コラム

「チンギス・ハーンの子孫の国」へも越境法執行を始めた中国警察

2023年05月18日(木)18時55分

チャーチル、ルーズベルト、スターリンが参加したヤルタ会談でモンゴル分割が密約された U.S. National Archivesーvia REUTERS

<内モンゴル出身のモンゴル人作家が5月初め、訪問先のウランバートルから忽然と姿を消した。越境してきた中国警察によって拉致されたのだ。この拘束劇には在モンゴルの中国海外警察も協力した。もはや中国に批判的な外国国民にとっても他人事ではない>

私の手元に『紅色の革命』というモンゴル語の本がある。2012年に中国の内モンゴル自治区で出版されたもので、文化大革命を題材としている。著者の作家ボルジギン・ラムジャブ氏は2016年12月に私に1冊を贈り、拙著『墓標なき草原―内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(2009年、岩波書店)への返礼だ、と話していた。

そのボルジギン氏は5月3日に滞在先のモンゴル国首都ウランバートルで中国から越境してきた警察4人に拘束され、そのまま陸路で南へ拉致されていった。ラムジャブ氏の拘束には事前にモンゴルに展開していた中国の海外警察署も協力した、と見られている。国境を越えての法執行であるので、当然、モンゴル国の法律に違反しているが、ウランバートル当局は今のところ、公式の反応を示していない。

文化大革命は中国のタブーであり、少数民族地域での実態は更に触れることさえも禁止されている。内モンゴルの場合だと、公式見解では34万人が逮捕され、2万7900人が殺害され、12万人に身体障碍が残ったという。当時の内モンゴルのモンゴル人人口は150万弱で、中国人(漢民族)はその10倍近かった。モンゴル人が一方的に殺戮の対象とされ、あらゆる自治の権利が剥奪された運動だった。民族のエリート層が根こそぎ粛清された結果、「モンゴル人は中国の奴隷に転落した」、とラムジャブ氏も私も著書で書いた。もっとも、これは私たち2人の個人的な見解ではなく、大勢の人々にインタビューし、民族全体の声を発したに過ぎない。民族全体の本音を書いたから、中国当局の怒りを買ったのであろう。

中国は2019年にラムジャブ氏に有罪判決を言い渡し、その刑期が終わっても、自宅で「居住監視」の対象としていた。コロナ禍が一段落したこともあり、ラムジャブ氏は自宅のある内モンゴルを離れて同胞の国に渡っていたが、そこへ中国の警察が追ってきたのである。

内モンゴルのモンゴル人はよく、モンゴル国へ亡命する。そもそもモンゴルは万里の長城の外側全域を指す概念で、近代に入ってから南半分は中国と日本の勢力圏に、北の半分はロシア(後のソ連)の影響下にあった。1945年8月、当時のモンゴル人民共和国はソ連軍と共に南下し、同胞を解放して統一国家の創設を目指した。しかし、ヤルタ協定という密約により、南半分は中国に渡された(ちなみに北方四島もこのヤルタ協定の密約でソ連に引き渡された)。モンゴル人は日本統治時代を懐かしみながら、中国共産党の支配を甘受しなければならなかった。「親日的」だと見られたモンゴル人は文化大革命中に粛清され、生き残った人たちは北京のやり方に不満を抱くと、北へ逃亡するようになった。

プロフィール

楊海英

(Yang Hai-ying)静岡大学教授。モンゴル名オーノス・チョクト(日本名は大野旭)。南モンゴル(中国内モンゴル自治州)出身。編著に『フロンティアと国際社会の中国文化大革命』など <筆者の過去記事一覧はこちら

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

GMメキシコ工場で生産を数週間停止、人気のピックア

ビジネス

米財政収支、6月は270億ドルの黒字 関税収入は過

ワールド

ロシア外相が北朝鮮訪問、13日に外相会談

ビジネス

アングル:スイスの高級腕時計店も苦境、トランプ関税
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:大森元貴「言葉の力」
特集:大森元貴「言葉の力」
2025年7月15日号(7/ 8発売)

時代を映すアーティスト・大森元貴の「言葉の力」の源泉にロングインタビューで迫る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    完璧な「節約ディズニーランド」...3歳の娘の夢を「裏庭」で叶えた両親、「圧巻の出来栄え」にSNSでは称賛の声
  • 2
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に...「曾祖母エリザベス女王の生き写し」
  • 3
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 4
    アメリカを「好きな国・嫌いな国」ランキング...日本…
  • 5
    セーターから自動車まで「すべての業界」に影響? 日…
  • 6
    トランプはプーチンを見限った?――ウクライナに一転パ…
  • 7
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、…
  • 8
    『イカゲーム』の次はコレ...「デスゲーム」好き必見…
  • 9
    【クイズ】日本から密輸?...鎮痛剤「フェンタニル」…
  • 10
    日本人は本当に「無宗教」なのか?...「灯台下暗し」…
  • 1
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 2
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...APB「乗っ取り」騒動、日本に欠けていたものは?
  • 3
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に...「曾祖母エリザベス女王の生き写し」
  • 4
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 5
    「本物の強さは、股関節と脚に宿る」...伝説の「元囚…
  • 6
    「飛行機内が臭い...」 原因はまさかの「座席の下」…
  • 7
    アリ駆除用の「毒餌」に、アリが意外な方法で「反抗…
  • 8
    為末大×TAKUMI──2人のプロが語る「スポーツとお金」 …
  • 9
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップ…
  • 10
    孫正義「最後の賭け」──5000億ドルAI投資に託す復活…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事故...「緊迫の救護シーン」を警官が記録
  • 4
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 9
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 10
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story