ読みやすさ」に気づきます。一般的な論文調というよりも、羽生選手の思考が順序立てて示されているような、読者に語りかけるような文体です。これは、論文が「早稲田大学レポジトリ」によってPDFファイルとして誰でも読めるように配布しているため、広く一般に読まれることを考えての配慮でしょう。

「ルール違反を可視化・数値化できないか」

この研究は、羽生選手が自分自身に31個の小型センサーを付けて、フィギュアの6種類のジャンプのうち、ループ、フリップ、アクセルの3種類で動作を測定したものです。各ジャンプを1回転と3回転(アクセルジャンプは1回転半と3回転半)で2回ずつ測定し、無線でPCにデータを保存して動作解析をしました。

指導教員の西村昭治教授は雑誌の取材を受けて、「羽生選手は一人で実験して、指先から足先までのデータを取った」と話しています。日常的にこの装置を使って研究をしている生体力学の専門家に聞いたところ、「慣れれば一人でできないこともないが、機器の校正をしたり1回ずつデータが取れているかどうかの確認をしたり、相当忍耐強く行ったのだろう」と感心していました。

さらに、2015年以降、羽生選手の衣装を担当している伊藤聡美さんは、「初めは850グラムくらいだったが、2019-20シーズンはSPもFSも610グラムくらいの衣装になっている」と語っています。フィギュアスケート選手はジャンプを飛ぶために少しでも軽い衣装を求め、ラインストーン1個の重さにも敏感だと言われています。試合ではないとはいえ、1グラムの小型センサーを31個、Wi-FiモードでPCと接続するためのバッテリー160グラムも身に着けて、動きづらくて重いのに3回転半ジャンプのデータを難なく取ってしまう羽生選手は、さすがの身体能力と言えるでしょう。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト。青山学院大学客員准教授。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)、『AIとSF2』(2024年、早川書房)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ大統領、ブレア英元首相やクシュナー氏らとガ

ワールド

ロシア、NATOのウクライナ駐留に反発 欧州の安保

ワールド

ガザ南部病院攻撃でハマス構成員6人死亡、米が安保理

ビジネス

米百貨店コールズ、通期利益見通し引き上げ 株価は一
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:健康長寿の筋トレ入門
特集:健康長寿の筋トレ入門
2025年9月 2日号(8/26発売)

「何歳から始めても遅すぎることはない」――長寿時代の今こそ筋力の大切さを見直す時

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ女性が目にした光景が「酷すぎる」とSNS震撼、大論争に
  • 2
    「どんな知能してるんだ」「自分の家かよ...」屋内に侵入してきたクマが見せた「目を疑う行動」にネット戦慄
  • 3
    脳をハイジャックする「10の超加工食品」とは?...罪悪感も中毒も断ち切る「2つの習慣」
  • 4
    【クイズ】1位はアメリカ...稼働中の「原子力発電所…
  • 5
    「ガソリンスタンドに行列」...ウクライナの反撃が「…
  • 6
    「1日1万歩」より効く!? 海外SNSで話題、日本発・新…
  • 7
    イタリアの「オーバーツーリズム」が止まらない...草…
  • 8
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
  • 9
    「美しく、恐ろしい...」アメリカを襲った大型ハリケ…
  • 10
    なぜ筋トレは「自重トレーニング」一択なのか?...筋…
  • 1
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 2
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ女性が目にした光景が「酷すぎる」とSNS震撼、大論争に
  • 3
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット民が「塩素かぶれ」じゃないと見抜いたワケ
  • 4
    皮膚の内側に虫がいるの? 投稿された「奇妙な斑点」…
  • 5
    なぜ筋トレは「自重トレーニング」一択なのか?...筋…
  • 6
    飛行機内で隣の客が「最悪」のマナー違反、「体を密…
  • 7
    中国で「妊娠ロボット」発売か――妊娠期間も含め「自…
  • 8
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 9
    20代で「統合失調症」と診断された女性...「自分は精…
  • 10
    脳をハイジャックする「10の超加工食品」とは?...罪…
  • 1
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベーション、医師が語る熟年世代のセルフケア
  • 2
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 3
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 4
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 5
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 6
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 7
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅…
  • 8
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 9
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 10
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story