コラム

文化庁の「正しい日本語原理主義」が「姑息」である理由

2011年09月16日(金)12時23分

 どうして税金を使ってそんなことをする必要があるのか、サッパリ分からないのですが、文化庁というお役所は定期的に「国語に関する世論調査」を実施しているようです。例えば、今年の発表内容に関しては、主として3つの点が報道されています。

 1つは、「冷たい外気に接した際の感覚」を表現する言葉「寒っ」について「8割以上の人が気にならない」と考えていること、もう1つは慣用句の用法の話で例えば「一時しのぎ」という意味である「姑息(こそく)」を本来と違う「卑怯な」という意味にとらえる人が多数派を占めているという話。あとは恒例となった「ら抜き言葉」の流行への批判です。

 そもそも世論の声を聞いておきながら、発表するときには一々「誤った日本語が使われている」という偉そうな言い方をするという、何ともお役所的な姿勢がまず鼻につきます。中でも気になるのは、結果的に「日本語の変化」についての報道が漠然と「乱れている」とか「本来の正しい日本語が失われている」というネガティブなニュアンスばかりになることです。

 調査にしても報道にしても、世代的に上の人間が牛耳っていてどうしても原理主義的になるということもあるのでしょう。ただ、問題の本質は別のところにあると思います。それは、「寒っ」とか「姑息」という用法が、日本語が持っている「表現の多様性」や「変化への柔軟性」から来ていること、また変化のメカニズムにはそれぞれに必然性があるという点です。

 まず「寒っ」ですが、現代社会の中では違和感は感じることは少ないようです。8割が気にしないというのも極めて当然だと思います。そのメカニズムですが、まず日本語の場合に「寒い」という形容詞は、それだけでは文にならないのです。英語ですと、本当に寒くて口を開くのも面倒な場合は、"Cold!" "Yeah, cold!" なんていう会話も可能ですが、日本語の場合は無理なわけで、「寒いー」と長音に伸ばすと幼児語や「ダダこね」のニュアンスが強烈についてしまい、これもダメなわけです。

 では、キチンとした文にするとすると、そもそも「寒い」というのは強い形容詞であって、特に「外気へ出たら寒かった」というような場合は、所与の状態から来る期待感に対して意外性のニュアンスを持った表現になるわけです。ですから「ですます」であっても「だ、である」であっても「ね」とか「よ」というような何らかの助詞で支えないとダメなのです。助詞がないと、意外感の行き先がないことになり、聞き手との関係性が危機に陥るからです。

 外へ出た人が「寒いよ」でも「寒いね」でもなく、「寒い!」と叫んでしまうとしたら、それは聞き手が共感してくれない、たとえば「このぐらいの寒さで驚くな!」というリアクションが期待される中、孤立した絶望的な気分で「寒い!」と言っている、そんなケースになるでしょう。そこで、聞き手との関係がノーマルな場合は「寒いね」とか「寒いよ」という強調や共感を促す助詞が必ずくっついて来るわけです。

 ですが、考えてみれば「ね」とか「よ」というのは非常に強い助詞で、粘着的な関係性を強要しているとも言えます。「寒いよ」という「強調」の「よ」をつけて言われたら「そうでもないよ」と否定するのは力が要りますし、否定してしまうと関係性の危機が発生します。「寒いね」という「共感要求の「ね」」がついた場合は、更に否定するのは厄介となり関係性を救済するには複雑な文脈の操作が要求されます。

 そこで、現代の日本語ではそうした「ネバネバした関係性」から自由になりたいという時代的な、あるいは世代的、社会的なニーズから「寒っ」という「周囲に聞かれることを予め期待した上での独り言」的な表現が、「聞き手との心地良い距離感」を維持するために好まれるようになったのだと思います。

 あとは「寒っ」という「短い語幹+つめる音」という表現が、自発性、つまり自然発生的で瞬間的なリアクションの感覚をうまく表現しているという要素もあるでしょう。とにかく、助詞から自由になることで複雑な文脈との調整が省略できるので、瞬間的な印象を吐き出すのにも効率的なのです。「すごっ」にしても「凄い」の断定性では強すぎるとか、「凄いね」だと同意を強要しているネバネバ感があるという中で、多くの人には簡便と感じられたわけです。

 もう1つの「卑怯か姑息か」というのは、もっと単純なメカニズムです。「卑怯な」という表現は精神的な態度を批判する形容詞です。しかも相当に強度な主観性があります。ですからこの言葉で批判を加えると、相手の人格を否定することになり、関係性の断絶を覚悟しなくてはならないわけです。そこで意味的には少しずれたところからですが、「姑息な」という表現を引っ張ってくると、こちらは相手の人格や精神的態度ではなく、相手の行為を批判するだけですから、その危険はグッと下がります。

 しかもマンガなどの豊富な用例により「コ、コソクな・・・」という表現がポピュラーになっています。これは、やや古風な語感の語彙を意図的に使用している「異化」効果があって、場合によってはユーモアのニュアンスを付加し、自身の相手への批判的な姿勢そのものを相対化・無害化できるから好まれるわけです。

 単純化して言えば、「それは卑怯ですよ」という「正しい」文よりも「それって姑息じゃね」という若者言葉の方が、より関係性への配慮があり、社会性があるということができます。そう考えると、「正しい日本語原理主義者」が敵視している「日本語の乱れ」というのも、現代社会において要求されるコミュニケーションの機能を考えると、正当な進化だとも言えるのです。

 例えば、「ら抜き言葉」にしても、「受身形(自分のケーキを人に食べられた)」と「可能形(甘くないので私にも食べれる)」が分化してゆくというのは、文法的にも明晰性の確保になるわけです。そこを未練たらしく「誤った表現が10%も増えた」などとブツブツ言う、そのくせ世論の動向をコッソリ観察して、ある時点で「お墨付きを出そう」などというのですから、全くもって文化庁という役所は「姑息」と言わざるを得ません。いやこの場合は「卑怯」というべきでしょう。

 ちなみに、報道の中には「考えれる」という表現が流行するのも時間の問題というものもありました。ですが「考える」という動詞は主語の自由意志が反映するので受身形はありません。ということは「考えられる」という形は受身形と可能形を兼用はしていないので、「ら抜き」に発展してゆく必然性は弱く、その変化はスローになるのではと思われます。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)、『アメリカモデルの終焉』(東洋経済新報社)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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