コラム

「メットオペラ」と「レディー・ガガ」はどうして来日できたのか?

2011年06月24日(金)11時39分

 3月の東日本大震災、そして東電福島第一原発の事故を受けて、日本在住の外国人が離日する動きがありましたが、それ以上に外国人の日本訪問のキャンセルが相次ぎました。ですが、この6月になって、アメリカからはクラシックとポップのそれぞれのジャンルに関して、恐らく最高の人気を誇るグループと個人が相次いで来日しています。

 クラシックの方は、世界最大のオペラハウスであるニューヨークのメトロポリタン歌劇場の引越し講演で、6月4日からの名古屋(2回公演)、6月8日から19日の東京(オペラ11公演とコンサート形式の特別公演1回)が無事に終了しています。

 無事と言っても、完全に予定通りだったわけではありません。音楽監督のレヴァインが体調不良で今年初めから夏まで完全休養のためキャンセル、歌手陣ではテノールのカウフマン(ドイツ人)とソプラノのネトレプコ(ロシア人)がドタキャンというトラブルがありました。ですが、レヴァインの代わりには、ルイージとノセダという評価の高い指揮者が代役を務めましたし、歌手陣も大物の代役が直前にアレンジされて、公演は大成功だったようです。

 ポップ系の方からは、現在人気絶頂の超大物、レディー・ガガが来ています。今週に日本に到着して、MTVのチャリティー・イベントに参加のほか、10日間滞在して震災へのチャリティー活動を行うようです。レディー・ガガの方は、震災の直後には日本への支援を表明しており、今回もとにかく「日本は安全」というメッセージを出すなど、極めて親日的な姿勢です。

 では、どうしてメットオペラとレディー・ガガは来ることができたのでしょう? 経済的事情というのは否定できません。メットの場合は動くカネが巨額でしたから、万が一公演が全キャンということになれば、歌劇場の経営にも響いたと思います。レディー・ガガにしても、日本を主要なマーケットと位置づけているのは間違いないでしょう。

 ですが、それだけではないように思います。メットの場合もレディー・ガガの場合も、日本の熱狂的な聴衆と接することは大きな刺激になるのだと思います。アメリカのオペラの客は、良く言えばカジュアルで自己主張があり、悪く言えば多少ザワザワしたところがありますが、これに対して日本の聴衆の集中力は、歌手たちに心地良い緊張を与えるようです。ガガの場合も、異文化、異言語の聴衆が歌詞を越えて熱狂してくれるのはインスピレーションを掻き立てるのではないでしょうか。

 一方で、カウフマンやネトレプコだけでなく、ヨーロッパの特にドイツやイタリアからの歌劇や独奏者、オーケストラなどではキャンセルが相次いでいます。最新の報道によれば、プロモーターの業界団体が集計したところ、総額で46億円もの売上減少になっているそうです。(サンケイの電子版による)こちらに関しては、チェルノブイリの記憶が理由であると正直にステートメントを出したネトレプコをはじめ、原発の影響が顕著です。

 では、どうしてヨーロッパの、ロシアを別にしても、特にドイツとイタリアで原発忌避の感情、放射線への防衛姿勢が強めに出てくるのでしょう? 中には、日本を含めた「日独伊三国」で脱原発だということを言っている人もいるようですが、例えば元枢軸国には権力への不信感や、産業界への疑念などがある一方で、アメリカは「核大国」なので、人々が原子力の危険性に鈍感だというような「思想的背景」があるのでしょうか?

 どうも、そういうことではないようです。日本在住のヨーロッパ人と仕事をしたときに聞いたのですが、ヨーロッパでは東日本大震災と原発事故の報道にはかなり問題があったようです。特派員がいち早く逃げ出したために、事実関係が整理できない中、日本列島が沈没するとか、全国で原発が火を噴いているというような「トンデモ」報道が欧州各国では続出していたのだそうです。

 一方で、アメリカでは震災直後に各局がエース級のキャスターを東北に派遣するとともに、原発事故もMITやスタンフォードなどの専門家が冷静な解説を加えています。そんな中、震災発生後の数週間は、ニュース専門局を中心に震災特番を24時間ぶち抜きでやっていたわけです。ですから、報道の質量が全く違います。別に原子力技術に甘いわけでも、政府発表をそのまま鵜呑みにしているのでもないのです。そもそもの情報の正確さが違ったのです。

 この話はともかく、クラシックの「外タレ」全キャンの被害が46億円というのは、大変な金額です。プロモーター業界は、この46億円を東電に賠償請求するようです。確かに損害は大きく、業界の中には苦境に立っている会社があるのも理解できます。ですが、これはそう簡単に賛成というわけにも行かないように思うのです。東電の負担上限ということもあり、回りまわって国が「外タレのプロモーション」を助成するということになるのであっては、不自然さが残るからです。

 仮の話ですが、国が何十億という金額を出して、クラシック音楽を振興するのであれば、「外タレを呼ぶ」ためではなく、国内の演奏家にもっと「ちゃんとファンにアピールする」演奏をしてもらう教育などを通じて国内の音楽振興に使った方がいいという判断もあるわけです。そっちのカネが色々な理由で細ってゆく中で、「外タレ」関係の助成に公費を使うというのはやはりどこか腑に落ちないのです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

米肥満薬開発メッツェラ、ファイザーの100億ドル買

ワールド

米最高裁、「フードスタンプ」全額支給命令を一時差し

ワールド

アングル:国連気候会議30年、地球温暖化対策は道半

ワールド

ポートランド州兵派遣は違法、米連邦地裁が判断 政権
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:高市早苗研究
特集:高市早苗研究
2025年11月 4日/2025年11月11日号(10/28発売)

課題だらけの日本の政治・経済・外交を初の女性首相はこう変える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 2
    「座席に体が収まらない...」飛行機で嘆く「身長216cmの男性」、前の席の女性が取った「まさかの行動」に称賛の声
  • 3
    『プレデター: バッドランド』は良作?駄作?...批評家たちのレビューは「一方に傾いている」
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    筋肉を鍛えるのは「食事法」ではなく「規則」だった.…
  • 6
    「路上でセクハラ」...メキシコ・シェインバウム大統…
  • 7
    クマと遭遇したら何をすべきか――北海道80年の記録が…
  • 8
    【銘柄】元・東芝のキオクシアHD...生成AIで急上昇し…
  • 9
    なぜユダヤ系住民の約半数まで、マムダニ氏を支持し…
  • 10
    「非人間的な人形」...数十回の整形手術を公表し、「…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎の存在」がSNSで話題に、その正体とは?
  • 3
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 4
    9歳女児が行方不明...失踪直前、防犯カメラに映った…
  • 5
    「日本のあの観光地」が世界2位...エクスペディア「…
  • 6
    「遺体は原型をとどめていなかった」 韓国に憧れた2…
  • 7
    虹に「極限まで近づく」とどう見える?...小型機パイ…
  • 8
    「路上でセクハラ」...メキシコ・シェインバウム大統…
  • 9
    「座席に体が収まらない...」飛行機で嘆く「身長216c…
  • 10
    米沿岸に頻出する「海中UFO」──物理法則で説明がつか…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 6
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 7
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 8
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
  • 9
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
  • 10
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story