コラム

日本経済は新型コロナ危機にどう立ち向かうべきか

2020年03月25日(水)12時00分

より長期的な政策目標との整合性--「働き方改革」を例として

これら新型コロナ危機への対応策は、基本的にはあくまでも緊急避難的な措置であり、その目標がいったん達成された場合には、経済政策のあり方全体を、それ以前から存在するより長期的な目標に対して調整し直す必要がある。

他方で、それとは逆に、新型コロナ危機への対応策の一部は、より長期的な別の目標の達成にも利用できる可能性がある。もしそれが可能であれば、政策の調整コストを節約するという意味で、それを利用できるだけ利用することが望ましい。

そのような可能性を持つ政策の実例の一つは、長時間労働や雇用格差の是正等を目標として安倍政権が掲げてきた「働き方改革」である。今回の新型コロナ危機が日本経済にもたらしたきわめて皮肉な結果の一つは、フレックス出勤、リモートワーク、勤務時間短縮、休暇や休業等が拡大したことで、働き方改革の目標であった長時間労働の是正が期せずして実現されてしまったところにある。ネットなどでは、「本来こうあるべき」とか「いつもこのくらいの余裕をもって働きたい」という声も多い。政府がその実現のためにさんざん音頭をとってもなかなかできなかったことが、このように簡単にできてしまったのである。これをまた単純に元に戻すのは、まったく理にかなわない。

もちろん、企業の方は、一刻も早く以前の体制に復帰したいと考えているに違いない。しかし、仮に今回の状況でも十分に仕事がこなせているのであれば、「日本のホワイトカラーの生産性の低さは強いられた長時間労働によるもの」という仮説が裏付けられたことにもなる。賢い企業ならば、今回の「実験」の結果を踏まえて、従業員の勤労意欲向上のために、リモートワークやフレックス出勤の導入、時間外労働の抑制、有給休暇の拡大等々を率先して行い、それらを定着させていくであろう。政府の方は、そこに税制上の優遇を与えるなどして、企業によるそうした取組みを今後も後押しし続けるべきであろう。

忘れてはならない「デフレ脱却」という政策目標

長期的な政策目標との整合性という意味でさらに重要なのは、第2次安倍政権の一丁目一番地であったはずの「デフレ脱却」目標である。この課題は、新型コロナ危機への対応策とも深く関連する。というのは、上述のように、感染が収束して経済を正常化させる局面で必要な政策とは、基本的には需要拡大のためのマクロ経済政策に他ならないからである。これは、「三本の矢すなわち金融政策、財政政策、投資拡大につながる成長戦略というマクロ的な需要拡大政策によって、日本経済が20年以上にもわたって苦しみ抜いてきたデフレからの脱却を実現させる」という、第2次安倍政権が掲げたいわゆるアベノミクスと、方向としてはまったく一致する。

このアベノミクスと「デフレ脱却」というその政策目標は、現在明らかに存続の危機に瀕している。世界経済は元々、米中貿易摩擦もあり、2018年頃からは停滞局面に入っていた。そうした中で、日本では2019年10月に消費税増税が行われた。その反動減は、予想以上の消費減少となって現実化した。そこに襲ってきたのが、今回の新型コロナ危機である。この三重苦ともいえるような状況を、マクロ的な対策を何も打たずにそのまま放置すれば、再びデフレが深刻化することは必定である。最悪の場合には、失業率の低下と雇用の改善、そしてマイナスのインフレ率からの脱却という、アベノミクスがこの7年間をかけてようやく達成した経済的成果は、すべて水泡に帰してしまうであろう。

多くの論者が主張しているように、この新型コロナ危機による経済停滞を打破し、日本経済を元の成長軌道に戻すために必要な政策手段の第一候補は、消費税減税である。それはまた、現在まさに危機に瀕しているアベノミクスを救い出すのにも役立つ。実際、アベノミクス第二の矢「機動的な財政政策」が今ほど必要とされている時はない。

アベノミクスは本来、「財政政策と成長戦略を担う政府と、金融政策を担う日本銀行が協調しつつ、2%のインフレ率という政策目標を実現させる」という政策戦略であった。そのこと踏まえて考えれば、「一度引き下げた消費税率をどうやって再び引き上げるのか」というありがちな減税反対論に対しては、簡単に答えを返すことができる。それは要するに、「2%インフレ率が達成されるまで」である。

重要なのは、「マクロ経済政策は基本的に、現実のマクロ経済状況に依存して実行されなければならない」という点である。金融や財政の引き締めは、あくまでも景気過熱を抑制するために行われるべきものである。その原則を無視し、増税が不況下で行われれば、不況がますます深刻化し、財政再建というその本来の目標すらもおぼつかなくなる。その意味では、昨年10月の消費税増税は、結果として最悪のタイミングで実行されたことになる。新型コロナ危機が誰にとっても予想不可能なものであった以上、税率を元に戻すことに躊躇する必要はない。

要するに、政府は、新型コロナの感染拡大抑止が一段落し、政策目標が経済の正常化に切り替わった段階で、消費税減税を含む拡張的財政政策を直ちに実行すべきである。そして、それを少なくとも、完全雇用と考えられる1.7から1.8%程度の失業率を達成し、2%程度のインフレ率を安定的に達成するまでは継続する必要がある。

もちろん、政府財政のプライマリー・バランスの回復は、長期的には必要である。しかし、それに達成期限を設けることは無意味である。というのは、長期的なプライマリー・バランスの回復にどのくらいの増税や歳出削減が必要になるのかは、完全雇用が実際に達成されて初めて明らかになるものだからである。仮に完全雇用が達成された時にもまだ財政赤字が残されているとすれば、それは確かに増税や歳出削減によって埋め合わされるべき構造的財政赤字である。しかし、そのことが実際に明らかになる以前に、先走って無用な増税を行う必要はない。

実際のところ、日本経済は、バブル崩壊後のこの30年間、一度も完全雇用を達成したことがなかった。それは、旧日銀と財務省が、その間に先走った無用な金融や財政の引き締めを繰り返したためである。その状況を変えたのがアベノミクスであった。それによって、2018年頃からは、バブル崩壊後初めて2%台前半の失業率が実現された。しかし、物価や賃金の状況から判断すれば、日本経済は未だ完全雇用には到達していない。したがって今は、アベノミクスの初心に帰って、財政赤字の多少の上ぶれは許容しつつ、完全雇用とインフレ目標の達成にマクロ経済政策全体の舵を切り直すべき時なのである。

プロフィール

野口旭

1958年生まれ。東京大学経済学部卒業。
同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。専修大学助教授等を経て、1997年から専修大学経済学部教授。専門は国際経済、マクロ経済、経済政策。『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』(東洋経済新報社)、『グローバル経済を学ぶ』(ちくま新書)、『経済政策形成の研究』(編著、ナカニシヤ出版)、『世界は危機を克服する―ケインズ主義2.0』(東洋経済新報社)、『アベノミクスが変えた日本経済』 (ちくま新書)、など著書多数。

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