コラム

アメリカの外食産業に過労死がない理由とは?

2012年03月05日(月)15時53分

 大前提として客も店も細かいことはゴチャゴチャ言わないし、とりわけ中堅以下の企業化されたファミレス系やファーストフード系に至っては、サービスの水準はかなり低いという問題があるわけです。その点では、日本とは全く別世界で比較の対象にはならないのですが、個別の問題では参考になる点もあると考えて箇条書きにしてみました。

(1)役割分担がハッキリしています。例えば、注文を取るのは「サーバー」、最初に接客して客をテーブルに誘導するのは「ディスパッチャー」などという「専任」ですし、料理を運んだり皿を下げる専門の「アシスタント」など接客だけでも細かく分かれています。厨房の中も役割分担が明確です。

(2)職務内容は契約書で明確になっています。ですからコストカットのために、ある仕事を他の人間にカバーさせるなどということは不可能です。また契約に書いてあることは双方が履行しなくてはなりません。野球の井川慶選手がヤンキースで一軍落第の烙印を押されてもクビにもならず、5年間毎年400万ドル(3億2千万円)ずつ払われたのがいい例で、契約社会では成立した契約を力関係でひっくり返すことはできないのです。外食産業での契約も双務性(お互いが契約に縛られる)という点では同じです。

(3)もっと言えば、人の仕事はやってはいけないのです。誰かが客の前で料理をひっくり返した場合に、その人間がサーバーだったら掃除をしてはいけません。掃除はジャニターの権限であり、他の人間がその仕事を横取りするのはジャニターの雇用を脅かし、給与の分配の根本を壊すので重大な規律違反になります。従って、他の人が忙しくても自分の仕事や勤務時間が終わったら帰っていいのです。といいますか、他の人の仕事にちょっかいを出すのは禁じられています。

(4)決して給与は高くありません。全員が腰掛け仕事と言っても過言ではありません。「アシスタント」はまず最低賃金レベルでヒスパニック系の出稼ぎ労働の人が目立ちます。「デイスパッチャー」なども大した時給ではなく、学生のアルバイトが多かったりします。それぞれが、人生のそれぞれの段階で、収入の不足を補うという位置づけで働いており、長く勤務するという前提の人はほぼ皆無、従って何らかのストレスを貯めこむ危険があるようなら転職してしまいます。

(5)本部の経営層やマーケティング専門職、商品開発専門職は管理職扱いで給与も高いですが、こうしたポジションはMBAやフードビジネスの修士などが要求され、またそうした「最先端知識」を大学院で学んだ人が即戦力、もしくは業界をヨコに転職してきてポジションを取ります。ですから、現場叩き上げで昇進する可能性はゼロ。現場の仕事は良くも悪くも腰掛けであり、フルタイム雇用者が管理職候補で将来の出世を人質にムリな働き方を強制されるということは絶無です。

(6)店全体の管理責任と業績の責任を負うのは店長です。ですが、店長の処遇は歩合制がほとんどです(スーパーの店長も同様)。ですから、オペレーションマニュアルと自身の雇用契約に違反しない範囲という「ゲームのルール」さえ守っていれば、儲かれば儲かるだけ自分の懐に入ってくる仕掛けです。終身雇用と将来の出世を人質に、ネチネチとエリアマネージャーに管理されるということはありません。売上の最低ラインが未達成ならアッサリとクビになり、これも後腐れはありません。

(7)歩合ということで言えば、サーバーもチップ制になっています。サーバーというのは基本的に出来るだけ高い料理と酒を選ばせ、デザートも注文させることでテーブル単価を稼ぐ「営業職」という位置づけだからです。また客はサービスの満足感に対して、チップの率を12%から20%の間で変動させますから、顧客満足度の向上のモチベーションもカネで精算されるわけです。つまり、固定給を前提にノルマ達成を迫られるより、後腐れがないわけです。

(8)サービスのレベル一般は低いです。客を待たせても、注文の料理が遅くても、冷めていても、そこで謝罪することはまずありません。その代わり、好感度を増してチップを稼いだり、リピートにつなげるためには、パーソナルタッチ、つまりサーバーの個人的なアドリブ会話が奨励されています。それも厳しい強制はないですし、上手になればチップという見返りがあるので、働いている人間にはそれほどストレスにはなっていないようです。

(9)労働法規のコンプライアンスに関しては、特に当局が査察をするわけではないのですが、例えば多くの州で「従業員控え室には労働法規の一覧と最低賃金額を記載したポスターを掲示しなくていけない」という法律があって、それが雇用側が法律順守をするようなプレッシャーになっています。また、実際に労働法規違反が顕著であれば、多くの労働者は弁護士を雇って訴訟に持ち込みます。その場合、内容が悪質で、かつ雇用主に支払い能力がある場合は、巨額の懲罰賠償を取られますから、雇用主としては自発的に法律に従わされる仕組みです。

 というわけで、同じ外食産業といっても、労働契約や労務管理に関しては、全く日本とは事情が違います。ですが、こうした要素一つ一つが「ブラック性」であるとか「過労死」という方向性とは反対の作用をしているのは事実だと思います。一点でも、二点でもいいですから、参考になればと思う次第です。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

豪就業者数、3月は予想外の減少 失業率3.8%に上

ビジネス

米アボットの第1四半期、利益予想上回る 見通し嫌気

ビジネス

原油先物は小幅高、米のベネズエラ石油部門制裁再開見

ビジネス

独、「悲惨な」経済状況脱却には構造改革が必要=財務
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:老人極貧社会 韓国
特集:老人極貧社会 韓国
2024年4月23日号(4/16発売)

地下鉄宅配に古紙回収......繁栄から取り残され、韓国のシニア層は貧困にあえいでいる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 2

    価値は疑わしくコストは膨大...偉大なるリニア計画って必要なの?

  • 3

    【画像・動画】ヨルダン王室が人類を救う? 慈悲深くも「勇ましい」空軍のサルマ王女

  • 4

    パリ五輪は、オリンピックの歴史上最悪の悲劇「1972…

  • 5

    人類史上最速の人口減少国・韓国...状況を好転させる…

  • 6

    アメリカ製ドローンはウクライナで役に立たなかった

  • 7

    攻撃と迎撃の区別もつかない?──イランの数百の無人…

  • 8

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 9

    対イラン報復、イスラエルに3つの選択肢──核施設攻撃…

  • 10

    天才・大谷翔平の足を引っ張った、ダメダメ過ぎる「無…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体は

  • 3

    犬に覚せい剤を打って捨てた飼い主に怒りが広がる...当局が撮影していた、犬の「尋常ではない」様子

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 6

    帰宅した女性が目撃したのは、ヘビが「愛猫」の首を…

  • 7

    攻撃と迎撃の区別もつかない?──イランの数百の無人…

  • 8

    「もしカップメンだけで生活したら...」生物学者と料…

  • 9

    温泉じゃなく銭湯! 外国人も魅了する銭湯という日本…

  • 10

    アインシュタインはオッペンハイマーを「愚か者」と…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこと」目からうろこの健康法

  • 4

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の…

  • 5

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 6

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 7

    巨匠コンビによる「戦争観が古すぎる」ドラマ『マス…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

  • 10

    浴室で虫を発見、よく見てみると...男性が思わず悲鳴…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story