コラム

トランプの露骨なイラン包囲網に浮足立つイスラム社会

2017年05月31日(水)10時20分

同じスンナ派諸国の間でも不協和音が生じている。カタールのタミーム首長が、サミットの3日後にトランプを批判し、「イランは中東地域の強国で、むしろ安定のために重要だ」と述べたのである。この発言が報道された後、カタール政府は、この発言は国営メディアがハッキングされたせいだ、と弁明に努めたが、怒り心頭のサウディアラビアやアラブ首長国連邦は、カタールに拠点を置くアルジャズィーラ衛星放送などカタールのメディアを遮断した。

そもそもカタールとサウディアラビアの間には、深刻な対立がある。歴史的背景から地域のソフトパワーを巡る対立まで、さまざまあるが、近年の対立の原因のひとつに、イスラーム勢力への支援を巡る政策の違いがある。ムスリム同胞団を軸にイスラーム主義勢力を支援するカタールに対して、サウディアラビアは、支援するとしたらサラフィー派、あるいは非政治的な宗教勢力である。

その対立は、2011年「アラブの春」後にエジプトで成立したムスリム同胞団政権を巡って、先鋭化した。ムルスィー政権を全面的に支援するカタールに、スィースィーの反ムルスィー・クーデタを全面的に応援したサウディアラビア。

その対立が、今リビアで展開されている。シリア同様内戦状態に陥り、シリアのあとの「イスラーム国」の活動拠点となりつつあるリビアでは、イスラーム系の勢力がカタールと良好な関係を持っているのに対して、ハフタル将軍率いる東部勢力をエジプトやアラブ首長国連邦が支援し、権力抗争を繰り広げているからだ。

シリア内戦が、サウディアラビアの支援する反政府勢力とイランの支援するアサド政権の間で展開されているのに対して、リビア内戦での対立軸は、エジプト=アラブ首長国連邦対カタールとなっている。

トランプ大統領の訪サウディ以降、宗派間、宗派内の対立要因が噴出した感があるが、そこには、久しぶりのサウディ・米国間蜜月関係を巡る周辺国の、さまざまな憶測・深読み・希望的観測が交錯している。サウディ・米関係が本格的にぎくしゃくしたのはオバマ政権後半だが、ブッシュ政権がイラク戦争でフセイン政権を倒したときから、ぎくしゃく観は始まっていた。そのぎくしゃく観を払拭して、両国が昔ながらの蜜月関係に戻るのであれば、さて一体、いつの「蜜月関係」に戻るのだろうか。

【参考記事】トランプ政権の中東敵視政策に、日本が果たせる役割

サウディと米国の声高なイラン封じ込めコールを聞いていると、一番近いのは80年代のレーガン時代の両国間関係ではないか、と感じる。サウディが湾岸アラブ諸国を仕切っていた時代。イラクを前線国としてイランを武力と外交で孤立化させていた時代。トランプの訪サウディは、そんな時代に戻るのではという、漠然とした懸念と期待を中東地域に振りまいたのではないか。

トランプの訪サウディの数日前、あるイラク人が言っていた。米国はイラクの現政権に見切りをつけて政府幹部を総入れ替えし、米国が直接統治に乗り込んでくる、という噂がイラク国内で広がっている、と。腐敗、汚職のひどい現政権に対する庶民の憤懣を現した噂だろうが、イラク戦争で政権をひっくり返した米国が、その後のイラク情勢の「不安定」に業を煮やして、戦前の「安定」していた状態に戻すのでは、との期待観(?)を、トランプ政権の新たな対中東政策は、刺激している。

その刺激によって、ある人は「これでイランを追い出すことができる」と思い、ある人は「イラク戦争前の旧体制派が戻ってくるかも」とも思う。トランプ大統領がそこまで長期的計画と包括的視野をもってリヤド詣でをしたかどうかは怪しいが、そこから生まれるさまざまな誤解と邪推と疑心暗鬼が生む衝突は、リアルである。

<訂正とお詫び>コラム掲載時、イラクのラマダン開始日に関して一部事実と違う内容がありました。訂正してお詫び致します。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。
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