コラム

企業に経済制裁を強要すべきではない

2022年03月05日(土)15時54分

だが、私は多国籍企業は経済制裁の主体になるべきではないし、日本企業が制裁に動かないのは正しい判断だと思う。多国籍企業はその定義から言っても、本社のある国だけでなく、法人を設置した各国のステークホルダーに対して責任を負っているからだ。もしトヨタがロシアの工場を閉めるとなれば、その工場で働く従業員たちは職を失うことになる。トヨタ自身も工場の資産を失うばかりではなく、もし工場閉鎖がロシアの侵攻に対する抗議だと表明したらロシア政府から敵だと認定され、それ以降の輸出も含めたロシアでの事業全体に支障が及ぶであろう。ロシア国民の圧倒的多数が戦争反対なのであれば、政府には敵視されても民衆に支持される道を選ぶという選択肢もあるのかもしれないが、現状はそうではない。

日本の新聞もロシアで事業活動を行う企業をいっしょくたに論ずるのではなく、企業によってさまざまな事情があることを考慮すべきである。アップルはロシアでは現地生産はもちろんしていないし、直営店も持っておらず、もっぱらオンラインストアや現地の小売商を通じて販売するのみである。つまり、アップルがロシアでの製品販売をやめても、それによって職を失う現地法人の職員がいないのだ。フォードももともとロシアでの事業規模を大幅に縮小していたという。つまり、アップルやフォードによってロシア市場を一時的に放棄することのインパクトは自社にとってもロシア側にとってもさほど大きくない。

一方、トヨタのサンクトペテルブルクの工場は年産10万台の能力を有し、従業員数は2600人にも及ぶ。これほどの規模の工場を畳むとなれば、現地の経済に大きな打撃を与えるし、トヨタ側の損失も大きい。部品が届かないのであれば工場を止めるのも致し方ないが、政治・外交的な理由で工場を止めるとなれば、ロシア側は重大な攻撃だと受け取ることだろう。

水道事業にも外資が入る時代

グローバリゼーションの波の中で、ロシアを含めて世界の国々が外資企業に門戸を開放してきた。いまでは水道事業のような基幹インフラさえ外資に開放されており、例えばフランスのヴェオリア・ウォーターは日本を含む世界各国で9500万人に水を供給している。もし仮に自国とフランスが外交上対立する状況が生じた場合に、水道事業を担うフランス系企業が自国の側ではなくてフランス側の指示に従って動くようなことがあるとすれば空恐ろしいことだと言わなくてならない。外資系企業といえども、投資先国の法人であるからにはその国の政策と法律に従うべきであって外国の手先となるべきではない。その原則を踏み外すならば、グローバリゼーションを受け入れた国は安全保障上の大きなリスクを抱え込むことになる。

プロフィール

丸川知雄

1964年生まれ。1987年東京大学経済学部経済学科卒業。2001年までアジア経済研究所で研究員。この間、1991~93年には中国社会学院工業経済研究所客員研究員として中国に駐在。2001年東京大学社会科学研究所助教授、2007年から教授。『現代中国経済』『チャイニーズ・ドリーム: 大衆資本主義が世界を変える』『現代中国の産業』など著書多数

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

医薬品メーカー、米国で350品目値上げ トランプ氏

ビジネス

中国、人民元バスケットのウエート調整 円に代わりウ

ワールド

台湾は31日も警戒態勢維持、中国大規模演習終了を発

ビジネス

中国、26年投資計画発表 420億ドル規模の「二大
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「腸が弱ると全身が乱れる」...消化器専門医がすすめる「腸を守る」3つの習慣とは?
  • 2
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 3
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 4
    「すでに気に入っている」...ジョージアの大臣が来日…
  • 5
    世界最大の都市ランキング...1位だった「東京」が3位…
  • 6
    マイナ保険証があれば「おくすり手帳は要らない」と…
  • 7
    「サイエンス少年ではなかった」 テニス漬けの学生…
  • 8
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」と…
  • 9
    なぜ筋肉を鍛えても速くならないのか?...スピードの…
  • 10
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」…
  • 1
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 2
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 3
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 4
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 5
    「腸が弱ると全身が乱れる」...消化器専門医がすすめ…
  • 6
    中国、インドをWTOに提訴...一体なぜ?
  • 7
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 8
    マイナ保険証があれば「おくすり手帳は要らない」と…
  • 9
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 10
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切…
  • 6
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 7
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 8
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 9
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 10
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story