最新記事

紛争

【ルポ】全てを失ったナゴルノカラバフ住民の「涙の旅路」

‘Losing It Is Everything’

2020年12月3日(木)19時20分
リズ・クックマン(ジャーナリスト)

magw201203_Losing2.jpg

廃墟になったモスク(イスラム礼拝所)とアゼルバイジャン軍兵士 DEFENCE MINISTRY OF AZERBAIJAN-REUTERS

アゼルバイジャンの支配下に置かれる日が迫るなか、ナゴルノカラバフの主要都市ステパナケルトとアルメニアを結ぶ北部の山道沿いに、無傷で残る家は皆無に近かった。屋根が剝がされ、梁がむき出しになり、朽ちて葉脈だけになった落ち葉のような姿をさらしている。

アゼルバイジャン当局は、一連の破壊行為を「エコテロリズム」と非難する。

紛争後の現実は、紛争自体より厳しかったかもしれない。携帯電話はほぼ通じず、インターネットも温水も暖房も使えず、食べ物はパンかインスタントヌードルだけだった。

君臨していたのは混乱だ。アゼルバイジャンとの境界は今、正確にはどこなのか。アルメニアに通じる北部の山道がもはやアルメニアの支配下になく、アルメニアに通じるラチン回廊がロシア平和維持部隊に封鎖されるなら、住民は逃げられないのか。問いの数は多く、答えは少なかった。

なかでも強い不安にさらされたのが、古代から残るダディバンク修道院だ。山腹地帯にあるこの修道院は当初、停戦合意の下、アゼルバイジャン側に引き渡されるとみられていた。最後の別れを告げようと、アルメニア各地から数百キロを旅して人々が訪れ、神の介入を祈って、アルメニア国旗にキスする人もいた。

ロシア平和維持部隊の兵士を満載した戦車が到着したのは、司祭が信徒たちに、これが最後となるはずのミサを行っている最中だった。

今のところは、ダディバンク修道院は救われたようだ。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は11月14日、ナゴルノカラバフにあるキリスト教の宗教施設や聖地を保護するようアゼルバイジャンのイルハム・アリエフ大統領に要請した。

ロシア軍(と、近く派遣が見込まれるトルコ軍)は平和維持活動を任務とする。だが、誰もが和平を受け入れるわけではない。

戦闘は終結したが、機械工のアルダクとアララトは今も、必要とあれば前線で戦う覚悟だ。山中の前哨基地で過ごす夜に備えて体を温めようと、彼らはジャガイモとソーセージを焼いている。

アゼルバイジャンがさらなる領土奪取を目指すのではないかと、2人は懸念する。彼らと同じく、パシニャンがアゼルバイジャン側にはるかに有利な協定を結んだことに、多くが怒りを感じている。停戦合意発表後、アルメニアの首都エレバンでは、パシニャンの辞任を要求する抗議デモが起きた。

「辞任すべきだ。それとも自殺するか、ハラキリをするべきだ」と、アルダクは話す。「だが彼が辞任したら、旧体制が復活するだろう。それも歓迎できない」。2018年の政変でパシニャンが首相に就任する前、同国ではエリート層による支配が続いていた。

もっといいアイデアがあると、アルダクは言う。「俺が後継者になればいい」

From Foreign Policy Magazine

<本誌2020年12月8日号掲載>

20240521issue_cover150.jpg
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2024年5月21日号(5月14日発売)は「インドのヒント」特集。[モディ首相独占取材]矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディの言葉にあり

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

インドネシア貿易黒字、4月は35.6億ドル 予想上

ワールド

韓国大統領、ウクライナ支援継続表明 平和サミット出

ビジネス

エーザイ、内藤景介氏が代表執行役専務に昇格 35歳

ビジネス

シャオミ、中国8位の新興EVメーカーに 初モデル好
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少子化の本当の理由【アニメで解説】

  • 2

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダブルの「大合唱」

  • 3

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史も「韻」を踏む

  • 4

    アメリカからの武器援助を勘定に入れていない?プー…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 7

    英供与車両から巨大な黒煙...ロシアのドローンが「貴…

  • 8

    ロシア国営企業の「赤字が止まらない」...20%も買い…

  • 9

    ユーロビジョン決勝、イスラエル歌手の登場に生中継…

  • 10

    「ゼレンスキー暗殺計画」はプーチンへの「贈り物」…

  • 1

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 2

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 3

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋戦争の敗北」を招いた日本社会の大きな弱点とは?

  • 4

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 5

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 6

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必…

  • 7

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 8

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 9

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 10

    日本の10代は「スマホだけ」しか使いこなせない

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 7

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 10

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中