コラム

自転車の旅が台湾で政治的・社会的な意味を持つ理由

2016年11月21日(月)11時14分

 戦前、台湾は日本に「日本の一部」として統治され、エリートは日本留学を目指し、愛国的な知識人は中華民族として中国大陸との結びつきを意識した。そのなかで人々の意識はいずれも「台湾の外」に向いていた。さらに戦後の台湾でも、中国から共産党に敗れて撤退した国民党が一党専制体制を敷いて、大陸反攻を掲げながら台湾人に対しては「中国人」としての教育を徹底し、台湾を郷土とする感情は育まれる余地があまりなかった。

【参考記事】台湾生まれの日本人「湾生」を知っていますか

 しかし、90年代の民主化によって政治参加の道が開かれ、それまでの教育とは一線を画した台湾本土教育などを通して、「自分たちは中国人ではなく台湾人」だとする台湾アイデンティティが普遍化していった。「台湾を知りたい(認識台湾)」という考え方が市民権を得ることで、台湾を隅々までくまなく見て回る「環島」の意義が高まったのである。

 実際、台湾取材を10年以上続けている自分にとっても、今回の環島ライドから受けたインパクトは大きなものがあった。

 桃園では、客家料理の店が街道沿いに林立していた。新竹や台中などの台湾製造業の心臓部では多くの工場が立ち並び、台南に近づくと古い廟などが目立った。高雄では港湾と絡んだ都市開発が一気に進み、屏東では延々と続くパイナップルやタマネギの畑の限りない直線を疾走した。土地土地で休憩や食事の間に食べる野菜や果物の味はいずれも個性があった。人々の顔つきも、北部と南部ではかなり違っている。先住民の多い地域もところどころで見かけた。台湾各地にこれほど多くの「顔」があることは、普段から「台湾の魅力はその多様性にある」と日本の読者に訴えている私にしても、まだまだ表面的に語っていただけだと思わされた。

【参考記事】台湾映画『太陽の子』と、台湾の「奪われた者」たち

 こうした台湾社会の生身の姿について、新幹線やタクシーの移動は便利ではあるが、なかなか皮膚感覚のところまで目撃体験が内在化されない欠点がある。私にとっては、台湾自転車の旅は、認識台湾のプロセスであった。台湾に生きる人々にとっては、なおさら、自分たちが生まれ育った土地の多様性を肌身で理解し、より台湾への郷土愛を育むチャンスになるに違いない。

 台湾を走り、台湾を知る。「環島」の意味はそこにある。そのことを頭ではなく、体で刻み込まれた台湾自転車縦断の旅だった。

プロフィール

野嶋 剛

ジャーナリスト、大東文化大学教授
1968年、福岡県生まれ。上智大学新聞学科卒。朝日新聞に入社し、2001年からシンガポール支局長。その間、アフガン・イラク戦争の従軍取材を経験する。政治部、台北支局長(2007-2010)、国際編集部次長、AERA編集部などを経て、2016年4月に独立。中国、台湾、香港、東南アジアの問題を中心に執筆活動を行っており、著書の多くが中国、台湾でも翻訳出版されている。著書に『イラク戦争従軍記』(朝日新聞社)『ふたつの故宮博物院』(新潮選書)『銀輪の巨人』(東洋経済新報社)『蒋介石を救った帝国軍人 台湾軍事顧問団・白団』(ちくま文庫)『台湾とは何か』『香港とは何か』(ちくま新書)。『なぜ台湾は新型コロナウイルスを防げたのか』(扶桑社新書)など。最新刊は『新中国論 台湾・香港と習近平体制』(平凡社新書)

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