コラム

日本の教育はマイナーチェンジではダメなのでは?

2010年10月12日(火)14時07分

 日本発のニュースには複雑な社会構造の変化を反映したものが多く、1つや2つの政策変更では状況を改善するのは難しいので、単純な正論を提示するだけでは無責任という感覚があります。原則論を言い放つだけでは個人的な感慨の垂れ流しに過ぎず、現場の改革には決してプラスにはならない、そんな懐疑的な視点も時に必要性を感じています。そうした思考法の延長として、日本社会の苦悩については、表面的な批判者ではなく真剣な代弁者とならなくては、そんな思いにさせられることも多くなりました。

 ですが、日本発のニュースの中でも、「やればできるのでは?」とか「コントローラブルな問題なのにどうして不可能なのか?」と、どうしても疑問を感じてしまう分野があります。それは教育に関する分野です。どんなに複雑な背景があろうとも、教育だけは「正論」を忘れては何もかもがゼロになってしまう、そう考えるからであり、また次のジェネレーションに対する責任ということを考えると、長期的しつまり本質的な思考を忘れては大変なことになるからです。

 例えば、今日付けの朝日新聞(電子版)には、「生活保護世帯の子に進学支援拡大、無料講習会や塾代補助」という記事がありました。記事中でも熊本県の蒲島知事が「生活保護世帯から大学や専門学校に進む若者向けの生活費貸し付けを始めた」というニュースなどは、政策としては至極当然だと思いますし、動機付けのされた若者であれば給付型の奨学金制度などへ発展させるべきだとも思います。

 ですが、このニュースの中で主要な問題として取り上げられていたのは、自治体が生活保護家庭の子供を対象に塾代の補助を行う例が増えているという話題でした。例えば東京都は生活保護家庭の子が塾に通う費用を補助する制度をスタートし、昨年度は1億2700万円を独自に支出したそうです、また。板橋区ではこの4月に、塾代補助制度を利用した子供の全日制高校進学率は87%で、生活保護世帯全体の進学率71%を上回ったのだそうです。

 その背景には「子どもが教育機会を失い、貧困が次世代に引き継がれる「連鎖」を防ごうとの狙い」があると記事は説明しています。私はこれに大変な違和感を覚えました。勿論、セーフティネットは大切で、少なくとも貧困家庭の子供には社会が教育を保障してゆくのは当然だと思います。ですが、どうして「塾代補助」なのでしょうか? 待ったなしの短期的な施策としては勿論、アリだとは思います。ですが、それはそれとして、公立中学校の正規の課程を履修しただけでは全日制高校へ進学するだけの学力は身につかず、「将来の貧困の連鎖」になってしまうのであれば、その中学校のカリキュラムなり指導者に問題がある、どうしてそう考えられないのでしょう?

 進学指導に必要な内容が足りないのなら、中学のカリキュラムを増強すべきです。中学の正規の教員では進学指導ができないのなら、塾教師と総取り替えをするべきでしょうし、そのためにも教員には実力主義の査定を導入すべきだと思います。読み書
き数学の基礎力がつかないのなら、放課後と長期休暇に際して徹底して補習をすべきです。大卒でなくては正規雇用がない、高卒でなくては非正規雇用がないという状況が固定化するのなら、高校も完全に義務化するしかないでしょう。

 もう1つ、これは昨日のニュースですが、小中高の英語教員をひとり1000万円かけて米国に留学させるというアイディアがあるというのです。これも「塾代補助」と同根の問題であり、税金が投入されるという点でも、そして根本から改革しなくてはダメという点でも同じです。英語教師というのは英語ができるから人に教えられるのであって、英語ができないために公費で学習し直さなくてはならない人間がどうして英語教師なのかという問題はやはり疑問です。

 現在の英語教育は、水泳指導にたとえるならば、泳げない人間を指導者にして、畳の上で「平泳ぎの格好」の練習をさせているのと同じだと思います。要は畳を取り払って全員をプールに投げ込んでしまえば、先生も生徒も溺れてしまう、そんな悲喜劇に陥っているのです。世の中には英語が読めたり話せる人は沢山いるわけですから、これも「総取り替え」が手っ取り早いのであって、どうして1人1000万円などという話が出てくるのか分かりません。どう考えても、英語のできない「英語教師」を英語ができるようにするよりも、英語のできる人に指導法を教えて教師にする方が効率的だと思うのです。もっと言えば、同じカネを出すのなら学生や院生の若い人をどんどん海外に出して国際人にしたり、ホンモノの英語教師にしたりする方が前向きでしょう。

 そうではありますが、このままダラダラと人材の入れ替えも起きずに「畳の上の英語教育」が続くぐらいなら、「英語教師」の留学というのはやってみる価値はゼロではないかもしれません。仮にこの制度が発足して、まとまった数の小中高の「英語教師」がアメリカに1年留学するのだとしたら、その場合は以下の点に留意して欲しいと思います。

(1)絶対にペアやグループでは出さない。公費での即効性を期待されているのに、放課後や週末に日本語で息抜きをしては効率がダウンする。モンゴル人力士の日本語習得と同じで、1年間徹底的に英語漬けに。

(2)「日本では長年翻訳メソッドの誤った教育が行われてきたが、それを是正することになったので、自分は英語教師だが、英語を勉強し直すために来た」ということを英語で胸を張って自己紹介させる。その上で、日本の過去の英語教育の自己批判を英語
でできるようにさせる。(最初にそれをしておかないと、滞在中に胸を張ったコミュニケーションができず、従ってアメリカ人の友人や協力者もできず、メンタル的にも苦しいこととなり、結果的に滞在費はムダ金になります)

(3)米国ではカレッジのESL(外国語としての英語習得コース)履修を経た後に、言語学(日本語と英語の相違を中心に)、外国語指導法(第二言語習得理論)や異文化理解の単位を必ず取得させる。またパートタイムで大学や高校の日本語教育の現場の指導助手をさせて、指導法の実践を学ばせる。

(4)先生が日本に戻った途端に「1年遊んできたのだから、必死で受験指導をするように」などと「外国剥がし」をされるようなムダはさせない。そのためにも、日本の英語教育のカリキュラムを徹底的にホンモノの英語の読み書きとコミュニケーション中心に変えておく。

 このシナリオにしても、英語教育そのもののカリキュラムについては「全面的な改革」が前提なわけで、中途半端はダメだと思います。いずれにしても、教育の目的とは「社会に出て役に立つ」人間の基礎能力を訓練することにあるわけで(英語の場合は「国際社会に」ということです)その最低限の目標が崩れてしまっている現況を考えると、もはや「マイナーチェンジ」ではダメだと言わざるを得ません。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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