最新記事

紛争

【ルポ】全てを失ったナゴルノカラバフ住民の「涙の旅路」

‘Losing It Is Everything’

2020年12月3日(木)19時20分
リズ・クックマン(ジャーナリスト)

アゼルバイジャンの支配下に入る日を前に、ナゴルノカラバフから脱出する住民が火を放った民家 REUTERS

<家を捨て、集団脱出。行き先は分からない──帰属先をめぐる紛争の終結で全てを失った人々が、絶望と悲劇の中で思うのは>

家財道具を積み上げた車が長い列を作り、その横をトラックが擦り抜けていく。荷台には、壁からワイヤが突き出たトタン屋根の店舗が丸ごと載っていた。

家畜をよそへ移す余裕がなかった住民はニワトリの首をはね、馬のはらわたを抜いた。冷気の中に湯気が立ち上る。家畜の群れを連れて、山道を何キロも移動した者もいる。

それは、集団脱出の悲劇的な相貌だった。

アルメニアのニコル・パシニャン首相が、6週間続いたアゼルバイジャンとの紛争の終結を発表したのは11月10日。アゼルバイジャン領内に位置し、アルメニアが実効支配してきたナゴルノカラバフ自治州の複数の地域が、停戦合意でアゼルバイジャンの支配下に入ることが決まった。

停戦合意発表から数日後、ナゴルノカラバフのアルメニア系住民は自らの土地から避難することを迫られていた。

虐殺の記憶は消えない

西部キャルバジャル地域では、歴史が巻き戻された。1992~94年のナゴルノカラバフ戦争以降、アルメニアが支配してきた同地域は再びアゼルバイジャンの一部になり、今度はアルメニア系住民が土地を追われ、新たな家と新たな生活の場を探している。

悲惨な戦闘が繰り広げられた今回の紛争で、アルメニア側の死者は2300人以上に達した。パシニャンがフェイスブックへの投稿で完全停戦を発表する前から、アルメニア国民の間には喪失感が広がっていた。

イスラム教国に三方を囲まれたキリスト教国で、約1世紀前の虐殺の記憶に今も苦しむアルメニアには、存在を脅かされる不安が付きまとう。今回アゼルバイジャンの後ろ盾になり、1915年のオスマン帝国軍によるアルメニア人虐殺(犠牲者数は約150万人ともいわれる)も公式に認めないトルコによって滅ぼされるのでは──。そんな恐怖が国中に浸透している。

脱出する住民はナゴルノカラバフに何も残していかないようだ。もう失うものはないと、自宅に火を放った村人もいる。自分の家で敵が眠る日は来ないと確信できるのが、せめてもの慰めだ。

「イスラム教徒のために残していけというのか? 私が作り上げた家を?」と、アルセン・ムナチャカニャン(34)は言う。その手はすすで汚れ、出血している。

紛争よりも厳しい現実

農夫で志願兵のムナチャカニャンはその家で20年暮らし、子供たちを育てた。アルメニアかロシアへ向かうつもりだが、まだ行き先は分からない。だが、はっきりしていることが1つある。自分が掛けた屋根の下で、自分が付けた窓からほかの男が外を見るのは、考えるだけで耐えられない。

「ここで、村人は自らの土地や動物と生きている。それを失うのは全てを失うことだ」

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ウクライナ和平サミット、50カ国以上が参加表明=開

ビジネス

MSCI新興国指数でインド株ウエートが最高更新、資

ビジネス

海外勢の米国債保有、3月は過去最高更新 日本の保有

ビジネス

TikTok米事業買収を検討、ドジャース元オーナー
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 2

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史も「韻」を踏む

  • 3

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダブルの「大合唱」

  • 4

    マーク・ザッカーバーグ氏インタビュー「なぜAIを無…

  • 5

    それでもインドは中国に勝てない...国内企業の投資意…

  • 6

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 7

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 8

    羽田空港衝突事故で「日航の奇跡」を可能にした、奇…

  • 9

    総額100万円ほどの負担増...国民年金の納付「5年延長…

  • 10

    奇跡の成長に取り残された、韓国「貧困高齢者」の苦悩

  • 1

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 2

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 3

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋戦争の敗北」を招いた日本社会の大きな弱点とは?

  • 4

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 5

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 6

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 7

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必…

  • 8

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 9

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 10

    ウクライナ防空の切り札「機関銃ドローン」、米追加…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 7

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 10

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中