コラム

本当の危機は断交ではなく、ISを利する民衆感情の悪化【サウジ・イラン断交(後編)】

2016年01月09日(土)11時24分

平和的なデモから自爆テロ犯へ

 若者たちの反乱である「アラブの春」は、サウジや湾岸諸国では、多数派のシーア派民衆がスンニ派王政と衝突したバーレーン以外では、大きな動きにはならなかった。ただし、サウジで、ブレイダのような最も保守的な地域でサウド王制への不満が出てきたのも、若者たちの不満とイスラムの実現が重なる「アラブの春」の流れの中にある。

 その意味では、平和的なデモをしていた若者が、ISの自爆テロ犯になるというサウジの状況は、2014年にISが出現して、中東や欧米から3万人を超える若者が参戦して行くという流れの中で捉える必要がある。サウジは年明け早々に、サウジ王国へのジハードを正当化したスンニ派宗教者のザハラーニ師と、「アラブの春」を象徴するシーア派宗教者のニムル師を含む47人の「テロリスト」を処刑し、王国を批判、否定するあらゆる活動を禁じる声明を出した。

 サウジ国内で国や社会に不満を持つ若者たちが、ISに呼応して国内で暴力的に動くことを警戒し、牽制するものと考えるべきだろう。それだけ、サウジ政府が直面する危機が深いということである。サウジ・イランの国交断絶ばかりが注目されるが、サウジの国内問題として問題の本質を理解しておく必要がある。

国内世論対策としての外交断絶

 最後にもう一度、サウジ・イランの国交断絶という外交問題に戻るならば、サウジの新聞は2日にテヘランでニムル師処刑に抗議する民衆がサウジ大使館に押しかけ、火炎瓶を投げて大使館が煙を上げて燃える写真を、目立つ形で1面のトップに掲載した。それを受けて、ジュベイル外相は抗議して、外交関係断絶という厳しい措置を発表した。

kawakami160109-c.jpg

デモ隊に襲撃されたテヘランのサウジアラビア大使館の写真を1面に掲載したサウジの新聞(1月4日付)

 しかし、イランの対応はというと、最高指導者ハメネイ師やロハニ大統領が「イスラムにも人間の道にも反する」と非難し、著名な宗教者か次々と非難の声明を挙げたが、反サウジ運動に国民をけしかけるような激しいトーンではなかった。民衆の抗議デモは起こったが、イラン政府は治安部隊を出してデモを抑えようとして、デモ隊の40人以上を拘束している。

 両国の国交断絶の動きは、中東でスンニ派の盟主サウジとシーア派の盟主イランが、覇を競うというような意味づけではなく、サウジが、自国がイランの攻撃を受けているということを殊更に強調して、厳しいIS対策をとるための国内の引き締めを図ったということである。つまり、国内世論向けの対応である。イランの方には長年続いてきた国連や米国の制裁解除を目前にして、サウジとの関係を荒立てることには何の利益もない。

相手への憎悪を増大させる双方の民衆感情

 宗派対立が危機につながるとすれば、サウジやイランという国の関係ではなく、イラクやシリアや湾岸諸国のスンニ派民衆がヒズボラやイラクのシーア派民兵を殺戮者ととらえ、逆にシーア派民衆はISを同様に捉えるという、双方の憎悪を肥大化させている民衆感情の方である。政府は宗派対立での民衆の怒りが自分に向かってこないように、政府自身も相手に脅かされているという立場をとり、それがまた宗派の対立を煽る。

 ISの脅威が中東で実際以上に肥大化しているのは、宗派を巡る民衆の憎悪や恐怖と結びついているためである。サウジとイランの国交断絶は外交的にはほとんど実質的な意味はないが、それが空騒ぎであっても、民衆の感情に火をつけ、結果的にシーア派憎悪を強調するISを利することになる。

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

原油先物は下落、米在庫増で需給緩和観測

ワールド

米連邦裁判事13人、コロンビア大出身者の採用拒否 

ビジネス

円安はプラスとマイナスの両面あるが今は物価高騰懸念

ビジネス

米インフレ、目標上回る水準で停滞も FRB当局者が
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:岸田のホンネ
特集:岸田のホンネ
2024年5月14日号(5/ 8発売)

金正恩会談、台湾有事、円安・インフレの出口......岸田首相がニューズウィーク単独取材で語った「次の日本」

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 2

    「自然は残酷だ...」動物園でクマがカモの親子を捕食...止めようと叫ぶ子どもたち

  • 3

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国の研究チームが開発した「第3のダイヤモンド合成法」の意義とは?

  • 4

    「真の脅威」は中国の大きすぎる「その野心」

  • 5

    デモを強制排除した米名門コロンビア大学の無分別...…

  • 6

    いま買うべきは日本株か、アメリカ株か? 4つの「グ…

  • 7

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 8

    外国人労働者がいないと経済が回らないのだが......…

  • 9

    中国軍機がオーストラリア軍ヘリを妨害 豪国防相「…

  • 10

    翼が生えた「天使」のような形に、トゲだらけの体表.…

  • 1

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受ける瞬間の映像...クラスター弾炸裂で「逃げ場なし」の恐怖

  • 2

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国の研究チームが開発した「第3のダイヤモンド合成法」の意義とは?

  • 3

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロシア空軍基地の被害規模

  • 4

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミ…

  • 5

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS…

  • 6

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 7

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 8

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉…

  • 9

    ロシア軍の拠点に、ウクライナ軍FPVドローンが突入..…

  • 10

    外国人労働者がいないと経済が回らないのだが......…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 6

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 7

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

  • 10

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story