コラム

「非常事態宣言」はトランプ独裁への第一歩?

2019年02月15日(金)13時15分

とはいえ、メキシコ国境での壁の建設は、大統領選挙の頃からトランプ氏が主張してきたことで、なぜ今さら非常事態を宣言する必要があるのか。そこには、2018年中間選挙で民主党が過半数の議席を握った下院をショートカットする目的がある。

民主党はトランプ大統領の方針に反対し、この対立から壁建設の費用を組み込んだ予算が連邦議会で成立しなかった結果、年末年始にかけて連邦政府の一部機関が相次いで一時閉鎖に追い込まれ、批判が噴出した。これを受けて、トランプ大統領は壁の建設費をほとんど外した予算案に署名し、予算を成立させるのと引き換えに、非常事態を宣言すると発表したのである。

しかし、そもそも壁の建設が単なる移民嫌いによるものなら、さすがに非常事態は宣言できない。この点でトランプ氏にとって福音となったのが、ホンジュラスの移民集団「キャラバン」だった。

キャラバンが近づきつつあった2018年11月、トランプ大統領はこれを「侵略」と呼び、アメリカ軍兵士を国境に展開させた。つまり、キャラバンの接近はトランプ氏にとって「不法移民によってアメリカの安全が脅かされる」という大義名分をかざしやすくしたといえる。これによって非常事態を宣言し、合衆国法典第2808条に基づいて壁を建設するというアイデアが現実味を帯びてきたのだ。

日系人収容も非常事態宣言で行われた

これに対して、民主党からは、トランプ大統領が非常事態宣言に言及すること自体に批判があがっている。

非常事態宣言は大統領による意思決定をスムーズにするが、通常なら尊重されるはずの身体の自由、表現の自由、通信の自由、財産権などの人権を制限することもできる。第二次世界大戦中にフランクリン・D.ローズヴェルト大統領が日系人を強制収容したことや、9.11後にブッシュ政権下で令状なしの盗聴やアルカイダ系戦闘員への拷問が行われたことは、その典型だ。

トランプ氏が非常事態を宣言すれば、壁建設だけでなく、親子を引き離すなどの対応が批判を呼んできた不法移民の取り扱いなどでも、法令に縛られない対応が増える可能性がある。

これに加えて、何をもって非常事態と呼ぶかも問題になる。アメリカに限らず、最高責任者が「非常事態」を政治的に利用することは珍しくない。例えば、アメリカから支援を受けていたフィリピンのフェルディナンド・マルコス大統領は、「共産主義ゲリラの脅威」を理由に1972年、非常事態を宣言し、憲法を停止したが、1981年にこれが終結するまで、マルコス大統領は令状なしの逮捕で政府に批判的な勢力を取り締まっただけでなく、地主の土地を没収して一部を私物化した。

プロフィール

六辻彰二

筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。新著『日本の「水」が危ない』も近日発売

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

EUと米、ジョージアのスパイ法案非難 現地では抗議

ビジネス

EXCLUSIVE-グレンコア、英アングロへの買収

ワールド

中国軍機14機が中間線越え、中国軍は「実践上陸訓練

ビジネス

EXCLUSIVE-スイスUBS、資産運用業務見直
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国の研究チームが開発した「第3のダイヤモンド合成法」の意義とは?

  • 2

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロシア空軍基地の被害規模

  • 3

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 4

    「500万ドルの最新鋭レーダー」を爆破...劇的瞬間を…

  • 5

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉…

  • 6

    ロシア軍の拠点に、ウクライナ軍FPVドローンが突入..…

  • 7

    「TSMC創業者」モリス・チャンが、IBM工場の買収を視…

  • 8

    中国のコモディティ爆買い続く、 最終兵器「人民元切…

  • 9

    「複雑で自由で多様」...日本アニメがこれからも世界…

  • 10

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドローンを「空対空ミサイルで撃墜」の瞬間映像が拡散

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 5

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われ…

  • 6

    日本マンガ、なぜか北米で爆売れ中...背景に「コロナ…

  • 7

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロ…

  • 8

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 9

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 10

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 6

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 10

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story